第84話 訪問者

統一歴九十九年四月十日、夕 - ティトゥス要塞/アルトリウシア



 ティトゥス要塞カストルム・ティティ要塞司令部プリンキピア内に設置された対策本部へもたらされていたアルトリウシア各地区の状況報告は控えめに表現しても地獄のような惨状だった。


 セーヘイムを除くすべての地区で大規模なテロが行われ多数の死傷者を出しており、アンブースティア地区とアイゼンファウスト地区、海軍基地城下町カバナエ・カストルム・ナヴァリアでは大規模火災によって《火の精霊ファイア・エレメンタル》が発生し暴れまわっている。

 おまけにウオレヴィ橋とヤルマリ橋が破壊され通行できなくなった上、叛乱を起こしたハン支援軍アウクシリア・ハンは海軍基地城下町から多くの住民を拉致した上で海軍基地カストルム・ナヴァリアを爆破し『バランベル』号で海上へ去ったという。


 昼までの間に少なくとも人間同士での戦闘行為が終息したのは確かなようだったが、《火の精霊》が暴れまわっている状況では被害拡大に歯止めがかからず、全住民が避難していたため消火活動そのものが放棄された海軍基地城下町はともかく、アンブースティアとアイゼンファウストの両地区では破壊消火活動の過程で犠牲者がなおも増加していた。

 それも午後になってヨルク川以南の広い範囲で雨が降り始めると、《火の精霊》の力は火勢とともに急速に衰えを見せ始める。



 ティトゥス要塞城下町カバナエ・カストルム・ティティと要塞内の喧噪そのものは相変わらずではあったが、人々の表情からは殺気立ったものが消え、全体的な雰囲気は少し落ち着いたものへ変化を遂げていた。

 要塞内の空いている場所にマニウス要塞カストルム・マニから来た増援軍団兵レギオナリウス城下町カバナエから来た有志退役軍人らの手によって、倉庫から引っ張り出されたテントの設営作業が始まっている。

 他にも古くなったまま放置されていた兵舎の点検と補修作業が並行して行われるとともに穀物庫ホレアからは小麦が運び出され、昼の炊き出しの片づけが終わってまだ一時間も経っていないというのに夕食の炊き出しの準備が始まっている。


 要塞司令部に全地区での《火の精霊》消滅確認の報が齎されたのはルキウスがそんな光景を窓から見下ろしていた時だった。

 対策本部の置かれた会議室の窓から外を見たまま、ルキウスは報告に対して特に反応を見せなかった。


閣下ルキウス?」


「・・・聞いている。

 どうやら、一段落付きそうだな?」


 ルキウスはそう言うと溜め息をつく様にゆっくりと息を吐きながら振り返った。別に報告内容や報告を告げた幕僚トリブヌスに対して不満があったわけではなく、ただ単に彼の持病の腰痛ゆえのことだ。


「火災は、鎮火しそうなのか?」


 杖を突きながらゆっくりと自分の椅子に向かって歩き、ルキウスは確認を求めた。

 鎮火しなければ、雨が止んだとたんに再び《火の精霊》が復活しないとも限らないから油断はできない。


「は、いずれの郷士からも鎮火の見込みとの報告です。」


「そうか。」


 側仕えが引いた椅子の肘掛けに両手を置き、しっかり体重を支えながらゆっくり腰を下ろすと、ルキウスは再び大きく息を吐いた。


「それから『バランベル』号の動向ですが・・・」


「何か分かったのか?」


「行方については定かではありませんが、沖合で砲声が聞こえたとの報告がセーヘイムから入っております。」


 ルキウスは杖を側仕えに預けると肘掛けに頬杖を突いた。


「セーヘイム以外からは?」


「入ってきておりません。おそらく、方角的に海軍基地の爆発音でかき消されたものと思われます。」


 ルキウスは目の前のテーブルに広げられた地図に視線を投げた。幕僚の推測は妥当と言えるだろう。

 アンブースティア、《陶片テスタチェウス》、アイゼンファウストのいずれの地区も東岸側で海軍基地より内陸にある。海軍基地で大爆発が起これば、海上の砲声はかき消されてしまう。

 だが、セーヘイムだけは北岸にあるため、海軍基地の爆発音と海上の砲声は聞こえてくる方角が異なるため、一方によってもう一方がかき消される可能性は低い。


「『バランベル』が、漁船か交易船でも攻撃したか?」


「おそらくそうでしょう。」


 主要艦艇が全て出払っていて明後日まで帰ってこない上に海軍基地が壊滅状態になったのだ。現時点で海上に出たであろう『バランベル』を追跡することはおろか、海上の様子を調査する事すらできない。


「セーヘイムに指示を出せ。

 当面は全ての船の出港を見合わせるようにと。」


かしこまりました。」



 ルキウスは地図を睨んだまま顔をしかめ、しばらく考えた。

 アルトリウシア湾内に砲声が響いたという事は、『バランベル』号がまだアルトリウシア湾内に留まっている可能性を示唆している。

 単に湾外への脱出の途中だったのか、それとも何か目的があって湾内に留まっているのか・・・後者であるなら問題があった。



「・・・『バランベル』号やつらは戻ってくると思うか?」


「常識で考えれば無いと思います。が・・・」


「わからんか・・・」


「はい、何分なにぶん、海の事も船の事も素人な上に、もとから何を考えているか分からんところの多い連中ですから・・・」


 ルキウスは無言のまま再び大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。腰痛とストレスのせいで身についてしまった彼の癖だった。


「戻って来るとしたら、セーヘイムだろうな。

 兵を派遣して防備を固められるか?」


「現在動かせるのは二個百人隊ケントゥリアだけです。

 それも今、避難民の収容作業を行わせております。」


「収容作業に支障が出るか?」


「日没までには作業は終わるでしょう。その後でよろしければ・・・ですが」


「予備兵力が無くなる・・・か」



 ハン支援軍が戻ってくるとしたら略奪が目的になるであろう。ここでその対象となり得るのはセーヘイムだけだ。他の地域はハン支援軍自身が破壊しつくしてしまったのだから、他へ行くわけがない。


 報告によれば午前の戦闘でハン支援軍はかなりの打撃を受けており、おそらく兵力を三割ちかく減じているはずだ。ハン支援軍が戻ってきてセーヘイムを襲った場合でも、二個百人隊が居れば何とか防ぐことは出来るだろう。

 夜間、市街地から外れたところに伏せて置けば『バランベル』号の艦砲射撃を浴びることは無いだろうから、ハン族が上陸してきたところへ襲い掛かれば撃退する事は可能なはずだ。

 そのまま『バランベル』号へ乗り込めれば、戦闘の推移にもよるが制圧できる可能性もゼロではない。


 ただ、それはあくまでも彼らハン族が『バランベル』号の砲力を頼らずに上陸してきた場合の話だ。

 『バランベル』号の火力は侮れないし、セーヘイムには軍船を追い払うための砲台も無いし、野戦砲では『バランベル』号に対抗できない。

 上陸してきたゴブリン兵を撃退しても、船が生きたまま離岸すればそのまま沖合から艦砲射撃を浴びせてくるに違いない。


 やはり百人隊二個程度では足らない。敵の攻撃を防ぐのが精いっぱいだ。敵の攻撃を防ぎつつ、反撃して撃退するための予備戦力が欲しい。それもできればダイアウルフに対抗できる機動戦力が必要だ。

 しかし、アルトリウシア軍団の騎兵戦力は一昨年火砕流に呑まれてほぼ丸ごと消滅し、現在再建中で伝令や偵察に使える程度しかいない。集中運用するだけの数もなければ、夜戦に投入できるだけの練度も無かった。

 二個百人隊で出来るのはハン支援軍を防ぎつつ住民を逃がすのがせいぜいだ。


 かといって放置するわけにもいかない。

 避難誘導ぐらいしかできないとしても、はやり派遣しておくべきだろう。



「やれやれ、ハン支援軍やつらは船にも海にも素人の弱兵だというのに、こうも我々を悩ませてくれるとはな。」


 ルキウスは皮肉な笑みを浮かべながら背もたれにもたれかかった。


「いかがなさいますか?」


「放置するわけにはいかんだろう。送ってしまえ。

 要塞ここは衛兵隊で何とかなるだろう。

 ああ、そうだ。セーヘイムには今夜は全ての灯りを消す様に指示を出してくれ。

 灯りが無ければ、奴らハン族は艦砲射撃も上陸もしにくくなるだろう?」


「そのように手配します。」


 ルキウスが目を閉じて左手で行けと合図すると幕僚が敬礼して立ち去った。その気配を感じつつフーっと息を吐いて座っていた椅子に身体を沈めると側仕えが声をかけてきた。


閣下ルキウス、お疲れの御様子ですが・・・」


「ん?

 ああ、そういえば風呂に入り損ねたのは久しぶりだと思ってな。」


「今からでもお入りになりますか?」


「いや、良い。だがせめて身体だけ拭きたいな。」


「ではお湯を御用意いたしましょう。」


「頼む、だが寝る前で良い。」



 間もなく日没・・・今日と言う日はどうやら乗り越える事が出来そうだ。しかし、明日以降のことを考えると気が滅入る。

 広範囲に壊滅的被害が及び、現時点の推定で二万人以上が焼け出されている。

 農地と農家、漁村と漁民が被害を免れ、領内の食糧生産能力に被害が及ばなかったのは幸運だったと言って良いだろう。今回の被災民は元々食料生産には携わっていなかったから食料供給体制に影響はないと予想できる。

 被災地域に保管されていて焼けてしまった分の食料は不足する事になるが、その影響は一時的なモノに留まるはずだ。流通さえ再構築できれば備蓄分を放出することで補える。

 ああ、セーヘイムの港の倉庫にある食料は移しておいた方が良いかもしれないな。


 ハン支援軍の逃亡先によっては交易に支障が出る可能性があるから、何とかして

速やかに『バランベル』号を捕捉せねばならん。だが、肝心の軍船がない。

 アルトリウスが戻って来るのは明後日か・・・それまでハン支援軍は霧の向こうだな。

 まずは避難民たちの保護と生活再建か・・・やれやれ、余計な仕事ばかり増やしてくれるわい。



 対策本部の置かれた会議室の戸がノックされた。その音がやけに大きく響いて聞こえたのは、多分ルキウスがまどろみに落ちようとしていたタイミングと重なったせいだろう。


「入れ!」


 室内にいた幕僚の一人が言うと、戸を開けて連絡将校テッセラリウスが入室した。


「失礼します。

 百人隊長ケントゥリオカッシウス・アレティウスクィントゥスが参り、神官のスパルタカシアルクレティア様、ヴァナディーズ女史と共に領主閣下ルキウスに面会を求めております。」

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