第47話 全軍緊急招集

統一歴九十九年四月十日、朝 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 この世界ヴァーチャリアでは時計は一般には普及しておらず、超が付くほどの高級品に位置付けられている。

 時計塔とか時計台といったような公共施設的な時計は有力貴族パトリキが自分の権勢を示すために自らの領都に設置するぐらいの代物で、領土持ち貴族でも持っていない方が多いだろう。もちろんアルトリウシアには存在しない。

 アルトリウシアにある時計は二つだけ・・・どちらもティトゥス要塞カストルム・ティティにあった。

 一つはアルビオンニア侯爵家に伝来するゼンマイ仕掛けの物で、アルビオンニウム放棄の際に運搬のため一旦分解され、アルビオンニア侯爵一家と共にアルトリウシアへ運び込まれたがまだ組み立てられていなかった。

 もう一つはアルトリウシウス子爵家が未だアヴァロンニアの有力貴族だった頃から家宝とされていた時計で、アヴァロニウス氏族がアヴァロンニアを追放されてアルビオンニアへたどり着くまでの間に動かなくなってしまい、以来修理されないまま埃を被っている。

 つまり、アルトリウシアにはまともな時計が一つも無い。


 一日を二十四時間に分ける事は知っていたが、このように時計の無い地域では慣例的に日の出を零時とし日没までの時間を十二分割する(夜間は日没から日の出までを四分割する)という昔ながらの時間管理方法が使われていた。

 この場合、時間は日時計を使って管理する。

 年中曇天のアルトリウシアではくっきりとした影が出来る事はあまりないので、一般的な文字盤に突起を立てただけの日時計ではなく、ブッカたちが航海で太陽の位置を知るために使う太陽の石サンストーンを組み合わせた特別な日時計を使っていた。

 当然ながら分単位の時間管理など出来ない。季節によって一時間の長さが変化するからだ。夜間の時間管理に至っては昼間よりも更にいい加減である。


 今は二時半ぐらいだろうか。

 一般の裕福な者たちは奴隷や使用人たちに手伝わせて身だしなみを整え、被保護民クリエンテスたちは朝の挨拶のために保護民パトロヌスの家へそろそろ出かけようかと言う時間帯である。


 マニウス要塞カストルム・マニ要塞司令部プリンキピアにはまだ軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムたちの姿は無かったが、彼らの業務を補佐する士官ドゥプリカーリウス下士官セスクィプリカーリウスらは既に少なくない人数が仕事を初めていた。

 時間管理が先述のような有様なので、当然ながら残業代とか言うモノは無い。



「戦闘だと?」


 まだ主が出勤してきていない要塞司令官プラフエフェクトゥス・カストロルムの執務室で伝令がもたらした報告を受けたのは一人の事務官カッリグラプスだった。

 彼、セウェルス・アヴァロニウス・ウィビウスはかつてはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア歩兵中隊長プリミ・オルディネスまで務めた元軍団兵レギオナリウスだったが、一昨年前の火山災害に巻き込まれた際に左目と左脚を失ってから現場を去り、要塞司令部に異動となっていた。


 現在、アルビオンニアの各施設に勤めている人員の大多数が彼のような身体の一部に欠損を抱えた障碍者だった。

 火山災害に巻き込まれて人員の大半を失ったアルトリウシア軍団だったが、生き残りの中にも少なからぬ負傷者が含まれており、その中には彼のように本来なら退役して然るべき障碍者もいた。


 少なくなってしまった分を新たの徴募して人員補充を図るべきだったが、それは限定的にしか行えてなかった。アルビオンニウムから逃れて来ていた避難民のための住居、道路、水道といったインフラを急いで用意しなければならなかったし、アルビオン島の他の町との交通網も復旧しなければならない。

 そのための人員が徹底的に不足しており、ここで軍に人手をとられてはアルビオンニアの復興の見通しが立たなくなってしまう。それどころか、軍団の兵士もインフラ整備に充当しなければ間に合わない。


 人員補充は出来ないが人手は拡充しなければならない・・・その問題を少しでも緩和するため、セウェルスのように前線で戦う事はもうできないが事務仕事程度ならできる障碍者と、非戦闘勤務しかしたことないが五体満足な事務要員との強引な入れ替えが行われたのだった。一度退役した老兵も復帰兵エウォカトゥスとして少なからぬ人数が現役復帰し、主に要塞の防御砲台要員等野外活動のない任務に就いている。

 そのおかげで彼は今、要塞司令の補佐官としてそれまでと同じ二倍給ドゥプカーリイを受けとりながら、これまでの経験を活かせる仕事に就くことが出来ている。



「はい、既に麓の貧民街は火に包まれています。」


 火傷痕ケロイドに覆われた顔をゆがめて問いただしてきたかつての上官にビビりながらも、伝令兵は答えた。


「誰が戦っているかはわかるか?」


「いえ、そこまでは・・・ただ、ハン支援軍アウクシリア・ハン騎兵エクィテスがこちらに向かっているようでした。おそらく伝令かと思いますが・・・」


「ハンの騎兵?ダイアウルフか・・・数は?」


 ハン支援軍は本来騎兵を主力とした支援軍アウクシリアだ。大柄な王族たちは馬に乗るが、実際に前線で戦うゴブリン兵は小柄な体格を活かしてダイアウルフに騎乗することに最大の特徴がある。

 小柄なゴブリン兵は走っても足が遅いため、短距離での伝令にさえ騎兵を使うのは珍しい事ではない。彼らが王族のための馬を伝令で走らせることは無いから使うとしたらダイアウルフだろう。ダイアウルフならハン支援軍と判断するのも何も不思議はない。

 ただ、報告の「ハン支援軍の騎兵」が単数形のエクェス【eques】ではなく複数形のエクィテス【equites】だったのが気になった。


「はい、自分たちが見たのは十四騎でした。」


 セウェルスの表情が一瞬で変わった。

 十四騎もの騎兵を伝令で走らせることなどあるわけがない。間違いなく軍事行動だ。


 セウェルスは前日の警察消防隊ウィギレスの報告と、それを受けて実施されたローラー作戦の顛末について知っていた。というより、警察消防隊の報告を受けてローラー作戦を実施すべきだと要塞司令に進言したのは彼だった。

 麓の貧民街での火災と戦闘、接近中の騎兵、昨日の不可解な破壊活動準備の痕跡・・・それらがセウェルスの頭の中で一つに結び付くのに時間はかからなかった。


「緊急招集!

 要塞内の全軍を集めろ!

 敵襲だ!全ての幕僚トリブヌスを急いで呼べ!」


 セウェルスは要塞司令部のホールを行きかう兵士らに向かって叫んだ。

 その後、目の前にいた伝令兵に向き直って命じる。


「貴様は要塞正門ポルタ・プラエトーリアに行って大至急防備を固めるよう伝えろ」



 セウェルスの指示で連絡将校テッセラリウスたちが軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム宿舎プラエトーリウムへ駆け出していったところへ、大隊長ピルス・プリオルの一人クラウディウス・ヘレンニウス・ネポースが他の高級将校たちに先駆けて出勤してきた。



 彼の指揮すべき歩兵大隊コホルスは現在まるごと上水道整備事業支援に充てられており、部下のほとんどすべてが貯水池建設工事現場に隣接した野営陣地カストラ・アエスティヴァにいる。

 そこはマニウス要塞から丸一日かかる山奥で、冬になると人が立ち入ることが出来なくなるほどの豪雪地域であるため、夏の間に投入できるリソースのすべてを集中させて工事を急がせていた場所だった。


 今は四月も中旬に差し掛かっており、あとひと月半ほどもすると雪が降り始める。

 冬の間は雪の少ない麓での水道工事に従事する事になっているが、今彼の大隊が従事している工事現場での作業にあたっている人員は兵士と民間人を合わせると五千人に近くなる。それだけで一個軍団レギオーに近い人数だ。

 しかも、野営地の周辺には工事作業員の家族や、それらを相手に商売しようとする商人たちの店や家が立ち並んで城下町カナバエを形成しており、雪が降る前に麓に引っ越さねばならない人数は現時点で三万人近くに達すると見積もられていた。


 軍団が長期の遠征にでかけても、軍団将兵の五倍もの民間人がついてくることなどまずない。軍団兵は百人隊長ケントゥリオ相当以上の将校を除き、結婚が禁じられていた(実際は黙認されている)ので付いてこようとする家族そのものが少なかったし、軍団に随行する商人たちは認可制で兵站部隊として軍属扱いにするため、ある程度統率もとれていたからだ。

 だが今回工事現場に駐屯しているのは軍人だけではない。


 軍人も含まれているが大部分は民間人であり、しかもその半数以上がアルビオンニウムからの避難民だった。

 つまり、冬になって現在の野営地を去って麓のアルトリウシア郊外へ戻ると住居を失ってしまう人たちが一万人以上含まれているのである。

 かといって、雪に閉ざされる場所に住み続けさせる事は出来ない。


 大問題だった。


 決して、今までその問題に誰も気付かなかったわけではない。急遽降ってわいたメルクリウス目撃情報対応が優先されたため、後回しにされていたのだった。

 クラウディウスが昨日、少数の部下と共にマニウス要塞に帰ってきたのは、あと一か月半の間に約一万人分の住居の手配を含む約三万人の引っ越し準備を整えるためだった。

 ただ、出勤時間がやけに早いのは昨夜中途半端に飲みすぎた酒のせいで日の出前に目が覚めてしまい、暇を持て余してしまったからだったが。



「セウェルス!」


 アルトリウシア軍団に限らないが、レーマ軍では軍団幕僚以上にでもならない限り異なる軍団への異動はまず無いため、百人隊長以上の現場指揮官はだいたい皆知り合いだ。セウェルスもクラウディウスが百人隊長だった頃に百人隊副長オプティオを務めていた事もあり、旧知の仲である。


「クラウディウス!帰ってたんですか?」


 将校たる者、みだりに兵の見ている前で慌てる様子など見せてはならない。まして戦闘でも訓練でもないのに走るなどあってはならない。

 しかし、数か月ぶりの顔を見て笑顔で駆け寄ろうとする隻眼隻脚の戦友を目にしたクラウディウスはためらうことなく自ら駆け寄った。 


「ああ、昨日な。

 しかし敵襲とは穏やかではないな、何があった?」

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