第1394話 いさかい

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 報告会はつつがなく終了した。元々アルビオンニア貴族たちがリュウイチに自分たちは頑張ってますよ、リュウイチ様の融資は無駄にしてませんよというアピールのために行われる一種の出し物パフォーマンスのようなものであり、参加者同士が意見を交わしたりするようなものではない。前日にリュウイチとリュキスカ以外の参加者全員が参加しての綿密なリハーサルが行われ、報告内容も入念に吟味ぎんみしているのだから、不測の事態など起こり様がない。おまけにリュウイチは無駄に波風立てるのを嫌う大人しい性格だったし、リュキスカは貴族社会とは距離を置きたいと思っているからこういう場で目立つようなことはしないのだから、全ては予定調和……波乱など起きようはずも無かった。

 ただ、今回はチョットしたハプニングみたいなことはあった。昨日のマルクス・ウァレリウス・カストゥスからの申し出を受け、アルビオンニア側も大至急画家を用意するという報告がなされ、そこで自分の肖像も描かれると聞いたリュキスカが驚き、一瞬取り乱したのだ。これはリュウイチがリュキスカに話しておくべきことだったのだがすっかり忘れていたのだった。


第一聖女プリムス・サクラの御姿を映した肖像ならば、見た者はきっと心を奪われることでしょう」


 リュキスカは見え透いた御追従おついしょうとも揶揄からかいともとれる貴族たちの言葉をオホホとすまし顔で受け流したが、その後はリュウイチのことをジトッとした目で見、リュウイチは言い忘れたことを後悔する。そしてリュウイチは会議の後、控室でリュキスカになじられることになるのだった。


「兄さん、アタイ肖像描いてもらうなんて話聞いてなかったんだけど?」


 控室に戻ったリュウイチが長椅子クリナに腰かけると、いつもは離れたところに座ってフェリキシムスと遊び始めるリュキスカが珍しくリュウイチの真正面に座り言った。


『え、いやぁ、うん』


 リュキスカの冷たい声にリュウイチは思わずしどろもどろになる。


『昨日、急に持ち上がった話なんだ』


「昨日持ち上がった話なら、今朝話せたじゃないさ?」


『まだ正式に決まった話じゃなかったんだよ!

 だからその、正式に決まってから言おうと思ってたんだ』


 リュウイチの説明は正確ではなかったが全くの嘘でもない。リュキスカに言うべきだとは思っていたのだが、リュウイチは肖像画の話はまだ正式に決まった話ではないと認識していたので他の話題よりも優先度を下げ、結果言い忘れてしまっていたのだ。

 だがこれはリュウイチの誤解もある。肖像画を描くということ自体は貴族たちの間では既に決定事項だった。ただ、どの画家にどのように描かせるかという具体的なところが決まっておらず、それを今後話し合って決めましょうという話になっていたに過ぎない。それをリュウイチは話が具体的なところまで煮詰められて初めてと言えるのだと考えていたので、まだ正式に決まったわけではないと誤解していたのである。


「ふーん……」


 リュキスカは腕組みをし、リュウイチが目を泳がせながらする説明をいぶかしむ。嘘をついているという自覚の無いリュウイチは何故自分がこうも責められているのか、何で自分が後ろめたい気分になっているのか分からなかった。


「ネロさん!」


「ハッ!?」


 リュウイチの目をジッと見つめたままのリュキスカに唐突に名前を呼ばれ、ネロは虚を突かれながらも反応する。


「どうなんだい?」


 え、オレ信用無いの!? リュウイチはリュキスカが目の前でネロに確認を取ったことにちょっとショックを受けた。


「何がでありましょうか!?」


 ネロはリュキスカの態度を不快に思いながら、それを押し殺すためにあえて軍人っぽく硬い態度で問い返す。


「兄さんの言ったことさ。

 ホラ、兄さんは《レアル》から来たんだからさ、こっちの世界の事、たまに分かってなくて勘違いしてたりするじゃないさ。

 ネロさんの目から見て今回もそういうことは無かったのかいって訊いてんのさ」


 ネロは口をへの字に曲げた。リュキスカの女性にしては明け透けな態度は下級貴族ノビレスの家に生まれ育ったネロにとってあまりにも異質であり不快を禁じ得ない。お互いの立場を考えれば反抗するなど許されないが、ネロはリュキスカと目を合わすことなく直立不動の姿勢のまま答える。


「ございません!」


「ホントかい!?」


旦那様ドミヌスの肖像を画家に描かせるという話は昨日、サウマンディアのマルクスウァレリウス・カストゥス様が初めて申し出されたことです!」


 リュキスカはネロの態度から本能的にネロが正直に話してないと悟った。初めて会った時からネロはリュキスカのことを嫌っていたし、それはリュキスカが魔力を得て正式に聖女サクラとなった今でも変わらない。しかしネロは糞真面目な性格だ。だからあからさまな嘘はつかないだろうと見込んでリュキスカは尋ねたわけだが、どうやら頼るべきではない相手に頼ってしまったらしい。ネロは嘘はついていないが本当のことも言っていない。嘘をつかずに本当のことを隠されるとは思ってもみなかったリュキスカはジロッとネロをにらみ上げ、そのあとスッと上体を起こすとロムルスへ視線を移した。


「ロムルスさん、どうなんだい!?」


 これは男尊女卑だんそんじょひ社会のレーマ帝国においてかなり失礼な行為と言える。うやまうべき男性にあからさまに不信をあらわにしているのだ。レーマ帝国の平均的な男性なら激昂し、リュキスカと喧嘩をおっぱじめてしまうことだろう。事実ネロはリュキスカに目をき、グッと息を飲む。


「いや、あ、じ、自分でありますか?」


 唐突に始まった修羅場に内心でウキウキしていたロムルスは突然その渦中に引きずり込まれ慌てふためいた。リュウイチは額に手を当てうつむくと、溜息を噛み殺す。


「この部屋にロムルスなんて名前の人、他にいないじゃないさ!?

 アンタも昨日は一緒にその場に居たんだろ?」


「い、いました……」


「じゃあ答えられるだろ。

 どうだったんだい?」


奥方様ドミナ!」


 見かねたネロが口を挟んだ。リュキスカはキッとネロを睨みあげる。


旦那様ドミヌスや自分のことが信じられないのですか!?」


 リュキスカはネロを睨んだまま興奮を抑え込むように無言のまま数度呼吸を繰り返し、チラリと視線だけでうつむいたままのリュウイチを見、すぐに視線をネロに戻すとボソッと答えた。


「信じられないねぇ」


 ネロは目を更に丸く、小鼻を膨らませて息をスッと勢いよく吸うと、あえて声量を抑えて訴えた。


旦那様ドミヌスも自分も、嘘はついておりません!」

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