第49話 仮初の勝利

統一歴九十九年四月十日、朝 - アンブースティア/アルトリウシア



 混乱から物理的に距離を置くことは、混乱に巻き込まれないための最も簡単で確実な方法である。


 現場に急行するために、あえて交通量が少なく道路の広い河川敷を突き進んだティグリスとその直卒部隊は、結果的に火災で巻き起こった混乱から物理的な距離を保つことになった。

 あれから短小銃マスケートゥムを持った手下が十六人合流し、戦力は四十一人に増えている。


 一行がおそらく最初に火災が始まったであろう場所が見える辺りにたどり着いた時、そこは既に焼け野原になっていた。広範囲に広がる黒く燃え残った瓦礫の山々からはまだ白い煙が吐き出され、風が吹いているにもかかわらず辺りをかすみのように覆っている。

 その中心では約三十人ほどのゴブリン兵が集まり、ティグリスから見て左・・・つまり東の方へ向かって散発的に銃撃を繰り返していた。


 どうやら、街中に配置していたティグリスの手下の一部と銃撃戦を行っているらしい。だが、どちらも有効な打撃は与えられないでいるようだった。


 敵が彼らゴブリンの風下にいるので、彼らが撃った際の発砲煙がそのまま煙幕となって敵の姿を隠してしまい、敵の位置や様子を把握しきれないでいるのだった。ただ、それはティグリスの手下たちについても同様で、ゴブリンたちを正確に狙って撃っているわけではないらしい。

 現に、左から飛んでくる銃弾は全然関係ない場所に着弾している。

 互いに瓦礫のバリケードに隠れながら及び腰で撃ちあっているという事もあって、敵味方どちらにも被害らしい被害は出ていないようだ。



「よし、やつらの横っ面に一発かましてやる。

 野郎ども、今のうちに弾を込めろ!こっから寄るだけ寄って一斉射撃だ。」


 状況を観察しながらティグリスが命じると手下たちは弾を込め始めた。

 機敏とは言い難い手つきで弾を込め終わると、黙ってティグリスの顔を見る。


「よし、なるべく気づかれない様に近づくぞ。

 気づかれたらその場から一斉射撃だ。

 そん時は前の奴は膝をついて姿勢を低くしろ。」


 ティグリスが低い声でそういうと手下たちは黙ってうなずく。

 そしてティグリスが行くぞとハンドサインを出すと、全員が姿勢を低くして静かにやや右寄りに前進を始める。少しでも敵の後ろ側から襲い掛かるためだ。

 ティグリスたちが前進している間に左から聞こえてくる銃声が急激に減り、やがて止んでしまった。


 間に合わなかったか?くそっ、かたきは取ってやるぞ。


 ゴブリンたちはまだ左の方へ注意を向けており、ティグリスたちに気付いてはいない。れる気持ちを抑えながら、見つからない様に、音を立てない様に、姿勢を低くしたまま足早に歩を進める。

 あと十四ピルム(約二十六メートル)ほどというところで、何気に振り向いたゴブリンの一人と目が合ってしまった。


 気づかれた。もう少し近づきたかったが仕方ない。


構えパラトゥス!」


 ティグリスが吠えた。

 手下たちはドタドタと足音を立ててティグリスの両脇に広がり。横隊を作るとサッと銃を構える。

 予想外の方向からの敵部隊の出現に、ゴブリンたちの間に動揺が広がった。


撃てぇーイグニオー!!」


 パッパパパパパッパパッパッと、やや不ぞろいな銃声が鳴り響く。


 四十一丁の銃から放たれた三十七発の弾丸が密集していたゴブリン兵に向けて飛んでいく。無防備にさらされた横っ腹に至近距離から浴びせらえた銃撃はゴブリン部隊に決定的なダメージを与えた。

 着弾と共に悲鳴が上がり、十一人のゴブリン兵がその場に倒れる。



次弾装填オネロー・イテルム!」


 敵の様子は発砲煙の向こうに隠れて見えなくなってしまったが、その前に十人近く倒れるのが見えた。奴らは有効な反撃など出来ないだろう。落ち着いて戦えば勝てる。

 ティグリスがそう考えながら手下たちが弾を込めるのを待っていると、煙の向こうから喚声が上がった。弾を込めている手下たちに動揺が広がる。


「まさか・・・いや」


 ゴブリン兵の反撃かと思ったが、喊声はゴブリンたちが居た方向よりもやや左から聞こえてくる。

 右から吹き付ける西風に流された発砲煙の先に見えたのは、倒れた仲間を見捨てて逃げようとするゴブリン兵と、そのゴブリン兵に向けて左手の瓦礫の中から突撃を開始したティグリスの手下たちの姿だった。

 彼らは別に全滅して沈黙してしまったわけでも逃げ散ってしまったわけでもなく、銃撃戦の最中に敵の左後方から接近しようとするティグリスたちを見つけ、攻撃のタイミングを合わせるべく射撃を見合わせていたのだった。


 パン!パパン!!


 廃墟から飛び出してきたティグリスの手下たちに向け、ゴブリンは装弾済みだった短小銃をぶっ放す。碌に狙わずに撃った三発の銃弾では、三十人の突撃を留めることはできない。不運な一人を転倒させただけだった。


「よーし!こっちも行くぞ!」


 ティグリスが叫ぶと、彼が直卒していた四十一人は「おう!」と応えて駆け出した。

 逃げ遅れたゴブリン兵の何人かは追いつかれ、殴られ、刺され、斬られ、倒され、踏みつぶされた。生き残った十三人が橋へとたどり着き、川向うへ必死に走る。



 ウオレヴィ川の川幅は五十ピルム(約九十三メートル)を超えるが、彼らの目の前にかかっている橋はかろうじて馬車がすれ違える程度の幅を持った木製の粗末な橋である。丸太の橋脚に丸太の橋桁を渡して板を敷いただけの簡素な造りで欄干もついてない。

 おかげで年に何件か酔っ払いが転落する事故が発生しているが、被害者の九割はハン支援軍アウクシリア・ハンのゴブリンだった。


 その簡素な橋の上を十三人のゴブリンが無防備に背中を晒しながら後ろも振り返らずに必死に走る。


 橋を渡って追撃しようとする手下をティグリスは引き止め、代わりに短小銃を持った手下たちに銃撃させることにした。

 ティグリスが直接率いてきた手下が四十一人、それに先ほど合流した二十九人の中で銃を持っていた十六人を加えた、計五十七人が川岸に横一列に並び銃を構える。


撃てイグニオ


 フリントロック式の銃は一般に不発率が高いが、射撃を繰り返して銃自体がある程度温まると不発率が低下する傾向がある。五十七丁の短小銃のうち五十四丁が火を噴いた。

 橋の上にいたゴブリン十三名のうち十一人が倒れたが、倒れたうちの一人は再びよろよろと立ち上がって這うように逃げて行った。



 煙が晴れて橋の上に倒れているゴブリンを見たティグリスたちは喊声かんせいを上げ・・・る事は無かった。

 煙が晴れる前に、橋を渡ってすぐ右手にある海軍要塞カストルム・ナヴァリアからの銃撃を浴びたからである。


 距離が離れていた事もあって命中率は低く、死者こそ出なかったが八人の手下が負傷した。うち二人が重傷だった。

 海軍基地からの射撃には、そのうち係留されているガレアス船『バランベル』の船首に積まれた旋回砲まで動員され始めた。


 さすがに川向うの大砲相手に短小銃ではかなわない。今の戦力では橋を渡って突撃しても被害が出るだけで終わってしまう。

 勝利に水を差される形になってしまったが、ティグリスは一旦大人しく引き下がるしかなった。



 ティグリスたちが川岸から姿を消したことで海軍要塞からの銃撃は止んだが、砲撃はそのまましばらく続いた。

 狙われていたのは橋だった。

 砲撃に使われていたのは小型の旋回砲だったが、簡素な橋を壊すだけの威力は持っていた。しつこい砲撃によって橋脚一本とその橋脚に乗っていた橋桁が破壊され、橋は通行できなくなってしまった。


 ティグリスは反撃を諦め、何人かの手下たちに見つからないよう隠れて海軍要塞を見張るように命じると、残りの手下と共に火災対応へ向かった。

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