第1395話 肖像画の事情説明

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュキスカは対面のリュウイチの背後に立つネロを座ったまま見下ろせるように背もたれに体重を預けてけ反り、足を組む。


「アンタが嘘ついてないことぐらい分かってるわよ、ネロさん」


 思いもよらぬリュキスカの言葉にネロの視線はリュキスカに向けられる。


「し、しかし奥方様ドミナは今、旦那様ドミヌスと自分を信用できないと……」


「嘘ついてなくったって全部を話してないなら一緒だろ!?」


 眉をひそめたネロの指摘をリュキスカは最後まで言わせなかった。そして再びロムルスの方へ顔を向ける。


「ロムルスさん、アタイは別に兄さんやネロさんが嘘ついてるかどうかとか知りたいわけじゃないんだよ!

 この二人が言ってないことがあるんだろ!?

 構わないから言っとくれ!」


 リュウイチはリュキスカが何を怒っているのか、そして自分の何が至らなかったのかようやく理解した。だが、ここで口を挟めば余計に事態を混乱させるだろう。今はむしろリュキスカの満足するように流した方が良い。リュウイチは顔を上げると、尚も抗議の構えを見せていたネロを右手をかざして制止し、どうしていいか分からず困惑しているロムルスへ頷いて見せた。

 ロムルスはリュウイチが許可したことに気づくとゴクリと喉を鳴らして唾を飲みこみ、恐る恐る話し始める。


「その……最初はマルクスウァレリウス・カストゥス様が言ったんです。

 プブリウス伯爵閣下がお抱えの画家に旦那様ドミヌスの肖像を描かせたいって……

 そしたら、アルビオンニアの貴族ノビリタエが反対し始めて……」


「何で反対したんだい?」


 ロムルスのたどたどしい話し方を少しばかり不快に思ったリュキスカは先を促した。


「へぃ、その、旦那様ドミヌスのことはまだ伏せにゃなりませんから、それなのに画家に絵を描かせるのは都合が良くねぇってことで……」


「ふーん、じゃあ何で絵を描かせるって話になってんだい?」


「そりゃあ、絵が描きあがるまでには時間がかかりやすから、旦那様ドミヌスのこと世間に公表するころにちょうど描きあがるように、今から準備を始めようって話になったんで……」


「ふーん……じゃあアルビオンニアの貴族たちノビリタエは納得してんだね?」


「そりゃ、画家を用意するって言いだしたくらいですからね」


「じゃあ、何で伯爵様は急に兄さんやアタイの絵ぇ描かせるとか言い出したんだい?」


 このリュキスカの質問にロムルスは答を思いつかなかった。ロムルスの記憶には無かったからだ。救いを求めるようにネロやリュウイチに視線を送る。


「え、えっと……まずは、伯爵様が旦那様ドミヌスの御姿を見たいとか……?」


「ハッキリしないね、憶えてないのかい?」


 しどろもどろのロムルスにリュキスカが不満を露わにすると、ロムルスはヘラッと申し訳なさそうに笑って頭を掻いた。それを見て呆れたネロがしょうがないという憮然とした表情で答えた。


「まずはプブリウス伯爵閣下旦那様ドミヌスの絵姿をお求めであること。次いで、そろそろ旦那様ドミヌスの御姿を世間に広めるための準備もされるべきだとのことでした」


 勝手に補足したネロをリュキスカはうるさそうに見ると、ネロはプイッと視線を逸らして正面の壁へ視線をずらす。リュキスカはそのネロの態度に苛立ちを覚えつつ、ネロを見たままロムルスへ疑問を投げかけた。


「今の話だと伯爵様がお求めなのは兄さんの絵だけだったんじゃないのかい?」


 その一言にネロの目が丸くなる。それを見届けたリュキスカはロムルスの方を向いた。


「さっきの話だと、アタイも描かれるようなこと言ってたんだけどねぇ?」


 ロムルスに向けられたリュキスカの表情は微笑んでいたが、その目と声は笑ってない。何でリュキスカも描かれることになったか……それはリュウイチがルクレティアやリュキスカの絵も描くべきだと指摘することでサウマンディア貴族とアルビオンニア貴族の衝突を避けようとした結果だった。つまりリュウイチがリュキスカに無断で勝手に問題に巻き込んだようなものである。そしてリュウイチはリュキスカにこのことを話すのを忘れていた。リュキスカを巻き込んで置きながら隠していた……そうとられてもおかしくはない。

 ただでさえ今日は朝からリュキスカの機嫌が良くなく、リュウイチとの仲が悪くなりそうな様子なのだ。ロムルスの説明の仕方によっては、リュキスカとリュウイチは決定的な破局を迎えかねない。他人の醜聞ゴシップが大好きなロムルスであっても、さすがに自分の仕える主人と女主人が自分のせいで破局を迎えることは望まない。その責めを自分が追わされることになる可能性が高いことは疑いようがないからだ。


「ああ~、いやそのぉ~……」


 口元を抑え、アワアワと狼狽えるロムルスは話を聞きそびれてましたとか忘れてましたとかいう様子ではない。明らかに何か都合の悪いことを隠している者の態度だ。


「ロムルスさ~ん?」


 リュキスカの冷たい声が部屋の体感気温を10℃は下げただろうか?


『リュキスカ、私から説明するよ』


 二人の奴隷に任せっぱなしにしてしまっていることへの自責の念に堪えかねたリュウイチが顔を上げた。それを聞いたリュキスカはリュウイチの方を向いて姿勢を正し、ロムルスは人知れず胸を撫でおろす。


『たしかに、伯爵が絵を描かせてほしいと言ったのは私一人でした』


 リュキスカはフンッと小さく鼻を鳴らしたが、それ以外に特に反応を示すことは無く、そのままリュウイチが続きを話すのを待っている。


『えーっと、私も良く分かってないんだけど、貴族にとって一番最初に私の肖像を描かせるのはどうも自慢になるらしい。

 それでエルネスティーネさんやルキウスさんは私のことを秘密にすることを優先して画家の準備をしてなかったんだけど、その隙を突く形で伯爵が抜け駆けしようとしたみたいなんだ。

 で、地元に私が居るのに他所の貴族に先に私の肖像を描かれると、エルネスティーネさんやルキウスさんたちにとってはどうも恥みたいになるそうなんだ』


「そりゃそうだろうねぇ、それで?」


『それで、エルネスティーネさんもルキウスさんもなんとか止めてもらおうとしたみたいなんだけど、マルクスさんに押し切られちゃってね。

 描かせないわけにはいかなくなった。

 でもこのまま描かせると伯爵は名声があがるかもしれないけど、エルネスティーネさんやルキウスさんは恥をかかされることになって、このままだとサウマンディアとアルビオンニアの関係が良くないことになってしまう。

 それでその……どうせ肖像を描いて世間に広めるなら、聖女になったルクレティアや君の分も一緒に公表しないといけないんじゃないかって、私が言って……それでその……アルビオンニアとサウマンディアで協力して、私たちの肖像を用意するってことに……』


 リュウイチが話している間、リュキスカは極力表情を変化させないようにジッとリュウイチを見つめていた。だが反応の無い相手に後ろめたいことを話し続けるのは、慣れない者にとっては精神的にかなりキツイものがある。ましてリュキスカは目鼻立ちの整った端正な顔つきをしていた。混血らしくこの辺りでも珍しいエキゾチックな美人である。そして無表情の美人というのはただでさえ怖い。リュウイチも覚悟を決めて放していたはずが、次第に尻すぼまりになっていかざるを得なかった。


「ふーん」


 リュウイチの話が途切れ、そのまま続かなくなると、リュキスカは溜息とも相槌とも唸り声ともつかぬ何とも言えない声を喉奥から漏らしながら上体の力を抜いた。おもわずリュウイチがビクビクと様子をうかがう。


「わかったよ。

 つまり、貴族様たちノビリタエが揉めないようにするために、兄さんがアタイとルクレティア様を巻き込んだんだね?」

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