第636話 リクハルドの相談

統一歴九十九年五月七日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 案内された応接室タブリヌムでリクハルドを出迎えたのは、軍装ではなくリクハルドと同じく正装トガを身につけたアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子と、軍装に身を包みガレアを小脇に抱えた特務大隊コホルス・エクシミウス大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスであった。


「昨日の今日で早速御目通りをお許しいただき、感謝感謝だぜ子爵公子アルトリウス閣下。」


 入室して型どおりの挨拶を交わした後、リクハルドがそう言うとアルトリウスはチラリとクィントゥスの方を見た。クィントゥスが報告をアルトリウスに上げてきたのは今朝のことだったからだ。だが、クィントゥス自身もリクハルドからの連絡を受け取ったのは今朝になってからであり、彼に落ち度があったわけではない。クィントゥスが無反応のままでいると、アルトリウスはひとまずそのことを置いといてリクハルドに返事をする。


に関して急ぎでということでしたからな。

 しかもリクハルド卿が直々にとなれば、いつでも時間は作りますとも。

 まあ、お掛け下さい。

 私に直に質問と相談があるということでしたが、何か問題でも生じましたか?」


 アルトリウスは部屋の中央に置かれた円卓メンサを挟むように置かれた椅子を指し示すと、リクハルドは「失礼するぜぃ」と何やら不敵な笑みを浮かべて椅子に腰を下ろした。


 普通、上級貴族パトリキにいきなり面会を申し込んだところで簡単には認められない。ましてアルトリウスは今、アルトリウシアで最も忙しい実の上だ。ただでさえ叛乱事件後の復興事業でアルトリウシア中が忙しく動いている中で、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの指揮官という業務と、その上ルキウスが腰痛でダウンしてしまったために領主代理としての業務を担っている。噂では被保護民クリエンテス『表敬訪問』サルタティオさえ断るケースが増えているという。レーマ帝国貴族レマヌム・インペリウム・オプティマティウムにとってクリエンテラは非常に重要なものと位置付けられ、保護民パトロヌスは公務よりも『表敬訪問』サルタティオを優先することも珍しくないというのにである。

 そんな多忙極まるアルトリウスに面会しようと思ったら、ただ単に身分が高ければ会ってくれるということにはならなくなる。貴族社会である以上、身分の上下はもちろん影響しないわけではないが、それ以上に用件の重要性によって面会の優先順位を決めざるを得なくなる。だが、アルトリウスはでリクハルドの面会を認めた。


 つまり、リュキスカの件はそれだけ重要ってことだ‥‥‥


「問題っちゃあ問題だ、俺っちにとってはな。

 だが上級貴族パトリキ様にとって問題なのかどうかはわからねぇんだが……」


 椅子に腰を下ろしたリクハルドはうっすら笑みを浮かべ、勿体ぶるようにそう切り出した。そのリクハルドを見ながらアルトリウスは自らも対面の椅子に腰を下ろし、クィントゥスはその傍らに警護をするように立つ。


「どういうことですかな?」


「俺っちはアレだ、リュキスカの件を揉み消すように仰せつかったわけだな?」


「その通りです。」


「ところがだ、どうも貴族ノビリタスの間ではもう知れ渡っちまってるようでね。

 アルトリウシア中の貴族ノビリタスの殆どからリュキスカの身元を探ってくれって、俺っちんトコへ依頼が来てんだ。」


 ニヤケを残したまま困ったように眉を寄せるリクハルドの顔を見ながら、アルトリウスはわずかに顔をしかめ、ゴクリと唾を飲む。理由は明白だからだ。

 リュキスカはリュウイチの聖女サクラになった。今後、否が応でもリュキスカは聖貴族コンセクラータとして祭り上げられることだろう。立派な上級貴族パトリキの一員である。そのリュキスカと付き合う上で、リュキスカのことをなるべく知っておきたい……それは貴族ノビリタスとしては当たり前の衝動であり行動であった。

 リュウイチのこともリュキスカのことも一般には伏せられたままだが、今アルトリウシアにいる主要な貴族ノビリタスは全員が既に知っている。そして、そのことをリクハルドは知らされていない。


「何でもぉ~?

 リュキスカが例の高貴な御方にめとられて上級貴族パトリキの仲間入りをしたとか~?」


「ウッ、ウンッ!」


 アルトリウスはわざとらしく咳払いをしてリクハルドの発言を中断させる。


「リクハルド卿、詳細はまだ言えないが、たしかに少なからぬ貴族ノビリタスには既に知られている。そのことについて、リクハルド卿には伝えておくべきだったかもしれませんな。

 それはこちらの手落ちです。」


「なあに、イイって事よ!」


 アルトリウスが頭を下げようとする直前、リクハルドは大きな声を出してアルトリウスが頭を下げるのを未然に制止する。そして円卓メンサにドンと左肘をついて身を乗り出し、右手を空中でヒラヒラさせながら続けた。


「向こうが既に知ってるってぇんならそれ以上隠しようがねぇし、意味もねぇ。

 別にそんなこたぁ大した問題じゃねぇさ。

 要は平民プレブスどもに知られなきゃいいって事なんだろう?

 問題ねぇよ、そんなことぐれぇでわざわざ閣下に文句を言いに来たわけじゃねぇさ。」


 リクハルドがどこか満足したように一気にそう言うと、アルトリウスとクィントゥスは一瞬、互いに目を見合わせた。


「で、ではリクハルド卿、他にいったいどのような問題が?」


「何、貴族ノビリタスの間じゃあとっくに知られてんだろうなってのは、まあ向こうから知ってるって言ってくれてっからいいんだよ。

 それにリュキスカのこと調べてくれってのもよ、俺っちに言ってくれる分にゃあ何とかすらぁな。

 だが、俺っちの《陶片にわ》で俺っちに断りもなく手前ぇで勝手に嗅ぎまわってる御方がいてねぇ、そいつに困ってんだ。」


「と、言いますと……」


「考えてもみてみねぇ。俺っちと手下どもがせっかくリュキスカの噂ぁ抑え込んでんのによ?そいつらがあっちこっちでリュキスカんコト訊いて回りやがんだ。

 これじゃあ、俺っちがどれだけ住民どもにリュキスカんコト忘れさせようとしても、そいつらのせいで噂がいつまで経っても消えやしねぇ。」


 リクハルドが上体を起こし、さも面倒に巻き込まれて困っているという風に両手を広げて見せると、アルトリウスは小さく唸った。

 確かにリュキスカに関する噂話が広がらないようにしなければならないのに、リュキスカの事を訊いて回られたらその度に訊ねられた者はリュキスカのことを思い出すだろう。そして人々はリュキスカの噂を口にすることになる。これではリクハルドがどれだけ頑張ろうと噂が消えることなどあり得ない。


「なるほど、確かにそれは困りますな。」


「だろぉ!?」


 理解してもらえたことに安心したのか、リクハルドは広げていた両手をポンと自分の膝の上に置き、顔を少し前に突きだしてそう言った。


「では、そのようなことをしている貴族ノビリタスは誰か、お分かりなのですか?」


「ああ、一人は分かんねぇが、一人は分かってる。

 いや、二人ともは付いてんだが、片っ方はどうも黒幕が別にいるみてぇでよ?」


「二人ですか?

 誰です?」


 再び、リクハルドは円卓メンサにドンと肘をつき、前のめりになって顔をアルトリウスの方へ突きだした。その顔からは笑みが消えている。


「一人は、ルクレティウス・スパルタカシウス様よぅ。」

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