第1393話 不自由な立場

統一歴九十九年五月十二日・昼 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 結局のところ、セウェルスに出来ることは何もなかった。セウェルスが自由の身であれば、せめて今日が平日ならば何か対応も出来ただろう。だが、今日は降臨者リュウイチを招いての報告会であり、セウェルスの上司であるカトゥスにとって極めて大切な会議だった。

 貴族ノビリタスの権勢……その本質は人脈である。特に自分より高貴な人物との人脈は、貴族にとって極めて重大な価値がある。それがこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な存在である降臨者リュウイチとなれば、爵位を持った上級貴族パトリキたちでさえうらやむ無形の宝となるだろう。

 要塞司令プラエフェクトゥス・カストルムであるカトゥスはリュウイチの存在について知り、直接会うことの許された数少ない貴族ノビリタスの一人ではあったが、彼の立場でリュウイチに公式に会うことができるのはこの報告会のみだった。それ以外では稀に晩餐ケーナに招かれる程度であるが、その時は大抵は自分より高位の貴族に付き添う形であるため、彼は自分の存在をリュウイチにアピールすることができない。それではダメだ。

 カトゥスに限らないが、貴族たちは己の存在をリュウイチに知ってもらいたいのだ。自分の顔と名前を憶えてもらい、何かあった際に自分の顔と名前を思い出してもらい、そして用事を頼まれるようになりたいのだ。そしてリュウイチの要望に応えつづけることで、いずれは自分の側の頼みごとも気持ちよく耳を傾けてもらう……そんな間柄になりたいのだ。そのためにはリュウイチの前で発言する機会を、自分が優れた人間で役に立つ人物であることを知ってもらわねばならない。

 幸い、カトゥスはこのマニウス要塞カストルム・マニの要塞司令官だ。アルトリウシア防衛の最大の拠点であり、多数の避難民を収容し、そしてリュウイチ自身も起居する要塞カストルムの現状について報告する立場にある。カトゥスがリュウイチに、そして同席する主君ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵に、その跡取り息子で要塞に駐屯するアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニスアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に、自分の存在をアピールする機会は彼にとってこの上なく大切なものなのだ。

 報告会がセウェルスが仕える上官にとってそれほど大事なのだから、セウェルスも全力でサポートすることが求められている。会議を欠席したり中座するなどもってのほか……彼はカトゥスの椅子の少し後ろに設けられた副官用の座席に座り、会議のメモを取り、必要な助言を行ったりしなければならない。当然、実の姉が唯一残った財産を失おうとしているからといって、仕事を放りだすことなど認めてもらえるわけもないのだった。


 報告会が終わるのは午後になる。その後で会議の議事録を纏め、要塞司令部のスタッフと共有し、急いで処理しなければならない案件については従兵に命じて必要な部署に必要な通達を出さねばならない。カトゥスが会食にでも招待されてくれでもすればセウェルスも多少は自由に動ける隙くらいは作れるかもしれないが、隻脚の彼が要塞から出て姉の家まで行けるほどの時間は流石につくれない。

 急いで対応するには誰かに相談するしかないのだろうが、ネロとセウェルスの共通の知り合いでネロの事情を知っていてこの問題に対応できる人物というのは極めて限られる。その中でさらにセウェルスが接触できる人物となると、もう数人しかいない。

 ルキウスやアルトリウスは身分も職掌も違っていて、セウェルスは直接相談出来る立場にはない。上官のカトゥスはセウェルスのことは気に入っているが、ネロについては軍命違反者ということもあって嫌っている風であり協力的ではない。会議の前にチラッと相談しようと試みたが、ネロが絡んでいると気づいた時点であからさまに難色を示したから無理だろう。あとは新設の特務大体コホルス・エクシミウス大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスぐらいだが、彼や彼の部下の百人隊長ケントゥリオたちは今日は陣営本部プリンキパーリスで行われる侯爵家の日曜礼拝の警備で動けない。


 セウェルスは娘のルーナに「必ず何とかするから、今日一日だけでいい、プリマに待つよう伝えて時間を稼いでくれ」と伝言と指示を託し、戻すしかなかった。ルーナに付き添って来た次男のディデウスは来たついでに要塞内を歩き回りたかったようだが、リュウイチを収容しているせいでただでさえ警備が厳重になっているところへ、侯爵家の日曜礼拝なども相まって警備に就いている兵士らが神経質になっていることもあって、今日のところは帰らせた。

 ディデウスは十三歳という年頃(ホブゴブリンなのでヒトなら十五歳くらいに相当)もあって、どうも軍隊や要塞というものに興味が強いらしい。友達の間では父親が元・百人隊長で今は要塞司令部に勤めているということがステータスになっているらしく、そのステータスを更に増進させるべく要塞内や軍隊のことを色々知りたいらしいのだ。父親としては嬉しくはあるのだが、さすがに今日は都合が悪い。「姉さんルーナに街中を一人で歩かせるつもりか」と言ったら不承不承ながらも納得して帰ってくれたが、後で何か埋め合わせはしてやらなきゃいけないだろう。


 ともあれ、重大な問題が起こったにもかかわらず何もできなかったセウェルスの心は穏やかとは言い難かった。さすがに無関係な貴族たちの前で感情を露わにするほど愚かでも子供でも無かったから、一応気持ちを切り替えて始まった会議に意識を集中してはいるが、どうしても上座のリュウイチの脇に控えるネロへ視線がチラチラと行ってしまう。セウェルスの見たところ、ネロは姿勢こそ落ち着いてはいるが、表情はどことなく暗い。


 待遇は奴隷セルウスにしては恵まれていると聞いているが、やはり言い知れぬ何かがあるんだろうか……


 話しかけたくはあるが、それは許されない。セウェルスは他の上級貴族を差し置いて勝手に行動する自由など与えられてはいないのだ。ネロは上級貴族たちよりも更に高貴な降臨者に仕える奴隷……リュウイチのそばに常にはべり、リュウイチが退席すれば一緒にリュウイチの控室へついて行ってしまうので、セウェルスが話しかける隙は一つもありはしない。

 もっとも、話してネロにしらせたからと言って何かが良くなることは無いだろう。ネロはリュウイチの傍から離れることなど出来ないのだし、まして要塞から出て母の居る実家へ戻るなんてできるはずもない。むしろ教えれば心をかき乱され、彼の仕事に支障をきたしてしまうだろう。


 セウェルスは何もできない自分といたずらに過ぎていく時間とに何とも言い難い重苦しさを覚え、今日何度目になるか分からない溜息を噛み殺すのだった。

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