第1386話 乗り気な《風の精霊》

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様……《風の精霊ウインド・エレメンタル》様、御応えください……


 ゴルディアヌスの目の前、オトは早速目を閉じ念話で呼びかける。ゴルディアヌスは「おおっ」と声にならない声をあげ、両手を握りしめて機体に顔を輝かせた。


『聞こえてますよ、オト。

 何か御用ですか?』


 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様、実は折り入って相談したいことがございます……


『主様からはオトの言うことを聞き、協力するように言われております。

 何なりとおっしゃいなさい』


 《風の精霊》の快諾にオトは若干の心苦しさを覚え、思わず眉をしかめた。リュウイチが《風の精霊》に協力しろと言ったのはあくまでもリュキスカの子フェリキシムスの世話をする上で不都合が生じないように意思の疎通をしっかりしろと言う意味であって、オトの言うことを何でも聞けという意味ではない。なのにオトはフェリキシムスとはまったく関係ないことを相談しようとしているのだ。それも自分たち人間よりもずっと高位な精霊エレメンタルに対して・・・


 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様、最初に断らせていただきます。

 このことは《風の精霊ウインド・エレメンタル》様と私とが旦那様ドミヌスから請け負っている、フェリキシムス様の御世話とは全く関係のない相談です。

 ですので、お断りいただいてもかまいません。


『正直なるオトよ。

 私たち《風の精霊ウインド・エレメンタル》は細かいことは気にしません。

 主様の御意に背きさえしなければ、大抵のことは許されましょう』


 寛大なる御言葉、感謝申し上げます。

 ですが、ことは慎重を要します。

 一つ間違えば旦那様ドミヌスの御不興を買うかもしれません。


『おお、オトよ!

 何と大それた……

 さすがに私も主様に背くこと等できませんよ?』


 もちろん私もです《風の精霊ウインド・エレメンタル》様。

 私も《風の精霊ウインド・エレメンタル》様と同じ主人に仕える者。

 旦那様ドミヌスに背くつもりなど毛頭ありません。

 ただ、首尾よく納めれば問題ありませんが、一つ間違えば旦那様ドミヌスに御迷惑をおかけするかもしれない……そういう難しい話なのです。


『なるほど……失敗なくことを勧めれば、主様の御為になるのですね?』


 ………。


 オトは返答に困り、表情を曇らせた。ゴルディアヌスの相談はリュウイチの利益につながるとは少し考えにくい。そこで手柄を挙げたとしても、それをリュウイチの功績として喧伝することなどできないからだ。むしろ、どれだけ手柄を挙げたとしても、リュウイチが関与していたことは絶対に秘匿しなければならない。つまり、リュウイチにとっても《風の精霊》にとってもオトにとっても、今回の話に関してはハイリスク・ノーリターンな話なのだ。


『オト?』


 申し訳ありません《風の精霊ウインド・エレメンタル》様。

 此度の相談、首尾よく納めれば確かに旦那様ドミヌスの御心を安んずることができましょう。

 ですが、旦那様ドミヌスの御為になるかと問われますと、色よい返事は出来かねます。

 此度の相談、旦那様ドミヌスにはもちろん、他の誰にも知られてはならない話なのです。


 オトが心苦しそうに念じるとしばしの沈黙があり、突如オトたちの目の前で旋風つむじかぜが吹き始めた。オトが思わず顔をあげると、そこには一昨日目にしたのと同じ《風の精霊》の姿が浮かんでいる。屋内だというのにいきなり吹き始めた風に驚き、目を細めていたゴルディアヌスも遅れて《風の精霊》の存在に気づき、表情を変えた。


『ふーむ、オトよ。

 それはです。

 是非話してごらんなさい』


 てっきり断られるかと思っていた……むしろ断ってほしかったオトだったが、《風の精霊》の返答は意外にも快諾に近いものだった。


「よ、よろしいのですか、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様?」


 意外な展開にオトは思わず声に出してしまう。それに驚いたゴルディアヌスは《風の精霊》とオトとを交互に見比べた。


「オ、オト、ひょっとして?」


 ゴルディアヌスの表情はまだ驚愕に染まっていたが、その胸にはわずかな期待が膨らみ始める。オトはゴルディアヌスの方をチラっと見てから、両手を胸の前で交差させ、《風の精霊》に向かって跪いた。


 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様、それではこれ以降、この男にも聞こえるようにお話しください。

 この者はゴルディアヌス、私たちと同じ旦那様ドミヌスにお仕えする奴隷セルウスで、今回の相談を持ち掛けて来た張本人です。


 オトが念じると《風の精霊》がふわりと浮き上がり、一瞬旋風が強くなってすぐに収まった。オトとゴルディアヌスの目の前には《風の精霊》の顕形げんぎょうたる旋風が、音もなく渦巻きつづけている。


『これでいいですかオト、ゴルディアヌスとやら?』


「うぉっ!?

 何か聞こえた!!」


 毎日、リュウイチと念話で会話しているクセにゴルディアヌスは派手に驚き、数歩後ろへ下がってしまう。リュウイチの念話は一応、声でも話しているので何となく受け入れやすいが、《風の精霊》の念話は音声を伴わない。ゴルディアヌスにとってそれはかなり異質な感覚であり、初めてであることもあって過度に狼狽うろたえてしまったのだった。 


「ゴルディアヌス!

 ゴルディアヌス!!」


 思わず《風の精霊》に目を見張ったまま固まってしまっていたゴルディアヌスだったが、オトの呼び声にハッと我に返る。


「え、何!?」


「《風の精霊ウインド・エレメンタル》様が目の前で御話しになるんだぞ!?

 ちゃんと跪け!!」


「あ!? ああっ……」


 自分だって跪くの遅れた癖に……いつものゴルディアヌスだったら、そんな減らず口の一つでも叩いただろうが、すっかり動揺して正体を失くしてしまっているゴルディアヌスは素直に慌ててオトと同じように跪こうとする。が、オトとゴルディアヌスの頭に《風の精霊》の愉快そうな声が飛び込んできた。


『かまいませんよ?

 私たち《風の精霊ウインド・エレメンタル》はそのようなことに拘りません』


「し、しかし……」


『だいたいそうしているところを誰かに見られたらどうするのですか?

 私のことは誰にも気付かれてはならないのでしょう?』


 高貴な存在には礼を尽くすべきだ。ましてやオトもゴルディアヌスも共に奴隷……人間社会を構成するあらゆる階層の中で最下層に位置する彼らは、人間全体よりも更に高位な存在である精霊に対しては最大の礼を尽くさねばならないはず。しかし《風の精霊》に言われた通り、誰かに見られたら不都合があるのも事実だった。オトもリュキスカの部屋やその周辺で仕事をする時などは確かに《風の精霊》などどこにも存在していないかのように振る舞っていた。だが、今は誰も居ない会議室の中……第三者の目の無い場所でならと慌てて跪いたオトだったが、確かに不必要な気遣いだったかもしれない。

 オトは今まさに跪こうとする途中でどうしていいか分からなくなってしまって固まったゴルディアヌスと互いに見合い、それから何かを諦めたかのように小さく溜息をついて立ち上がった。ゴルディアヌスもそれに合わせて立ち上がる。


「それでは、本題に入らせていただきます《風の精霊ウインド・エレメンタル》様」


 オトは事と次第とを説明し始めた。

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