追いかけっこ

第923話 森の異変

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



 ブルグトアドルフの街から東へ森へ分け入り、馬車で二時間ほども進んだところにその山荘はあった。レオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵がレーマ留学から帰って間もない頃、まだ叙爵する前でレオナード・フォン・アルビオンニアと名乗っていた頃に狩猟をたのしむために建てた山荘である。小高い丘の上に建てられてはいたが周囲は森に囲まれているためそこからブルグトアドルフの街の様子を直接見ることが出来ないものの、日当たりをよくするために木々を切り開いた北側に夜中に目を向ると、アルビオンニウムの街のがかすかにチラつくのを見ることができただろう。残念ながら無人の廃墟となったアルビオンニウムには夜中にあかりをともす者など一人としていなかったから、それも今は昔の話である。もっとも、繁栄を極めていた頃のアルビオンニウムであったとしても、さすがにこんな夜更けまで灯りを灯し続ける者など居なかったから、結局アルビオンニウムの灯など見ることは叶わなかっただろうが……

 しかしこの山荘、視界が開けているのは北側ばかりではなかった。東から西へ伸びる尾根のような丘の途中に建てられただけあって、南側にも視界は開けている。昼間に遠く見渡せばライムント街道の第四中継基地スタティオ・クアルタの尖塔を見ることができたし、途中に広がる森一帯を見渡すことも可能だ。天候に恵まれれば壊滅した第五中継基地スタティオ・クィンタの尖塔を見ることも出来るのだが、さすがにシュバルツゼーブルグの街は稜線りょうせんの彼方へ隠れていて見ることが出来ない。ただ、この山荘の管理を任されていた使用人によれば、昔シュバルツゼーブルグで打ち上げられた花火の光がわずかに見えたことがあったそうだ。


 このような立地に建てられた山荘から見渡せる範囲では、この夜中に人工の光など一切見えない。存在しない。

 もっとも近くに人が住んでいるのはブルグトアドルフの街と第三中継基地スタティオ・テルティアだ。そこには盗賊たちが壊滅したらしいということから、復旧復興のためにごく少数の住民と警察消防隊ウィギレスが残っていたが、さすがにこのような深夜となるととっくに灯りは消して一部の見張りを残して全員が寝入っていたし、山荘と第三中継基地との間には森にはばまれて互いの様子を直接見ることが出来ない。よって、月と星々の光だけが山荘の周辺を静かに冷たく照らしているのみだ。


 このような状況でウッカリ光が漏れようものなら、見た者はたとえそれが素人でも「山荘あそこに誰かいる」とすぐに気づくことだろう。だから山荘の住人たちは窓も戸も厳重に閉ざし、中の光は一切外に漏れないように細心の注意を払っている。灯り用の火は一切灯さず、中央のホールの暖炉で暖を取るための最小限の火を焚くのみだ。それでも、見る者が見れば煙突から白煙が漂っているのが月明かりの中でも認めることが出来ただろう。


「!」


 誰かに起こされたような気がして、クレーエは突然目が覚めた。パッと開かれた目には暖炉で赤くなった炭とチロチロと小さく踊るオレンジ色の火が映る。それ以外に動くモノは一切ないし、周囲からは雑魚寝している盗賊たちの静かな寝息が聞こえるばかりだ。


 なんだ……やけに胸騒ぎがしやがる。


 クレーエはむっくりと起き上がった。暖炉の火の光はホール全体を照らすにはあまりにも頼りなさ過ぎたが、暗さになれた目にはホールの白い壁や黒い柱のコントラストを見分けるぐらいは出来る程度の光をもたらしてくれている。

 家具も調度品もすべて撤去されたホールはやけに広くガランとしているが、広い床のところどころに襤褸ぼろ布の小山が出来ていた。クレーエが昨日と今日の二日間をかけて探し出し、掻き集めた盗賊団の生き残りたちである。


 昨日五月八日の早朝、シュバルツァー川のほとりでクレーエはペトミー・フーマンから盗賊たちを再集結させるよう命じられたのだ。盗賊たちの大部分はあのブルグトアドルフの乱戦で捕まるか殺されるかしてしまった。あの混乱の中から無事に逃げ延びることができたほどの盗賊なら、おそらく簡単には見つからないだろう。再集結にも応じないはずだ。『勇者団』ブレーブスに従っていては命がいくつあっても足りないし、何か旨味があるようにも思えない。せっかく『勇者団』から離れることができたのだから、そのまま遠くへ逃げ延びようとするだろう。うまく行くはずのない仕事……正直言ってかなり気の重い役目だったと言っていい。

 だが、当初の予想に反して盗賊たちは割と簡単に次々と見つけることが出来た。不思議なくらいに勘が働き、森に潜んでいた盗賊たちをすぐに見つけることが出来たのだ。中には寝ている間に季節外れの足枷蔓ファダー・ヴァインに絡まれて自力で身動きの取れなくなっている間抜けも何人かいた。あまりにもすんなり見つかるものだから、レルヒェもエンテもそろって「クレーエの旦那ヘル・クレーエは魔法が使える」などとはやし立てたほどだった。

 見つかった盗賊たちも意外なほどすんなりクレーエに従った。「逃げてもいいんだぜ?」と逃亡をうながしてみたが、盗賊たちは逃亡を諦めているようだった。捕まえた盗賊たちは異口同音いくどうおんに「『勇者団』ブレーブスからはどうせ逃げられねぇ」「どうせ付いて行くんならクレーエアンタの下がいい。」などと説明していた。どうやらアルビオンニウムの戦いでクレーエが指揮した第二部隊だけ損害がほとんど出していなかったことや、『勇者団』の連中もクレーエには一目置いているらしいことなどから、彼らはクレーエの下でなら生き残れると考えたようだった。


 変に買いかぶられちまったな……面倒くせぇ……


 クレーエ本人からすればせっかくのチャンスだというのに逃げきれなかった間抜けどもにしたわれても足手まといにしかならないだろうし、面倒が増えるだけだろうから正直勘弁してほしかったのだが、しかし『勇者団』を率いるティフ・ブルーボールの見ている前でペトミーから厳命されている以上、この間抜けどもを切り捨てるわけにもいかない。

 結局、クレーエは十三人の盗賊たちを再集結させることに成功した。スワッグ・リーが拾って来た二人とレルヒェとエンテを合わせて十七人……今この山荘にはクレーエを含めて十八人の盗賊が集まっている。そして交代で見張りに立っている四人を除く十三人がクレーエと共にホールで寝ていたのだった。

 そのホールのドア一つの向こうで人の気配がしたかと思ったら音もなく開き、向こうから見覚えのある顔が現れた。


「おっ、クレーエの旦那ヘル・クレーエ!」


 入ってきたのはエンテだった。他の盗賊たちを起こさないように小声でクレーエに呼びかけると、コソコソと足音を抑えながらまっすぐクレーエ目指して駆け寄って来る。


「起きてたんなら丁度いいや!」


「何だ、何かあったのか?」


 エンテは今晩三組目の見張り番の一人の筈だ。その彼が見張りに立っていたのだとしたら、陽が落ちてから四時間以上経過していることになる。エンテはクレーエの座っているすぐ近くまで来ると滑り込むように膝をつき、クレーエに顔を突き付けた。クレーエは思わず顔をしかめて身を引く。


「来てくれ、外の様子が変だぜ?」


「変?」


「何だ、何かあったのか?」


 クレーエの近くで寝ていたレルヒェもむっくりと身体を起こした。


「何だ、お前も起きてたのかレルヒェ?」

「ついさっき見張りを交代して寝入りばなさ。

 それより何があったんだよ?」


 目をこすりながら起き出してきたレルヒェにうながされ、エンテは何かを思い出したようにクレーエに話しかけた。


「それが変なんだよ!」


「だから何がだ?」


 勿体もったいつけるようなエンテの話し方にクレーエはあからさまに不機嫌そうに話を急がせるが、エンテは合いの手を打ってもらったかのように調子に乗り始める。


「それがよ、南西の森ん中で急にパァッと火が上がってさ。

 火事かと思いきやそれがすぐに消えてさ。

 それがだんだんコッチへ近づいてるみたいなんだ。」

 

「「???」」


 要領を得ない説明で状況を理解できないクレーエとレルヒェが互いに顰めた顔を見合わせると、エンテは腰を浮かせてクレーエの服を掴んで引っ張った。


「とにかく来てくれ。

 直接見てもらった方が早ぇえや!」

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