第46話 目覚める猛虎

統一歴九十九年四月十日、朝 - アンブースティア/アルトリウシア



 アンブースティア地区とアイゼンファウスト地区で実施された複数個所での同時放火と初期消火を妨害する銃撃および爆破は短時間で絶大な効果を発揮していた。

 爆発音と銃声、そして悲鳴を上げて逃げまどう人々と視界を奪う煙は状況の把握と判断を困難にし、人々の恐怖と混乱とを際限なく増幅する。


 ティグリスの手下たちの初動対応は迅速を極めたにもかかわらず、そのほとんどは期待された能力をまるで発揮することができなかった。彼らの大部分は街中に分散配置されており、最初期の段階で彼ら自身が混乱に陥ったからだった。

 彼らのもとにはティグリスからの命令が届く前に、パニックを起こした被災者たちの阿鼻叫喚と煙とが先に届けられた。狭隘きょうあいな小路を埋め尽くして逃げまどう住民たちは煙の中で自らの位置を見失い、どこへ向かうべきかさえ考えられなくなっている。明確な目的も無く、ただ前へ前へと恐怖に突き動かされるまま足を進めているだけだった。


 そんな中で対応すべきティグリスの手下たちは得るべき情報も指示も得られず、状況も把握できないまま、ただただ対応する事だけを求められた。

 しかし、何の訓練も教育も受けたことの無い、ただ正規軍の武器を与えられただけのチンピラ集団にまともな対応能力などあるわけが無い。結局、彼らも住民たちと一緒にパニックを起こしながら逃げまどうしかなかったのである。

 更に最悪だったのは、パニックを起こした彼らの一部が恐怖から逃れるために、居もしない敵に向かって発砲を繰り返したことだった。


 襲撃犯であるゴブリン兵の居ない方角から聞こえる銃声は、逃げまどう住民たちに更なる混乱をもたらし、同時に誤射や流れ弾による犠牲者をも生み出すに至った。

 パニックを起こしたティグリスの一部の手下たちによる発砲は、襲撃犯であるゴブリン兵の撤収後もしばらく続いたのである・・・そう、弾が尽きるまで。



 結局、まともに対応できたのはティグリスの直卒部隊と、後にティグリスに合流する幸運に恵まれた手下たちだけだった。

 ティグリスが武装を整え、屋敷ドムスの前に集合していた手下たちの所へ姿を現した時、既に西の空を煙が覆いつつあった。距離があるため被災者たちの混乱はここまで及んでいない。

 近所の住民は焦げ臭い匂いに気付いて奇異に思い始めてはいたが、騒ぎだす様子はまだなかった。


「火が出てんのか?」


「屋上から見た限りでは少なくとも貧民街で八か所から火が出ました。

 おそらく付け火です。」


 ティグリスが西の空を見て発した疑問に答えたのは、貧民街を見下ろせる位置に建っている集合住宅インスラ屋上のペントハウスに、見張り代わりに詰めていた一団の一人だ。

 朝、ゴブリン騎兵が走って行ったと第一報を伝えたのも、彼と同じペントハウスで見張りをしていた手下の一人だった。 


「八か所だと!?」


 ディグリスが目をむく。


「数えられたのが八か所です。途中から煙で見えなくなりました。

 煙の具合からして多分、実際には、もっと・・・」


「くそ!」


 ティグリスが歯噛みしてすぐぐらいのタイミングで、小さくだが爆発音が聞こえてきた。

 アンブースティア地区の中央の高台に建てられたティグリスの屋敷周辺は、富裕層の屋敷が集中する高級住宅街なので人通りの多い時間帯でも割と静かだ。貧民街の中にいたら喧噪にかき消されて聞こえなかったかもしれない。


「あぁ?」


 ティグリスが我が耳を疑い、再び西の空を見ると立て続けに同じような爆発音が聞こえる。


「爆弾・・・か?」


「やつら、戦争でもやってんのか!」


 田舎ヤクザの出入り・・・面倒な揉め事のチョイとデカい奴ぐらいのつもりでいたティグリスの認識はこの時、より重たいものへと切り替わった。


 やつらは戦争を仕掛けてきたのだ。

 いいだろう、なら総動員だ。


 ティグリスは振り返ると主人を見送るつもりで玄関オスティウム先まで出てきていた解放奴隷の家令に命じた。


「ウチの人間を全員駆り出せ、近所の奴らも全員だ!」


「全員ですか?」


 普段屋敷の家政を取り仕切っている落ち着いた雰囲気の老人も、主人からの突然の命令に驚きを隠しきれず聞き返した。


「そうだ、家の事なんか放っておけ!

 男どもには斧、ツルハシ、とにかく道具を持たせてこっから西の貧民街のバラックを片っ端から壊させろ!

 それ以外の女子供や役に立たねぇ奴はティトゥス要塞カストルム・ティティまで避難だ。

 急がねぇとここも全部焼けっちまうぞ!!」


 そのあまりの剣幕にヒッと一瞬息を飲んだ老人はそれでもすぐに「かしこまりました」と返事をして屋敷の奥へと駆け戻っていった。

 それを見届けもせず、ティグリスは手下たちへ向き直る。


「お前ぇ達は俺について来い!いくぞ!!」



 手下を引き連れたティグリスはアンブースティアの北を流れるヨルク川まで出ると、左折して川にそって西進した。途中で見つけた女子供老人にはティトゥス要塞まで逃げるように命じ、それ以外の男は片っ端から捕まえて強引について来させた。

 アンブースティアの住民でティグリスの顔と名前を知らない者はいない。当然、逆らう者も居ない。今、ティグリスの背後には八十人近い男たちがぞろぞろと付いてきている。


 ティグリスは左を見ながら歩き続け、自分が立てた都市計画に基づき建設された集合住宅群の西端に位置するところまで来ると、一人の男を呼び寄せた。

 男は直接の手下というわけではないが、ここに来る途中で捕まえた一人で普段色々世話してやってる男・・・いわゆる被保護民クリエンテラの一人だった。


「いいか、ここからまっすぐウオレヴィ川までだ。

 この線から西のバラックを全部壊せ。」


「はい!」


 今度は後ろをついて来ていた男たちにも聞こえるように大声で命じる。


「女子供にはティトゥス要塞まで逃げろと言え。

 男には手伝わせろ。

 火事が広がらねぇようにするにはそれしかねぇ!

 働きのいい奴にはこのティグリス様が店でも集合住宅でも任せてやる。

 邪魔するようならたたっ斬れ」


 声を戻してさっきの被保護民に命じる。


短小銃マスケートゥム持ってる俺の手下見つけたら、俺んとこに合流するように言っとけ。俺は西へゴブリンどもを追い払いに行く。」


「はい!」


 ティグリスが手を振り「よし、かかれ!」と大声で命じると、被保護民の男たちはいっせいに貧民街へと突っ込んでいった。

 追加で刀剣を持ってはいるが、短小銃を持ってない手下たちも彼らの後へ同行させる。抵抗する住民をさせるためだ。


 突然あらぬ方向から現れた集団による暴虐行為に貧民街の住民たちから悲鳴と怒号が沸き起こるが、これは仕方ない。被害を極限するためには避けられない行為だったし、住民たちに説明している暇も残されていないのだから。

 ティグリスは短小銃を抱えた手下と共に西進を再開した。 


 やつらゴブリンめ、今度という今度は容赦しねえぞ!


 ローマは剣でお返しする・・・《レアル》ローマの英雄カミッルス以来の雄々しき伝統と気風は降臨者を介してレーマへ受け継がれ、今もなおティグリスたちの精神に息づいていた。

 かつてアルビオンニウムの暗黒街の一角を実力でまとめ上げた闘争の血はアルトリウシアの郷士ドゥーチェとなって以来長らく鳴りを潜めていたが、今再びティグリスの身体の中にふつふつと蘇りつつある。

 溢れ出る殺気を隠そうともせず、のっしのっしと歩を進める彼の獰猛な眼光は、まさに怒れる猛虎ティグリスのそれだった。

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