第591話 捕獲情報

統一歴九十九年五月六日、午前 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 バルビヌス・カルウィヌスはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの軍人ではあるが、頻繁ひんぱんにというほどではないにしても、これまでにも対南蛮戦への援軍として幾度かアルビオンニアへ渡ってきたことはあった。その彼の記憶によれば、ケレース神殿テンプルム・ケレースの建つ丘の北側は峻険しゅんけんな岩場だったはずである。彼はアルビオンニウムのケレース神殿へ行った事はなかったが、それでもアルビオンニウムの港からアルビオンニウム要塞カストルム・アルビオンニウムへ向かう途中、街道から左手を眺めると崖の上に立つ白亜の神殿は嫌でも目に入る。南側から見ればそうでもないが、北側から見るとまるで天然の要害のように見えるのだ。

 しかし、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムゴティクス・カエソーニウス・カトゥスの説明によると、その崖を敵の本隊が突破したという…にわかには信じがたかった。神殿の北側は山羊や羊なら通れるが馬では通れない程度の岩場である。人間がよじ登れなくはないが、軍隊がそこを通って攻撃を仕掛けるのはまず無理と言って良い地形だったはずだ。

 テーブルに広げられた地図からパッと顔を上げて疑問を呈したバルビヌスにゴティクスは軽く会釈して答えた。


「その通り、神殿の北側は崖です。」


「ですが、その崖から攻撃してきたのですか?

 あそこは少人数ならともかく、部隊が行動するのは…」


「ご指摘の通り、部隊が行動するのは無理でしょう。

 崖から攻撃してきたのは少人数の精鋭部隊です。」


 バルビヌスは一度前のめり気味に伸びあがった上体をゆっくりと戻し、視線を地図へ向けなおす。


「うう~む…只者ではないようですな。

 素人の盗賊でこれだけの作戦を指揮し、自らはそれらから一番離れた神殿北から通行困難な崖をよじ登って攻めて来るとは…」


 自分に同じことが出来るかと問われれば、答える前に笑うだろう。その質問自体が冗談としか思えない…そういう類の作戦だ。

 急峻きゅうしゅんな岩場では大人数で行動することはできず、通れるルートも限られるだろう。そして両手を使わなければ登れない箇所がいくつもあるはずだ。手ぶらで行くだけでも大変なのに、軍事作戦でとなると武具を身につけて武器や盾なども持って行かねばならないのだ。おまけに崖の上からは丸見えで隠れる場所も満足にない。

 もしも途中で崖上の守備兵に気付かれれば、上から攻撃を受けてしまうだろう。そんなところから攻撃すること自体が自殺行為としか思えない。反対側へ敵を誘引する陽動作戦に絶対の自信を持ち、なおかつ崖上の守備兵に気付かれたとしても対応できる目途が無ければ絶対にできない作戦だ。


 ゴティクスは上座のアルトリウスとエルネスティーネの方を一度見、視線だけで了承を得てから咳払いした。


「オホン…はい、その通り敵は只者ではありません。

 ムセイオンを脱走してきた、ハーフエルフたちだそうです。」


「何ですと!?」

「ハーフエルフ!?」

「いったい何を根拠に!?」

「間違いないのですか!?」


 アルトリウシア軍団の幕僚と上座の二人の領主…アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子とエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人以外の全員が驚き、どよめいた。アルトリウスとエルネスティーネ、そして幕僚たちは昨夜、リュウイチからアルビオンニウムでの戦況を中継してもらった際に盗賊団を率いているハーフエルフについて説明を受けていたが、それ以外の者たちにとっては全くの初耳である。

 話を続けようとしたゴティクスだったが、出席者の動揺が予想より大きかったことに面食らい、たじろぐと、すかさず司会進行役を務める筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスが説明を引き継いだ。


「リュウイチ様がルクレティア様に御付けになられた《地の精霊アース・エレメンタル》様が、ブルグトアドルフでの襲撃の際、敵の中にハーフエルフが混じっている事にお気づきになられておられました。そして、ルクレティア様が家庭教師として御同伴なされておられるムセイオンの学士、ヴァナディーズ女史にお尋ねになられたところ、どうやら女史には心当たりがあり、彼らはムセイオンのハーフエルフであると申されたそうです。」


「バカな…そんなことが?」

「そ、それでは女史はハーフエルフが来ている事を知っていたのですか!?」

「ハーフエルフが何でアルビオンニアに!?」

「まさか、ムセイオンが絡んでいるのか?」

「ひょっとしてリュウイチ様の降臨と関係が!?」


 アルビオンニアがレーマ帝国の中でも辺境であることは彼らは皆自覚している。そこにコンプレックスのようなモノがあるわけではない。むしろ、帝国の版図を拡げる最前線という自負があるくらいだ。が、帝国の中心から最も遠く離れた辺境であることには違いが無い。まして、世界の中心と位置付けられたケントルム…その中核とも言うべきムセイオンからとなれば、まったくアルビオンニアなど縁も所縁ゆかりもあるとは思えない。

 ムセイオンは《レアル》からもたらされた叡智えいちを収集し、世界ヴァーチャリアに遺された聖遺物アイテムゲイマーガメルの血を引く子供たちを管理する国際機関である。レーマ帝国の一属州、ましてや最も辺境のアルビオンニアに用があるとは思えない。いや、リュウイチの降臨があったのだから、今後密接な関係を持つことになるであろうことは確実ではあるのだが、リュウイチの降臨についての報告はまだムセイオンまでは届いていない筈である。ムセイオンはリュウイチの降臨など知ってはいない筈…にもかかわらずムセイオンのハーフエルフが来ている。となればリュウイチの降臨にムセイオンが関っているのではないかと疑いたくなるのは自然な発想であろう。


「お静かに!!静粛に願います!!」


「彼らの目的は、分かっているのですか!?」


 ラーウスが場を鎮めようと呼びかけると、どよめきは多少収まりはしたが、それでも混乱した何人かは答えを求め続ける。


「残念ながらハーフエルフについての詳細は把握しきれておりません。

 ただ、《地の精霊》様からリュウイチ様がお聞きになられたヴァナディーズ女史の話によると、ハーフエルフはムセイオンを脱走して来たもののようです。

 おそらく、ムセイオンが背後にいるということはなさそうです。」


「脱走!?」

「いったいどうして?」

「逃げ出してきたと言うのか?」


「彼らの目的は…これもヴァナディーズ女史のお話ですが…

 降臨を起こし、自分たちの父母との再会を果たすことであると推測されております。」


「なんと!」

「まさかハーフエルフが降臨を!?」


 ムセイオンは《レアル》の恩寵おんちょうを世界で共有するために設けられた機関である。それは大協約体制に加わるすべての国家が新たなる降臨の防止に一致団結するための対価を担保することを目的としている。これが無ければ、どの国だって再び降臨が起きないように協力しようなどとは思わないだろう。自国で降臨が起きれば他国よりあらゆる点で有利になるのだから、大協約になど加わらない方が良いに決まっている。

 つまり、ムセイオンは全世界が降臨阻止に協力するための象徴的な存在なのだ。よりにもよってそのムセイオンに所属するハーフエルフが自ら降臨を起こそうと画策するなど、大協約体制を根底から覆しかねない大スキャンダルである。聞けば誰もが驚くのは当然だった。


 狼狽うろたえる家臣団に壇上からアルトリウスが「静かに!」と呼びかけた。大声をあげたわけではなかったが、ハーフコボルトの恵まれた体格から発せられる低く重々しい声は、一時騒然としていた家臣団たちを鎮まらせるには十分な力を持っていた。

 渋々と…といった感じで口を閉ざした家臣団がアルトリウスの方を見上げて次の言葉を待ち始めたのを確認すると、アルトリウスはその辺のことを説明する。


「残念なことに詳しいことはまだ分かっていない。

 私がリュウイチ様からお伺いした話では…どうもムセイオンにいるはずのゲイマーガメルの子供たちが自分たちの実の親との再会を望み、…との事であった。

 そして、その連中が今回の盗賊騒ぎに関わっているようだと…

 つまり、おそらくハーフエルフが関っている事は間違いないが、それ以外の事はまだ確定したわけではない。彼らの目的も、私がリュウイチ様からお聞きした限りでは、ヴァナディーズ女史の推測であるかのようであった。


 少なくとも、ムセイオンが今回の件に関っているという可能性は、現時点では考えなくてよいだろう。そして、ハーフエルフは降臨を起こすために行動をしている…ということは、リュウイチ様の降臨と彼らが関係している可能性はないだろう。今、我々はそのように考えている。

 その報告は、近いうちに詳細なものが届くはずだ。」


「しかし、詳細はそのハーフエルフを捕まえでもしない限り分からないのではありませんか?

 彼らに従っている盗賊たちだって、どうせ使われているだけで全てを知らされて協力しているというわけでもないのでしょう?」


 子爵家の法務官プラエトルアグリッパ・アルビニウス・キンナが難しい顔をして指摘する。アグリッパもアルトリウシアの治安を預かる身だけあって、アルトリウシア子爵領外の出来事ではあったがシュバルツゼーブルグ近郊の盗賊たちの情勢に異変が起きている事は承知していた。もちろん、情報源はシュバルツゼーブルグ近郊のアウトローたちとつながりのある者たちである。

 だが、少なからぬ盗賊たちが新興勢力に統合されつつあることは分かっても、その首領の正体や目的などはさっぱり伝わって来ていなかった。仮にその新興勢力の首領が盗賊たちに自分の素性や目的を明かし、その上で協力を得ていたのならば、その情報は多少なりともアグリッパの下へ届いてなければおかしい。なのに伝わって来ていないと言う事は、そのハーフエルフたちは盗賊たちに自分たちの素性や目的を明かさないようにしているに違いない。

 だとすれば、彼らの目的や素性を知るには彼ら自身を捕まえるしかない。盗賊をいくら捕虜にしたところで、そこからわかることはたかが知れているだろう。


 アルトリウスはアグリッパの指摘に首肯しゅこうした。


「その通りだ。が、大丈夫だろう。

 ハーフエルフの一味を一人を、どうやら捕虜にすることに成功したようなのだ。」


 その説明に「おおっ!?」っと低くどよめきが起こり、アルトリウスがゴティクスに向かって目配せすると、ゴティクスはアルトリウスに軽く会釈してから戦況の説明を再開した。


「はい、突入して来た敵本隊ですが、神殿前で《地の精霊アース・エレメンタル》様と戦闘に及びました。

 どうやら《地の精霊》様はルクレティア様よりハーフエルフたちを殺傷せぬよう頼まれたそうで、かなり手加減をなさったそうです。」


「ハーフエルフ相手に手加減!?」


「そして敵本隊は撤退、その際に敵本隊の一人が魔力欠乏で力尽きていたのを捕えたそうです。

 ただ、残念ながらハーフエルフではなくヒトだったそうですが、ムセイオンの聖騎士で魔道具マジック・アイテムを装備していたのだそうです。」

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