第48話 メルヒオール・フォン・アイゼンファウスト

統一歴九十九年四月十日、朝 - アイゼンファウスト/アルトリウシア



「いいか!お前たちは住民を川岸へ誘導しろ!

 火の風下のバラックは誰も居ないの確認してからぶっ壊せ!

 中に誰かいたら引きずり出せ!

 ハンス!そっちは任せたぞ!!」


 風がいよいよ焦げ臭くなってきた中、玄関オスティウム前に集まってた手下に大音声だいおんじょうで命じると、そこに居た男たちは喊声かんせいを上げながら散っていった。酒と喧嘩と博打に明け暮れるどうしようもないゴロツキどもだが、この時ばかりは戦士然としていた。

 命じたのは彼らにとっての英雄メルヒオール・フォン・アイゼンファウスト。

 言わずと知れた町を治める郷士ドゥーチェであり、同時に裏社会での顔役でもある。ここで男をあげれば、その生ける伝説の一部と成れるのだ。意気が上がらぬわけがなかった。



 メルヒオールの出自は誰も知らない。

 アルビオンニウムの暗黒街の孤児だったのだ。親の顔も知らないし、本当の名前も誕生日も知らない。メルヒオールという名は、いつの間にかそう名乗っていた。

 名付け親が自分なのか他の誰かなのかも知らない。今の歳は多分、四十二か三歳といったところだろう。物心ついたころには右手が無かった。


 子供のころは物乞いやかっぱらいで食いつないでいた。

 あるとき酔っ払いから荷物をかっぱらおうとして捕まりそうになり、勢いあまって殺してしまった。掴みかかってきた酔っ払いを追い払おうと、奪った荷物カバンを振り回したらそれが酔っ払いの頭に当たり、酔っ払いはそのまま倒れて動かなくなった。荷物カバンの中に銅貨の詰まった革袋が入っていて、たまたまそれが致命傷を与えたのだった。

 暗黒街では珍しくもない事件で、犯人は捕まらなかったし、凶器も不明。それどころか被害者の身元すら判明しなかった。


 次の日、その銅貨の詰まった袋を持って飯を食いに行った。

 軽食屋バールで生れて初めて豆と屑野菜の入った温かいプルスを啜った。大満足で店から出てきたところをチンピラに見咎められ、絡まれ、そのまま裏路地へ連れていかれた。

 このままではせっかく手に入れた金を奪われてしまう。

 周囲に人影はなく、目の前にはメルヒオールに背を向けたまま歩くチンピラ一人。チャンスだと思ったメルヒオールはそのチンピラの後頭部を銅貨の詰まった革袋でぶん殴った。

 メシャッという嫌な音がして、チンピラは声もあげずにその場に倒れた。後頭部がこぶし一つ分くらい凹んだチンピラは身体をピクピク痙攣させていたが、そのまま動かなくなり、やがて死んだ。

 暗黒街では珍しくもない事件で、犯人は捕まらなかったし、凶器も不明だった。


 その日を境に、メルヒオールは殺人にも手を染めるようになった。武器は小銭の詰まった革袋。最初は奪うため、人通りの少ない裏路地で一人で歩いてる奴を襲った。

 暗黒街では珍しくもない事件で、犯人は捕まらなかったし、凶器も・・・。


 やがて殺人を請け負うようにもなった。

 前腕の途中までしかない右腕の、袖の中に小銭の入った革袋を仕込んだ。

 隻腕で武器も持っていないチビで痩せっぽちの少年を警戒する奴は滅多にいない。油断させて近づき、右腕の革袋を抑えていた紐を外す。そして右腕から伸びる皮紐の先にぶら下がった小銭入りの革袋を振り回して、相手の頭を殴る。

 メシャッ・・・という音の後で相手は倒れる。

 暗黒街では珍しくもない事件で、犯人は捕まらなかった・・・。


 誰にも手の内は明かしたことは無いし、犯行の現場を誰かに見られたことも無い。仕掛けが見付かったことはあるが、小銭の入った革袋が彼の武器だと気づかれたことは無かった。小銭をどこかに隠し持つくらい、誰だってするからだ。

 殺し屋として実績を重ねるうちに、いつしか『鉄拳』アイゼンファウストという二つ名がついた。メルヒオールに殺された奴は、一様に頭のどこかが陥没していたし、メルヒオール自身も依頼者に報告する時はただ「殴り殺した」としか言ってなかったからだ。

 暗黒街では珍しくもない事件・・・。


 次第に顧客が増えて名を知られるようになり、ある仕事をこなした後で依頼主だったギャングのボスから直接スカウトされた。彼の店の一つを任せられるようになり、子分もできた。

 抗争があれば、その都度手柄を立てて名をあげた。任せられる店や仕事も増えていき、子分も増えて行った。いつしか、ギャングではナンバー3か4ぐらいの地位に上り詰めていた。


 ボスがそろそろヤバいらしい。もうベッドから起き上がる事もほとんどなくなったそうだ。


 ギャングの幹部連中でそんな話がささやかれ始め、暗に跡目をどうするかボス亡き後の去就を決めるよう周囲から促されるようになった。

 順当に行けばナンバー2が後を継ぐのが自然だ。人格にも問題はないしメルヒオールとの仲も悪いわけじゃない。それどころか、店を任されたばかりのころ、色々と世話を焼いてくれたのはナンバー2だった。

 今でもメルヒオール自身は彼をアニキと呼んで慕っているくらいだ。

 しかし、幹部連中の実力差はそれほど大きいわけじゃなかった。メルヒオールがナンバー2の下につくのを良しとしないんじゃないかという噂は絶えない。ナンバー2を倒して自分が跡目を継ぐんじゃないか?別れて新たに一家を立ち上げるんじゃないか?といった噂話に、訳知り顔で花を咲かせるチンピラは吐いて捨てるほどいた。

 しかも困ったことに、そんな訳知り顔のチンピラを最も多く手下に抱えているのはメルヒオール自身だった。

 彼らはまだ二十代半ばぐらいで勢いのある自分たちの頭『鉄拳メルヒオール』メルヒオール・デア・アイゼンファウストが、跡目争いで大人しくしてるわけがない・・・という傍迷惑な期待を寄せていたのだった。


 そんな時に舞い込んできたのが、子爵になったばかりのグナエウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスが海賊退治の兵を募集しているという話だった。

 噂ではアルトリウシアは天然の良港で、将来はアルビオンニアの主要な貿易港として発展するらしい。

 海賊退治に協力すれば、手柄次第で褒美も出るし仕官もありうる。新興貴族の領都に堂々と縄張りを広げるまたとない機会だ。幸い、手下の頭数に不足はない。

 メルヒオールはこの話に飛びついた。


 メルヒオールは早速ボスやナンバー2アニキをはじめ幹部連中に話を通し、協力と支持を取り付けた。跡目問題の暴発を未然に防ぎ、同時に手下たちの期待にも応えるアイディアは、思った以上にすんなり受け入れてもらえた。

 メルヒオールは直参の子分と、他の幹部から回してもらった子分、そして勝手について来たチンピラたち、あわせて三百名ちかい手勢を引き連れてアルトリウシアへ向かった。彼の手勢は参加した傭兵部隊(実態は彼同様のヤクザ者たち)の中で最大勢力だった。


 南蛮軍サウマンとの戦争に忙殺されているアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに代わり、傭兵部隊はアルトリウシア子爵の私兵部隊の指揮下で海賊退治に投入された。

 結果、メルヒオールは手勢の二割を失い、残りの約半数を負傷させることになった。

 多大な犠牲を出した上に手柄争いでもトップを逃してしまったものの、功績は十分認められて騎士エクィテスの称号と郷士の地位を賜った。

 それ以来、ヤルマリ川とセヴェリ川に挟まれた平野部の統治を子爵から任されている。


 爵位こそないが、いっぱしの貴族ノビレスだ。


 メルヒオールに家名は無かったが、貴族には家名が必要だと言われた。それを機に二つ名として定着していた『鉄拳』アイゼンファウストをそのまま家名として名乗り、任地の地名もアイゼンファウスト地区と命名された。

 それ以後、メルヒオール・フォン・アイゼンファウストと名乗っている。


 町のチンピラに過ぎなかった隻腕の孤児が腕っぷし一つで貴族の仲間入りを果たした・・・貧民街の男たちなら羨望を抱かずにいられない、彼はまさに生ける伝説であった。

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