第922話 逃走開始

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 ご理解いただけませんかねぇ?……その表情は話の通じない困った客人に理解を求める商人のようだった。既に相手の主張はすべて論破済みであとは相手が感情を抑えてくれさえすれば済む……そういう状況でのトドメの一言。実際、グルグリウスの中では決着はとうについていて結末は変わりようが無いのである。それなのに無駄に足掻かれても彼の手間が増えるだけで誰も得するわけではないのだ。

 力でペイトウィンに圧倒できるという確信があるのだろう。そしておそらくそれは事実だ。ペイトウィンとエイーは一目見たその瞬間から、グルグリウスから大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフからしか感じたことのないような迫力を感じていた。自分たちが絶対勝てない実力者だけが放つ存在感……魔力の波動である。


 そろそろ話し合いでの時間稼ぎも限界か……


 ペイトウィンとしては選択肢は逃げの一択である。だが、森の中の狭い間道で彼らは馬を五頭も連れている。そして進もうとしていた先にグルグリウスに回り込まれてしまっている以上、方向転換をしなければ逃げようがない。馬を捨てていいならそのままいいように逃げることも出来たかもしれないが、五頭の馬の背には『勇者団』ブレーブス共有の荷物が積まれているから置いて逃げるわけにはいかない。つまり、逃げる前に逃げるための体制を整える必要があったのだ。

 幸い、エイーはペイトウィンがグルグリウスとの会話で時間を稼いでいる間に後ろへ回り込んでくれたようだ。馬三頭を曳いたまま一度間道から外れて森の中を通り、ペイトウィンの後ろへ回ってから間道へ戻るため少し手間がかかったようだが、背後から「ホエールキング様!」とエイーの小さく呼びかける声が聞こえる。


 よし、頃合いだ・・・・


 ペイトウィンは懐から手を出した。その手には頭に大粒の赤い宝珠のついた杖と、巻かれた紙が握られている。杖は魔力を帯びた魔法の杖、巻かれた紙はマジック・スクロールだ。それに気づいたグルグリウスは不機嫌そうに顔をしかめる。


「ん、何をしようというのですか?」 


「あいにくと捕まってやるわけにはいかないんでね。

 できれば話し合いで退いてもらいたかったんだが?」


 グルグリウスは残念そうに首を振った。


「それは出来ない相談です。

 貴方様が申された様に力づくでお連れすることは容易たやすい。

 ですが、それをしていないのはあくまでも穏便に事を進めたいからです。

 与えられた役目を果たすかどうかの相談ではありません。」


「だと思ったよ。

 だから逃げさせてもらう。」


 そう言うとペイトウィンは馬のくつわから一時的に手を放し、取り出した杖を右手に、スクロールを左手に持った。そして両手にそれぞれ馬の手綱を握りなおす。


「無駄なことはおよしなさい。

 貴方様の攻撃で吾輩わがはいを退けることなどできません。」


 少し語気を強めたグルグリウスの警告を、ペイトウィンは無視した。


「やってみてから判断するさ!


 爆炎弾エクスプロージョン!!」


 叫びながら右手に持った杖をグルグリウスに向かって突きつける。すると杖の先の宝玉が一瞬赤く光り、そのすぐ先に赤い光の球体が出来たかと思うとグルグリウスに向かって飛び出した。強い魔力を帯びたその球体は矢をも上回る速度でグルグリウスに命中し、ボンッと爆発を起こすと人一人を包み込むには十分な大きさの火球を作り出す。


ブヒヒ~ンッ!?


 突然顔の前で強い光が出来たことに馬たちが驚き、逃げようとするがペイトウィンが握っていた手綱を引いて押さえつける。同時にペイトウィンは左手に持ったスクロールを投げつけた。


「コイツも喰らえ!」


 逃げようとする馬と手綱を引きあいながらだったため、スクロールは狙った場所よりもだいぶ手前に落ち、ペイトウィンから二メートルと離れていない所に『炎の防壁』ファイア・ウォールが展開した。


「逃げるぞエイー!!」


「ハイッ!ホエールキング様!!」


 エイーは三頭の馬を曳いて先ほど来た道を戻る方向へ駆け出す。その先を、グルグリウスと最初に出会った分かれ道で左へ行けば、目標の山荘の方へたどり着けるはず。そこまで行けば盗賊たちが待っている。もちろん盗賊たちがグルグリウスに対して戦力として使えるなどとはさすがのエイーも思わない。だが盗賊たちは土地勘があるのだ。彼らが一緒なら逃げるにしろ隠れるにしろ、地の利を活かして今よりずっと有効な対処が出来るに違いない。


「ホラァッ!お前らも逃げるんだよ!!」


 パニックを起こして自分勝手に逃げようとする二頭の馬を無理やり引っ張って強引に方向転換させると、ペイトウィンも既に見えなくなりつつあるエイーの後を追って駆けだした。馬の手綱を両手で引きながら、右手には手綱と一緒に杖も保持したままだ。


 『火の神の杖』ヴァルカンズ・スタッフ……ペイトウィンが持つ数ある魔導具マジック・アイテムの中でもお気に入りの逸品である。ペイトウィンは魔導具に頼らなくても全ての属性の攻撃魔法を行使できる。だが、『火の神の杖』をはじめ一部の魔導具を使えば、詠唱や精神集中などの準備時間なしに強力な魔法を撃つことが出来るのだ。『火の神の杖』は火属性の杖の中でも強力で、それでいてサイズも小さく長さは三十センチほどしかないため扱いやすい。

 先ほどの爆炎弾エクスプロージョンは普通の《火の精霊ファイア・エレメンタル》の力を借りて行使する精霊魔法ではなく、『火の神の杖』に込められた固有の攻撃魔法だった。効果は精霊魔法の火炎弾ファイア・ボールのように命中すると爆発する火属性の魔力の砲弾だが、炎の矢ファイア・ボルトのように高速でまっすぐ飛ぶ。高速でまっすぐ飛ぶため命中率も高く、飛距離もファイア・ボルト並みだ。威力はペイトウィンの火炎弾ファイア・ボールよりも強力ですらある。


 『炎の防壁』ファイア・ウォールが展開する前、爆炎弾エクスプロージョングルグリウスやつに直撃したように見えた。

 あの爆発力に耐えられるモンスターはいない。

 グルグリウスアイツがどれほどのモンスターになったか分からんが、《地の精霊アース・エレメンタル》そのものよりは弱いだろう。

 おまけに『炎の防壁』ファイア・ウォールも併用したんだ。すぐには追ってこれないはず!

 このまま昼まで逃げ続ければ、デファーグが、ティフたちと一緒に帰って来る!

 ティフたちと合流すれば、何とかなるはずだ!

 それまで、何としても逃げきってやる!!


 背後にまばゆいほどの炎の光を受けながら、ペイトウィンは荷を積んだ馬と共に闇に向かって走った。

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