第45話 ティトゥス街道の虐殺

統一歴九十九年四月十日、朝 - ティトゥス要塞城下町/アルトリウシア



 アルトリウシアにある軍事施設の中で最も古いティトゥス要塞カストルム・ティティはアルトリウシア北側にあるアーレ半島付け根の小高い丘にあった。当初は現在のような恒久的な基地カストラ・スタティヴァではなく、西方の防備を固めるための、そしてアルビオンニウムから西山地ヴェストリヒバーグの北を迂回してアルトリウシア方面へ延びるティトゥス街道建設のため、夏にだけ利用されて冬になれば放棄されるような暫定的な陣地カストラ・アエスティヴァとして築かれたものだった。


 近くには要塞カストルム建設以前から先住民のブッカたちの集落セーヘイムがあった。

 彼らブッカはレーマ帝国がこの地に進出してくる以前からサウマンディウムやアルビオンニウムと船舶での交易があったし、海賊へのにらみにもなるということで要塞建設は随分歓迎されたという。

 おそらく、当時は未だアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニアと呼ばれていたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが、ブッカと同じゴブリン系種族であるホブゴブリンだったことも、彼らの歓迎の背景にはあっただろう。


 ティトゥス要塞とその城下町カナバエの住民たちは、夏の間だけティトゥス街道建設に従事し、冬になるとアルビオンニウムへ帰ってしまう。だが主の居なくなった廃墟を、ブッカたちは決して荒らしたりしなかった。

 レーマ人たちは海産物や農産物を直接買い上げてくれたし、レーマ帝国の豊かで高品質な工業製品を売ってくれる。これまでわざわざアルビオンニウムやサウマンディアに船で行かねば交易できなかったのが、夏の間だけとはいえ向こうからやってきてくれる。

 おまけに彼らがいる間は海賊に襲撃される心配もない。元々冬は海賊も襲撃してこないので、ティトゥス要塞が作られてからというもの、海賊の襲撃はほとんどなくなっていた。



 この地のブッカたちの伝承によれば、彼らの先祖は大陸の東の方から戦争を逃れて渡ってきたとされている。争いを逃れ、新天地を求め、大陸東岸伝いに南へと進み続け、ようやくアルビオン島へたどり着いた。大戦争中のことだったらしい。

 ここから南下すれば南蛮人サウマンの領域であり、大陸西岸へ北上すれば旧帝国チューチューアの領域になる。彼らはここが世界で最も争いから遠い場所であると判断し、この地に根を下ろした。

 平和を好む集団だった。だが決して臆病なわけではない。

 海洋民族らしく個々人を見れば気性は荒く、戦となれば勇ましく戦う。揉め事があれば決闘もするし、理不尽な目に合えば血の復讐フェーデもする。しかし、戦となれば個人の武勇だけでは解決しない。どうしたところで女子供が巻き添えになる。彼らはそれを嫌った。

 海賊が来れば武器を取り雄々しく立ち向かい、手痛い反撃を食らわせはするが、敵の拠点を暴き出して無理に反撃するようなことはしない。反撃で痛めつけられた海賊は逃げ帰るが、勢力を回復すればまたやってくる。

 数年に一度のペースで襲い来る海賊のため、ブッカの人口は一定の範囲内で増減を繰り返していた。ティトゥス要塞が出来るまで、この地のブッカの人口は五百人を超えた事は無いと言われている。


 そんな彼らがレーマ帝国の進出を歓迎するのは自然な事だった。

 若き族長ヘルマンニは郷士ドゥーチェの地位を与えられ、これまでの村を治める事が認められた。

 ブッカたちは帝国の支配下に入る事で税はとられるようになったが、代わりに交易にかかる関税が無くなり、不作の年は穀物の配給を受ける権利が認められた。

 軍役が増えてブッカたちとその船をアルビオンニア海軍として丸ごと召し抱えられることになったが、運用は任される事となり必要な予算をアルビオンニア侯爵から貰えるようにもなった。

 両者が互いに望む形でブッカたちはレーマ帝国に編入され、帝国は新たな臣民と艦隊を手に入れた。

 ティトゥス要塞周辺の城下町には商人が定住するようになり、ティトゥス要塞は恒久要塞として再整備されていった。


 こうした経緯から、ティトゥス要塞は帝国の要塞としてはかなり新しい時代に建設されたものであるにもかかわらず、稜堡りょうほ式要塞とはなっていない。

 南蛮人サウマンの襲撃からアルトリウシアを守るための城塞はもっと南により本格的なマニウス要塞カストルム・マニが建設されることになっていたため、あえてティトゥス要塞を強化する必要が無かったのだ。

 このため、四角い敷地をさして高くもない土塁で囲ってあるだけで、その周辺に防御施設らしいものは一切なく、ただ城下町が広がっているだけである。

 現在、帝国軍が用いている「要塞カストルム」と呼ばれる軍事施設の中で、おそらく最も無防備なのがティトゥス要塞だった。



 そんなティトゥス要塞の東側にある要塞正門ポルタ・プラエトーリアから二ブロックほど離れたティトゥス街道とマニウス街道が交わる交差点で、ダイアウルフに跨ったゴブリン騎兵十三騎が集合していた。

 城下町に放火しに来たのに、前日に仕込んだはずの仕掛けが一つも見つからなかったからだ。


「どういうことだ!一つも見つからないぞ!?」


「わからん、確かに仕掛けたのに!」


 町は雨に濡れたまま乾いていない。このまま無理に松明で火をつけたところで、火災になる前に取り押さえられるか、すぐに消火されてしまうだろう。


「おい、貴様ら!何をやってる!」


 そのうち、住民たちが詰め寄ってきた。

 彼らはゴブリン兵がダイアウルフに騎乗したまま町中を走り回り、少なくない怪我人を出したことに腹を立てていた。


 城下町の住民の半数以上は軍人の家族や元軍人たちである。いくらダイアウルフに跨っているとはいえ、帝国でも弱兵とみなされているゴブリン兵に気後れすることは無い。

 押しかけて来た住民の中には剣をいている者もいた。


「どういうつもりだ!?ここは領主ドミヌス様のお膝元だぞ!」

「狼なんぞ乗り回しやがって!今すぐ降りろ!」

「ただで済むと思うなよ!」

「朝っぱらから松明なんか掲げやがって!気でも触れたか!?」


 ゴブリン兵は小うるさい住民たちを追い払おうとダイアウルフに跨ったままグルグル歩き回り、松明を振り回し威嚇するが、住民たちは怯むどころか却って興奮の度合いを高めていく。

 群衆は次第に数を増し、熱を帯び、やがては投石まで始まった。


「くそ!」


 遂にゴブリンの一人が手に持っている松明を群衆に向けて投げつけた。

 群衆は一瞬静かになった。だが、怯んだわけではない。ただ驚いただけだ。

 その後、それこそ火が付いたように勢いを増して騒ぎだした。


「もういい!やっちまえ!!」


 松明を投げたゴブリン騎兵はそう叫ぶと、ダイアウルフにくくり付けていたケースから短小銃マスケートゥムを取り出し、群衆に向けて発砲した。


 銃に込められていたのは散弾だった。


 ダイアウルフの上から、つまり群衆の頭よりやや高い位置から打ち下ろし気味に、特に狙いも定めず適当に放たれた散弾は三人に命中し、そのうちの一人は顔を抑えると悲鳴を上げながらその場にうずくまった。

 その顔から地面に血がしたたり落ちる。

 あまりの事に群衆が静まり返る中、他のゴブリン騎兵も次々と松明を投げつけ、銃を取り出して次々に発砲を始めた。

 群衆はさすがに怯み、半数が悲鳴を上げて逃げ始める。


 短小銃は一発撃てば次の一発を撃つまで時間がかかる。群衆の中にいた元軍人たちはそのことを知っているので踏みとどまろうとしていた。

 今度はそこへ、最初に発砲したゴブリン騎兵が投擲爆弾グラナートゥムを投げつけた。



 投擲爆弾はレーマ帝国軍の主要な武器の一つである。主に軽装歩兵ウェリテス騎兵エクィテスが用いる。

 肩掛けカバンのような長い紐のついた麻袋に、黒色火薬の詰まった青銅製の爆弾が納まっている。

 爆弾の蓋には真鍮製のリングの付いた棒が刺さっており、赤燐を利用した発火装置になっている。リングを持って棒を引き抜くと発火、投擲手はその後肩紐を持って振り回し、ハンマー投げの要領で投擲する。

 爆弾は発火してから約十秒で爆発する。

 青銅製の容器の表面には格子状に溝が掘ってあり、爆発する際は破片となって飛び散るように工夫が施され、その殺傷力は侮れない。

 レーマ軍の軽装歩兵や騎兵は遊撃的に戦場を駆け回り、この投擲爆弾を使って敵陣を崩すのが主要な任務の一つになっている。


 

 重さ十二リブラ(約四キロ)の投擲爆弾を投げつけられた相手の男は、胸元に重量物をぶつけられた衝撃に耐えきれず「うっ」と呻いてそのまま倒れた。

 倒れた男の周辺にいた群衆は足元に転がる麻袋から煙が噴き出しているのを見て、それが投擲爆弾だと気づくと悲鳴を上げて逃げはじめる。だが彼らに投擲爆弾の威力範囲から脱出するだけの時間は残されていなかった。


 パン!という乾いた爆発音とともに、榴弾が飛び散り、白煙が広がった。


 密集した群衆の中で爆発する爆弾は人体によって爆風や榴弾の威力を殺がれてしまい意外と威力を発揮できないものだが、爆発直前に周りの人間が逃げようとして周囲の空間ができてしまったがために爆弾は発揮されるべき威力を存分に発揮した。

 八人がたおれ十一人が負傷。負傷者のほとんどは地表付近で爆発した爆弾の榴弾が足に当たったものだった。


 直接被害を受けた人々より更に外側では、逃げようとする群衆と爆風によって多くの人が押され転倒した。少なからぬ人数がドミノ倒しのように折り重なって倒れるのと同時に白煙が広がり、周囲で転倒した人たちを覆いつくす。

 視界を奪った白煙が実態以上の被害を演出し見ていた者たちの恐怖をあおると、群衆から抗議の勢いは完全に殺がれ、一瞬にしてパニックが発生した。


 我先にと逃げ出す群衆は互いに押し合い、転倒し、踏みつけられ、死傷者を際限なく増やしていく。そこへ更なる投擲爆弾が投げ込まれ、容赦なく浴びせられる銃弾が追い打ちをかけた。


 この日、ティトゥス街道は竣工以来初めて血に染まった。

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