第925話 ドライアド再び

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



『早く助けに行って!!』


「え!?」


 唐突に頭の中に女の声が聞こえ、クレーエは驚いた。思わず周囲を見回すが、周囲にはエンテとレルヒェ、そしてもう一人の見張り番の盗賊しかいない。彼らは先ほどまでクレーエと同じく森で間欠的に上がる火の手を見ていたが、クレーエの異変に気付くとそちらへ視線を移していた。


「誰か、何か言ったか?」


「いや、何も?」

「何かあったのかい、旦那?」


「いや……今、女の声が聞こえたような……」


「女!?」

「聞こえたか?」

「そんなの聞こえねえぜ?」


 見張りの盗賊も含めレルヒェとエンテはクレーエの投げかけた疑問をもてあそぶ。だが答えなど出てこない。この周辺には彼ら盗賊たち以外に人間は居ないはずだし、ましてや女なんか居るはずもない。女日照りの続く盗賊どもだ、女なんか居たら放っとくはずがない。


「気のせいか……」


 気を取り直したクレーエは再び森の方へ視線を移し、何気に手が腰に差した木の枝に触れる。


『何をしてるの!?

 友達は助け合うんじゃなかったの!?』


「?!」


 木の枝に手を触れた途端、再び声が聞こえた。同時に頭の中に一昨日の夜、ブルグトアドルフの森で見た緑色に光る少女のイメージが蘇る。


「《森の精霊ドライアド》!!……さ…ま?」


 《森の精霊》からの念話だと気づいたクレーエは顔色を失った。


『そうよ!

 さっきから話しかけてるのに、アナタちっとも気づかないんだから!!』


 クレーエはもちろん、一昨日の夜のことをハッキリ憶えている。そこで何があったか、何を見たのか……とても信じられない出来事ではあったが、あの時一緒にいた『勇者団』ブレーブスの連中は翌朝までクレーエと一緒に過ごしたし、あれ以来彼らのクレーエに対する態度も多少変化していた。それよりなにより、彼の腰にはあの時 《森の精霊》から友情の証としてもらった木の枝が残っている。あの出来事は決して夢や幻なんかではない。だが、それでも彼自身が半信半疑のままだったし、そうだからこそクレーエはレルヒェやエンテたちにあの夜、森の中で何があったのか話してなかった。むしろ、彼は無意識に考えまいと、忘れようとしていた。要するに現実逃避しようとしていたのだ。

 が、《森の精霊》自身からの念話によって彼はあまり受け入れたくない現実へと引き戻されることになった。腰に差した木の枝を見下ろし、恐る恐る腰から引き抜いて、両手で掴む。


『ちょっと、聞いてるの!?

 何で無視するのよ?』


「あっ……も、申し訳ありません、《森の精霊ドライアド》様……」


「「「《森の精霊ドライアド》様ぁ~???」」」


 木の枝に向かって話し始めたクレーエを、盗賊たちは一歩引いたところから遠巻きに観察し始める。クレーエは盗賊たちの声に気づき、チラリとそちらを見てヘッと小さく笑った。


『もう、昨日と今日といっぱい助けてあげたのに、イザとなったら無視するなんて友達甲斐のない人ね!』


「昨日と今日?」


 不満そうな《森の精霊》の声にクレーエは意識を木の枝に戻し、眉を寄せた。一昨日の夜、ブルグトアドルフの森からシュバルツァー川のほとりへ戻ったクレーエはティフたちからこの木の枝が魔導具マジック・アイテムかもしれないとは教えられていた。《森の精霊》の加護があるから粗末にするなとも忠告された。だから言われた通り大事に持っていた。が、本当に魔導具だったなんて思ってもみなかったのだ。


 まさか俺が……これで精霊エレメンタル様と念話できるなんて……


 精霊との会話だなんて高名な神官ですら滅多に出来ないことは世間に広く知られた事実だ。それなのに居ながらにして奇跡を乱発できるほどの精霊とこうして会話できるなんて想像さえ及ばない。


『そうよ!

 アナタのお仲間、簡単に見つけられたでしょ!?

 まさか気づかなかったの?』


 あれか!?……クレーエは手を自分の額にペシッと叩きつけるように当てた。たしかに昨日と今日、逃げ散った盗賊たちの捜索は怖いくらいにうまく行っていた。中には足枷蔓ファダー・ヴァインに捕まって動けなくなっていた盗賊も居たくらいだ。あまりにもうまく行きすぎて異様なくらいだったのだが、《森の精霊》が力を貸してくれていたのだとしたら合点がいく。


「い、いえっ!大変助かりました!」


 どうやら気づかない間に《森の精霊》の加護を受けてしまっていたらしい。ありがたい話ではあるが、同時にクレーエの胸中には不安が沸き起こる。彼はこれまで長い間アウトローとして生きてきたのだ。盗賊を狩る盗賊として、様々な悪党どもを相手に闇の世界で過ごした彼の心に“甘え”などと言うものはない。何かしてもらったら何かを返さなければならないということを、彼はよく知っている。


 精霊エレメンタル様の加護を受けたら、いったい何をどう返して行けばいいんだ?


 神官でも聖貴族でもない彼にその答など分かるはずもない。答の見いだせない問題は、それが存在すること自体が不安の源となる。誰も……少なくとも彼が生きて来たアウトローの世界の人間は経験したことない精霊との付き合いは、もしかしたら彼のアウトローとしてのり方そのものを根本から変えてしまう可能性すら秘めていた。

 これから自分はどうなってしまうのか?何になってしまうのか?全く分からないままだが、それでも混乱する彼を置き去りにして状況は進んでいく。


『そうでしょ?

 今度はアナタの番よ!』


「アタッ、アタシっ!?」


 今、クレーエが最も心配している事柄に、クレーエが最も触れてほしくない部分に話題が及び、思わず声がひっくり返ってしまう。それを見た盗賊たちはますます眉を寄せて困惑の表情を強めた。


『そうよ!

 今、アナタも見てたでしょ?

 エイーが襲われて逃げているのよ!』


 アレか!


 森で起きては消える火災が『勇者団』の仕業ではないかと疑ってはいたが、『勇者団』の仕業とまではいかないまでもどうやら関係はしているようだ。しかも、エイーが絡んでいるらしい。


「ル、ルメオの旦那があそこに?

 一体、誰に襲われてるんで?」


『知らない奴だわ。

 彼らでは歯が立たないわね。

 とにかく追いかけられて逃げてるみたい。』


 クレーエはゴクリと喉を鳴らした。


 あの『勇者団』が歯が立たない?……冗談じゃない。そんな奴、俺なんかが相手に出来るわけがねぇ!!


「あ、あの……《森の精霊ドライアド》様は助けてやらねぇんで?」


『場所が遠すぎてダメなのよ!

 私の領域テリトリーなら助けてあげられるんだけど、力が届かないの。

 だからお願い、アナタが代わりに助けに行ってあげて!』


「い、いやぁ~……そうは言われてもぉ……」


 さすがに無理だ……クレーエはどうやって断ろうかと頭をフル回転させ始める。


『何よ!助けてあげないの!?

 友達なんでしょ!?』


「い、いや……アタシも助けてあげたいんですけど、あの旦那方がかなわない相手じゃアタシらなんか却って足手まといにしか……

 残念ですけど、何にもしてあげられないんですよ……」


『大丈夫よ!

 エイーを追ってる奴を追い払うのは私がやるわ!

 だからアナタはエイーを私の領域テリトリーの方へ誘導してくれればいいのよ!!

 それくらいなら出来るでしょ!?』


「ん、んんん~~~~……」


 クレーエはここぞとばかりに知恵を絞ってみたがそれ以上断る理由を、この《森の精霊》を納得させ得る言い訳を思いつかなかった。

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