第924話 山火事
統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ 『
「ほらアソコ!!」
エンテに急かされながら出て来た山荘の二階のベランダからは南の崖下に広がる針葉樹林の様子がよく見えた。エンテが指さす青白い月の光に照らされた黒い森の一角に、明らかに月光とは異なるオレンジ色の光がポワッと
「山火事か!?」
ここから見る限りアレは明らかに火災だ。火が燃えているのでない限りあんな赤い光が地面の方から発せられるなどあり得ない。それが背の高い針葉樹の上の方まで照らしているのであるから、火勢はかなりのものだろう。
今夜は風は穏やかだがライムント地方特有の西からの吹きおろしで酷く乾燥している。あの勢いで燃え上がった火は瞬く間に東へ燃え広がるだろうし、場合によってはこの山荘も被害を受けるかもしれない。
「そう思うだろ!?
けどそうじゃねぇみたいなんだよ。
俺も山火事だと思ったんだけどよぉ~」
警戒感を最大限に高めたクレーエの
「……ほら!
あれだけの火がもう消えた!!」
「「!?」」
エンテの言った通り、森の中から発せられていたオレンジ色の光は瞬く間に消えてしまう。まるで小さなロウソクの火を吹き消したかのように……発生していたと思われる火災は嘘のように消えてしまったが、それでも先ほどまで光っていた周辺には何やら白っぽい
煙が立っているってことはやっぱり火事なんじゃねえのか?
あれだけの火事がそう簡単に消えるのか!?
クレーエは手すりを掴む手に無意識に力を込めて喉の奥で低く唸る。
「ホラっ!今度はアソコだ!
また燃えだしたぜ?」
クレーエたちが見ている前で再び森の一部が光り始める。先ほどと同じ、山火事にしか見えないオレンジ色の光。
「何が起きてるんだ、あれは?」
「分からねえよ。
ただ、アレがだんだん近づいてるんだ。」
「近づいてる!?」
「最初見た時はあの辺だった。
それから一旦西のあの辺……第四中継基地の近くで燃えてさ。
それが消えたと思ったら今度はあの辺……その後でさっきのとこさ。
今燃えてるアレは五回目だ。」
エンテはイチイチ指を差しながら彼が目撃した火災の場所をクレーエに説明した。それは確かにエンテが言ったように、だんだんとこの山荘へ近づいてきているように思える。しかもエンテが指示した場所にクレーエは何となく覚えがあった。
なんか、全部森の間道沿いで火事が起きてねぇか?
そのことに気づくと同時に先ほどから沸き起こっていた胃のあたりがムズムズするような胸騒ぎが急に切実なものへと高まり始める。
クレーエはあの、火の気も無いところに急に沸き起こる巨大な炎に何となく覚えがあった。
ひょっとして
一昨日の夜、《
ソイボーイとか名乗るあのボンボン、また森を焼こうとしてるのか?
ブレーブスなどと名乗る得体の知れない奴ら……多分、どこかの貴族のボンボンだろう。ムセイオンにはその実子がいるっていうのに、歴史上のゲイマーの名を自ら名乗って冒険者気取りで悪事を働くロクデナシどもは、どういうわけか本物の魔法を使えるようだった。おそらく、それを可能にするような
魔導具といえばすべてムセイオンに収蔵されることになっているし、実際に収蔵されていると多くの人が思っているが必ずしもそうではない。ムセイオンに納められていない魔導具も決して少なくはないのだ。理由は、ヴァーチャリア世界のすべての国が大協約に批准しているわけではないからである。
魔道具をムセイオンに収蔵し、一定以上の魔力を有する人間はムセイオンに収容されて聖貴族にふさわしい教育を施す……それは大協約によって定められた制度によるものだ。だが、この大協約というのはかつて世界を二分して戦ったレーマ帝国と啓展宗教諸国連合加盟諸国が和平を締結するにあたり、両者の共存と大戦争再発防止のために制定したものなのである。大戦争に参加していなかった一部の国や勢力は大協約体制に参加していなかったし、今も参加していない国や勢力は存在している。
この近辺では南蛮勢力が好例だ。南蛮は大戦争終結後に南へ版図を広げたレーマ帝国が接触した新勢力であり、大協約には批准していない。南蛮にも大協約に参加してもらうのが良いのだろうが、レーマ帝国は南蛮とはまだ正式な国交を持っていなかったし、それどころか南蛮が統一された国家なのかどうかすら確定していなかった。
ほかにもチューアの存在もある。チューアはレーマに対し恭順の意を示しており、啓展宗教諸国連合側もレーマ帝国の一部として
そのような大協約を遵守しているわけではない勢力によって保持されていたと思われる魔導具が、時折ブラック・マーケットで取引されていた。そうした魔導具は一部の貴族や豪商たちによって取引され、時に『勇者団』のようなロクデナシのボンボンたちによって犯罪に用いられることもあったのである。
そうした話はクレーエたち職業的犯罪者たちにとっては決して珍しい話ではなかった。だからクレーエたちは『勇者団』を名乗る連中が、ムセイオンから逃げ出してきた本物の聖貴族たちだなどとは想像すらしておらず、地方のロクデナシ貴族が歴史上の英雄たちになり切って殺人遊戯に興じているのであろうと思い込んでいたのだ。
スモルがまた森を焼こうと火をつけ、《森の精霊》によってすぐに消されてしまっている……そんな鬼ごっこみたいなことをやっているのではないかという想像は、途端にクレーエを憂鬱にさせた。
てことは、この胸騒ぎもひょっとして……あの《
クレーエは腰に差した杖……《森の精霊》に“友達”の証としてもらった木の枝を無意識に握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます