第1384話 オトの拒絶

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 オトは耳を疑い、目を剥いた。ゴルディアヌスの言っていることの意味がわからなかったわけではもちろんない。意味が分かっているからこそその重大性も明らかだったし、ことの重大性が分かっていたからこそそんな重大なことを目の前の同僚が言い出したことが信じられず驚いたのだ。


「お前、正気か!?」


「何かおかしいこと言ったか!?」


 キョトンとしたゴルディアスの反応にオトは困惑の表情を浮かべ、何をどう説明すべきか頭をフル回転させて考え、そして一旦諦めた。さすがに一から説明するのは面倒すぎるし、一緒に奴隷に堕とされた同僚が本当に何も知らないとは考えにくい。ひとまずゴルディアヌスも本当は分かったうえで言っていると仮定してどういうつもりか確認することにし、それまでの雑念を振り払うように頭をブルブルと振った。


「ゴルディアヌス!

 お前だって大協約は知ってるだろ!?

 《レアル》の恩寵おんちょうは独占してはならない!」


「知ってるさ!

 それがどうした!?」


 お道化て見せるゴルディアヌスはオトの指摘などまるで意に介していないようだ。


「なら無理だって分かるだろ!?

 旦那様ドミヌスの御力は《レアル》の恩寵そのものだ。

 それを侯爵家のために使えば、侯爵家が罪に問われるんだぞ!」


「だぁーかーらっ、旦那様ドミヌスじゃなくてお前に頼むんじゃないか、オト」


 言っている意味が分からずオトは眉をひそめる。そのオトにゴルディアヌスは半ば悪戯っぽく、半ば自慢でもするように続けた。


旦那様ドミヌスにお願いすれば確かに旦那様ドミヌスは御力を貸してくださるだろうぜ?

 カール様やフェリキシムス様のことだって御助けになられたんだ。

 俺たちだって奴隷セルウスとして買い取ることで、旦那様ドミヌスは御助けになられたんだからな。

 けど、旦那様ドミヌスが御力を振るえばお前が言うように侯爵家が責めをおっちまう。

 だから俺は、旦那様ドミヌスじゃなくてお前に《風の精霊ウインド・エレメンタル》に助けてくださるようお願いしてくれって言ってんじゃないか」


 オトは不可解そうにゴルディアヌスの目を注意深く観察し、しばしの沈思黙考の末に首を振った。


「わからん!

 お前、何を言ってるんだ?

 旦那様ドミヌスにはかかわらせないって言いたいのか?」


「そうだよ!

 お前、神官フラメンでもねぇ癖に《風の精霊ウインド・エレメンタル》様とは念話でやりとりできるんだろ!?

 だから、お前から旦那様ドミヌスを通さずに直接 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様にお願いしてもらうんだよ。

 そうすりゃあ、旦那様ドミヌスが関わってることにゃあならねぇんじゃねえのかい?」


 ゴルディアヌスが自慢げな態度なのは十人隊コントゥベルニウムの中では常識人で物知りなオトでも思いつかないようなナイスアイディアを思いついたことを誇らしく思っているからだ。だからオトが理解に苦しめば苦しむほど、常識を振りかざせば振りかざすほど、ゴルディアヌスの自尊心はくすぐられる。


「そんなわけないだろ!?

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は旦那様ドミヌスから魔力をいただいてるんだ。

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様の御力は旦那様ドミヌスの御力だぞ!」


「まぁ待てよ。

 俺たちだって飯は食うだろ?

 折れもお前も、厨房の料理人どもが作った飯を毎日食ってる。

 じゃあ俺たちの働きは料理人どもの力ってことになるのか?

 違うだろ!

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は《風の精霊ウインド・エレメンタル》様の御意思がおありだ。

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は確かに旦那様ドミヌスから魔力を得てるんだろうぜ。

 でも《風の精霊ウインド・エレメンタル》様が御自分の御意思でやることなら、旦那様ドミヌスから魔力を得ていたとしてもそれは《風の精霊ウインド・エレメンタル》様の働きだ。

 だからその《風の精霊ウインド・エレメンタル》様に御助け願おうって話よ」


 聞いちゃいられない……オトはゴルディアヌスの話が終わる前から首を振り始めた。


「ゴルディアヌス、そうはならんよ」


「何でだよ!?

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様ぁ別に《レアル》にしかいねぇってわけじゃねぇんだぜ!?

 この世界にだってごまんといらっしゃるんだ。

 その精霊エレメンタル様の御力が《レアル》の恩寵になるわけねえじゃねぇか!」


 抗議するゴルディアヌスをオトは無言のまま冷めた目で見つめ、そして一つ溜息をついた。


「ゴルディアヌス」


「何だよ!?」


「お前だって軍団兵レギオナリウスだったんだから分かるだろ。

 軍団兵レギオナリウスが手柄を挙げれば十人隊コントゥベルニウムの全員の手柄になる。

 逆に軍団兵レギオナリウスがヘマすりゃ、十人隊コントゥベルニウム全員が罰せられる。

 俺たちゃそれで奴隷セルウスにされたんだ」


 ゴルディアヌスは突然始まったオトの話が自分がしようとしていた話とどう関係して来るのかわからず、眉を顰める。


「それがどうかしたのか?」


「それと同じだって話だ」


 オトはフーッと盛大に息を吐き、呼吸を整えて続ける。


「連帯責任ってやつさ。

 被保護民クリエンテスが手柄をあげれば保護民パトロヌスの名声になる。

 被保護民がヘマをすれば保護民の恥になる。

 被保護民が何かやらかせば、保護民がやらせたんだと誰もが思う。

 実際はどうあれ、一括りにされちまうんだ」

 

 ゴルディアヌスは神妙な顔つきになり、口を真一文字に引き結んだ。オトが言いたいことに気づいたのかもしれない。オトは内心でようやく話が通じたかと期待を持ちつつ話を続ける。


「《風の精霊ウインド・エレメンタル》様も同じだ。

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は旦那様ドミヌスの眷属……つまり旦那様ドミヌスの被保護民みたいなもんだ。

 ましてや《風の精霊ウインド・エレメンタル》様も俺たちも使える主人ドミヌスは同じ。

 バレれば世間は間違いなく旦那様ドミヌスの恩寵と見做すだろう」


 つい一昨日、便所掃除の仕事から逃げ出そうとしたアウィトゥスを連帯責任という根拠に基づいて説教をしてみせたゴルディアヌスだ。それまで力任せに己の我儘を通すことこそが男らしさと勘違いしていたゴルディアヌスは社会人として一つ大きな成長を遂げたことを、オトは確信していた。そのゴルディアヌスなのだから、連帯責任を根拠にすれば理解してくれるだろう……そのオトの期待はどうやら間違いではなかった。ゴルディアヌスは自分の考えが及んでいなかったことに気づいたらしく、酷く動揺して目を泳がせながら頭を巡らす。だが、次にゴルディアヌスの口から飛び出した言葉は、オトを失望させるには十分なものだった。


「バ、バレなきゃいいんじゃねぇのか!?

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》様なら人の目にゃ見えねえぜ!」

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