第1385話 ゴルディアヌスの粘り腰

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 オトは顔をしかめた。バレなければいい……それはオトのような生真面目な職人が嫌う価値観だった。

 商売は何よりも信用が基礎となる。師匠の下で修行を積んだ若手職人が一人前として認められて自立するまでにはかなりな苦労が要る。何といっても一人前と認められる条件は顧客を満足させて信用を得る事なのだ。そしてその後も信頼に応え続け、長い年月をかけて信用を築くことで名声を獲得し、ようやくマエストロとして認められるのである。その間、顧客の信用を裏切るような失敗は許されない。一度でも信用を裏切れば名声は失墜し、どれほどの巨匠であっても没落は免れない。そこから再興するのは、新人の職人が開業する時よりもずっと多くの労力を強いられることになるのだ。

 もちろん、現実的な話をすれば馬鹿正直に品質だけを追求すればよいというような単純なものでもない。確かにバレなければ多少の手抜きは仕方ないという考え自体はあってしかるべきだろう。無駄に品質を追求しすぎてコストが見合わなくなれば、その仕事は成功したとは言えない。求められる品質は常にコストとのバランスの上に成り立つものなのだから、バレない程度に手を抜いてコストを抑える工夫は職人にとって必要な考えでもある。

 だが、何であれ悪事は必ず露見する運命にある。バレないようにした手抜きも、いずれはバレる時が来る。その時、それは当然の工夫だったと認めてもらえるか、それとも不当な手抜きだと責められるかどうかは常に考えておかねばならない。顧客が納得できない手抜きは詐欺と変わらないからだ。


 ではゴルディアヌスの今回の発案はどうだろうか?

 侯爵家が再び狙われるかもしれないという問題に《風の精霊ウインド・エレメンタル》の力を借りようという発想自体はまぁ合理的と言っていいかもしれない。だが、それを禁じる法があり、なおかつそれによって助けるはずの侯爵家が責めを負わされるかもしれないとなれば話は全く別だ。ゴルディアヌスの言っていることは侯爵家が知らない間に侯爵家に犯罪を犯させる行為なのである。たとえそれが百パーセントの善意から起こした行動だったとしても、結果的に相手に迷惑が及ぶのなら、それはやるべきではない。

 オトに言わせればゴルディアヌスは自らの工夫で解決すべき問題を《風の精霊》の力に安易に頼ることで楽をしようとしているのと同じなのだから、それは許されざる手抜きに他ならないのだ。


 オトは不機嫌そうに息を吐きながら腕組みし、自分より背が高いはずのゴルディアヌスを見下ろすように胸を張った。


「ゴルディアヌス、ダメだ。

 バレないわけがない」


 これにはゴルディアヌスも納得がいかなかった。だいたいリュウイチがフェリキシムスの問題に対処するために《風の精霊》を使ったのは、《風の精霊》なら他の誰かに見つかる心配がないからだったはずだ。


「何でだよ!?

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は自分で姿を見せようとしないかぎり、人の目にゃ見えねぇんだぜ?」


 オトは呆れたように首を振った。


「忘れたのか?

 今日来るのはマティアス司祭プリストア・マティアスだ」


 今度はゴルディアヌスが呆れたように首を振った。


「それがどうした、所詮はキリスト坊主だろ!?」


 レーマ帝国ではキリスト教聖職者を他の神官フラメンたちに比べて一段低く見る傾向があった。他の宗教の神官は修行をして魔力が使えるようになって初めて正式に神官になる。だから全ての神官は魔法が使える。しかしキリスト教聖職者はそうではない。神学を学んで聖書に記された教えを広め、信徒を導けるようになることが聖職者になれる条件とされていたから、レーマ正教会の聖職者は神官のような恰好をして神官のように振る舞う癖に魔法が使えるとは限らなかったのだ。このため、レーマ正教徒以外の者からはキリスト教聖職者はインチキ神官呼ばわりされることが少なくなく、ゴルディアヌスの発言もそうしたキリスト教蔑視に基づいている。

 だが、何事にも例外はあるものだ。レーマ正教会の聖職者にも魔法を使える者はいたし、マティアスはその最たる存在だったからである。そのことを知っていたオトは冷静にゴルディアヌスをたしなめる。


「ゴルディアヌス、キリスト坊主の全てがインチキ神官フィクティ・フラメンってわけじゃないぞ!?

 キリスト坊主の中でも司祭プリストアって称号を持ってる神官フラメンは魔法を使える本物なんだ」


 今度はゴルディアヌスが閉口する番だった。不服そうに顔を顰め、口を尖らせる。


「特にあのマティアスってのはその筆頭なんだ。

 カール様が悪魔き呼ばわりされた騒ぎがあったろ!?

 あれを治めるためにレーマから来たのがあの司祭プリストアだ。

 魔法を使えるキリスト坊主の中じゃ、一等なんだよ。

 ホントかどうかは知らないが、魔法の実力はルクレティア様にだって負けてないって話だぞ!?

 そのマティアス司祭プリストア・マティアスの居る所で《風の精霊ウインド・エレメンタル》様が何かしてみろ!

 一発でバレるに決まってるだろ!!」


 完全にお説教モードに入ってしまったオトが拗ねた子供みたいなゴルディアヌスの顔を覗き込むようにしながら言うと、ゴルディアヌスは喉の奥で低く唸った。

 ゴルディアヌスに対してこうも真正面から説教垂れられるのは軍団レギオー全体を見回してもオトだけである。大抵はゴルディアヌスの迫力に負けて竦んでしまい、及び腰になりながら虚勢を張るのがせいぜいだ。元の十人隊コントゥベルニウムの中でもリウィウスの場合はゴルディアヌスの言い分に耳を傾けつつ上手くなだめて言い聞かせる感じ。ロムルスは他の多くの連中と同じで及び腰になりながらフェードアウトしていく。アウィトゥスやヨウィアヌスとは衝突することがそもそもないし、カルスとは衝突する気にもならない。衝突しかけると必ず他から誰かが割って入ってきてまともに衝突したことは無いが、ネロは生意気な態度で頭ごなしに命令してくるだけだ。ネロはゴルディアヌスはもちろん、他の連中も対等な相手だとは見做していないんだろう。まともに正面からゴルディアヌスに向き合い、信念を持ってまっすぐ説教して来るオトはそれだけにゴルディアヌスにとって貴重な相手だった。尊敬しているとまでは言わないが、一目も二目も置かざるを得ない。

 そのオトが筋道立てて否定して来るのだから、ゴルディアヌスとしては安易に反発はできなかった。少なくともオトが言ってることが間違っているようには思えない。しかし、だからといってこのまま引っ込みたくはない。エルゼが怖がっているのは事実なのだ。犯人も目的も分からない以上、具体的に何をしてやれば助けられるか分からない。少なくともゴルディアヌスに出来るのは近くにいてやるくらいだが、残念ながらゴルディアヌスが侯爵家の日曜礼拝の場に入ることはできない。ならば、頼りになる実力者を送り込むほかないではないか……


「わ、わかった……」


 ゴルディアヌスは苦渋の決断でもするかのように目を閉じ、絞り出すように言った。が、だからといってそこで諦めるゴルディアヌスではない。そこまで物わかりの良い男ではないのだ。


「だけどよ、やっぱり《風の精霊ウインド・エレメンタル》様に話てみてくれねえか?」


「!?」


 オトは思わず目を剥いた。そのオトにゴルディアヌスは弁解するように両手を翳し、首をふる。


「いや、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様に出張ってもらおうたぁ俺ももう思っちゃいねぇよ!

 でもよ、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様なら俺たち人間とはまた違った知恵があるかもしれねえじゃねえか!?

 な?

 フェリキシムス様の面倒を喜んで見て出さる精霊エレメンタル様だ、きっとエルゼ様のことだって相談に乗ってくださるに違ぇねえぜ!?」


 縋るようなゴルディアヌスをオトはジトっとした目で見据えた。


 コイツ、俺が相談した時は鼻で笑いやがった癖に調子のいい……


 フェリキシムスが泣くと変なことが起こる……それを相談した時、ロムルスもゴルディアヌスも気のせいだと笑うだけでまともに相手してくれなかった。それなのにイザ自分が相談する側になるとこうも都合よく甘えて来れるゴルディアヌスにオトは少しばかり腹が立った。

 しかし、ゴルディアヌスの相談がゴルディアヌス本人の問題ではなく、何の罪も無いエルゼや侯爵家の人々の身を案じてとなれば無下にも出来ない。オトはそこまで心の狭い人間ではなかった。


「知恵を……借りるだけだな?」

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