第750話 元老院議事堂

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



 レーマ皇帝インペラートル・レーマエの住まう『黄金宮ドムス・アウレア』のあるレモリス山から海とは反対側の南西方向へ下る『聖なる道ウィア・サクラ』を下ると、そこは帝都レーマの中心地フォルム・レマヌムである。「レーマの中心地」と言われるのは地理的に中心であることはもちろんだが、レーマの重要な施設の多くがこのフォルム・レマヌムに集中していることが最大の理由だ。古くから信仰を集める十二主神教ディー・コンセンテスの総本山『至高神ユピテル大神殿』アエディス・イオウィス・ユピテル・オプティムス・マクシムス、裁判所を兼ねる公会堂バシリカ公文書館タブラリウム闘技場コロッセオ、そして何と言っても元老院議事堂クリア・クレメンティアがこのフォルム・レマヌムに直接面しているのである。フォルム・レマヌムから伸びる大通りを通れば、ここには無いレーマの主要な施設や神殿にもすべて一本道で行けるのだから、ここ以外の場所を「レーマの中心」と言ってみたところで誰もが何かの冗談としか受け取らないに違いない。

 そして「レーマの中心」と言われるだけあって、集中しているのは重要施設ばかりではない。重要な施設が集中していれば、必然的に人も集中する。軍団レギオーが丸ごと整列し、観衆に囲まれながら閲兵式えっぺいしきを挙行できるほどだだっ広いはずのフォルム・レマヌムには朝から人が溢れかえり、ともすれば人の波にのまれて自分の位置も方角も見失いかねないほどの喧騒に包まれている。広場フォルム一面、明灰色の石畳のはずだが、仮に隣接する建物の二階の窓から見下ろしても地面に敷き詰められた石の色など全く見えない。溢れかえった人混みのせいで目に入る色は黒や茶色といった人の頭髪か人々が纏った衣類の色ばかりだ。この中で人にぶつからずに歩くことができる者など、普通に考えてまず居ないだろう。だが何事にも例外はある。この場合で言えば貴族ノビリタスだ。


 大勢の取り巻きを付き従えた貴族の前を先行する名告げ人ノーメンクラートルが大きな声で「〇〇様の御成~り~」などと呼ばわれば、人々はサッと左右に分かれて道を開けてくれる。さっさと避けねば露払いを務める取り巻きの誰かに棍棒でぶん殴られてしまうかもしれないからだ。それに下手に逆らおうものならただでは済まない。数人がかりで抑え込まれ、追い払われるだけだ。仮にそれに勝利しても相手は貴族である。メンツを潰された貴族に付け狙われるようなことになれば、後々面倒なことにしかならない。だから貴族が来たとわかれば、ほとんどの者はさっさと道を譲ってしまうのである。いったいどこにそんな避けるような隙間があったのかと、傍で見ている者からすれば不思議になるくらいだが、当の貴族はそのようなことなど気にもしない。自分のために開けられた道を遠慮することなくズンズンと歩き進むのだ。


 貴族なら馬車にでも乗るのではないかと思われるかもしれないが、レーマでは市街地への馬車の乗り入れは禁止されている。昔から市内の道が狭く、馬車なんか乗り入れられたらたちまち往来に支障が出てしまうからだ。街中が馬糞だらけになって衛生環境が悪化するという問題もある。

 乗り物に乗りたい場合、最高レベルの贅沢が許される上級貴族パトリキなら臥輿レクティカと呼ばれる輿こしに乗る。四~八人の担ぎ手によって担がれる輿で、一~二人が寝そべって乗る乗り物だ。次いで贅沢なのは座輿セッラで、乗客が座るための椅子に担ぐための棒を取り付けて二人~四人で運ぶ一人乗りの乗り物。他には手押し車に椅子を取り付けた物などもある。それらは担ぐ(あるいは押す)ための人足にんそくも必要だし、周囲を守る護衛も、そして先導する名告げ人なども必要になるため、体裁よくするためには結構な人数を動員する必要があり、最低でも下級貴族ノビレス以上でなければ乗れない。そして、そうであるからこそ、そうした乗り物に乗るのは貴族としての一つのステータスになっている。

 だが、すべての貴族がそういう乗り物を使うかというとそういうことは無い。特に男性貴族の場合、自分の体力、剛健さをアピールするためにあえて自分の脚で歩くことは珍しくなかった。執政官コンスルフースス・タウルス・アヴァロニクスもその一人である。


 貴族制度のあるレーマ帝国とはいえ、公職につく者は一応選挙によって選ばれる。元老院議員セナートルもそうだし、執政官などもそうだ。

 そうした公職につくための選挙ではとにかく支持を集めなければならず、人々の支持を集める根拠となるのは第一に「どれだけレーマに貢献したか」であり、次いで「どれだけレーマに貢献できるか」だ。そして「どれだけレーマに貢献できるか」をアピールするためには、体力を、強さを……すなわち「男らしさ」をアピールするのが最善なのである。

 最近では行われなくなってきているが、選挙になると立候補者は群衆の前に立ち、裸になって自分の肉体を見せることがレーマでは一般的であった。どれだけ肉体が鍛えられているかをアピールし、そして古傷を見せては「これは〇〇の戦いで負った傷だ。」と主張し、自分がどれだけレーマのために尽くしてきたかを群衆に訴えかけるのである。


 時代が変わってそこまでのことはされなくなってきているとはいっても、それでも政治家に自分たちの理想像を投影しようとする群衆の心理は変わらない。であるならば、政治家にとって自分への支持を確たるものにし続けるためにも機会あるごとに「男らしさ」をアピールすることは必要不可欠なことであったし、街中を歩いて移動するのはその最たるものの一つであった。

 フーススは照り付ける太陽の光を浴びて禿げあがった額を汗と脂でテカらせ、群衆の視線を集めながら『黄金宮ドムス・アウレア』からフォルム・レマヌムへ戻り、そのド真ん中をまっすぐ横切って元老院議事堂へと戻っていく。その様子を座輿に乗って別のルートを通って先に戻っていた主席元老院議員プリンケプス・セナートスピウス・ネラーティウス・アハーラらが議事堂の二階から見下ろしていた。


「相変わらずの人気だな。

 あの歳であの身体だ、うらやましい限りだよ。」


 ただ歩いているだけだというのにその姿を見止めた群衆は熱狂的な声を上げている。その熱気は遠く離れたここまで伝わってくるようだ。老齢のためフーススのように元気に歩く姿を見せびらかすことのできないピウスはまったく羨望せんぼうを禁じ得ないといった様子で力なくため息をつく。すると、すぐ脇に居た恰幅かっぷくのよい男が腹をゆすって笑う。


「うらやましがることは無いでしょう?

 彼をあの立場にしたのは貴方だ。

 『レーマの雄牛タウルス・レーマエ』のあの声望せいぼうは我々の力でもあります。」


 彼の名はコルネイルス・コッスス・アルウィナで元老院議員の中でも守旧派の重鎮だ。脂肪アルウィナという家族名コグノーメンに似つかわしい体形の彼と比べれば、歳相応に腹がポッコリ出ているピウスもかなり痩せて見えてしまう。そのような彼もまた、『黄金宮』から自分の脚ではなくピウスと共に臥輿に乗ってフーススとは別ルートで議事堂へ戻ってきた一人だった。

 顎にまで脂肪を巻き付けたコルネイルスがニッコリ笑うと、確かにこの世に何も心配事など無いような気になってくるから不思議だ。しかし、ピウスがそのようなコルネイルスの陽気な雰囲気に包まれても決して流されないのは、ピウスが悲観的な人間だからではなかった。


けいは楽観的だな。

 確かにあの声望は間接的にではあるが我々の力でもある。だが……」


 ピウスは視線をコルネイルスから窓の下を議事堂へ入ってくるフーススに向けなおした。


「何かご不満でも?」


「彼自身が、その力を信じているわけでもないようでな……」

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