第635話 メルヒオールの横槍
統一れ九十九年五月七日、昼 -
「ところでラウリよ」
アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に会いに来たリクハルドがアルトリウスの準備が整ったことを告げた近習に案内されて立ち去ると、その背中を見送るラウリにメルヒオール・フォン・アイゼンファウストが話しかけてきた。
リクハルドと違って背丈の差があまりないラウリに対し、メルヒオールはどこか親し気に内緒話でもするように声を潜める。
「お前ぇさん、何かココでやってるそうだな、え?」
「さぁ~何のことでござんしょうか?
アッシにゃあサッパリ……」
ラウリが内心でギクリとしながら
「とぼけんなよぉ。
ココに収容されてる避難民どもぁ
お前ぇさんが人を使って
え?
何やってんのか教えろよ。」
ラウリはたしかに人を使って
公式にはルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵が復興事業の陣頭指揮を執るために陣営本部に宿泊するからという事になっているが、当の子爵閣下は腰痛のため
この不可解極まりない事態の真相をなんとか明らかにしたいのだが、まったくもって成果が上がらないでいる。色々手をあぐねているうちに、どうやらメルヒオールに気付かれてしまったようだ。だが、だからと言ってリュキスカの事はメルヒオールに打ち明けるわけにもいかない。
「……すいやせん。アッシの口からは何とも……」
申し訳なさそうにするラウリに対し、メルヒオールは揺さぶりをかける。
「ふ~ん……まあいいや、言えねぇんなら仕方がねぇ。
だがよ、ここの避難民どもは
お前ぇさんが使ってる奴らん中にゃあオレの
何かあったらオレが困んじゃねぇかよ、な?
一応、オレにも話を通してもらわねぇとよ?」
ギャング、ヤクザ、マフィア、色々呼び方はあるが、裏社会ではあってもそれなりに勢力も歴史もある組織というのは決して反体制勢力ではない。意外に思われるかもしれないが、
どんな社会であっても、そこでは生きていけない人間が必ず存在する。そうした人間が生き延びるためには多少の逸脱行為はやむを得ない。だから法を犯してしまうことは仕方がないが、法秩序そのものを壊すのは良くない。それが裏社会の……
そんな彼らが彼らなりの、法には
法を犯し何かをすれば、必ずどこかに迷惑がかかる。誰もが相手構わず好き勝手すれば秩序など保てやしない。本来ならば法を守ることによって、誰にも迷惑が掛からないようにするものだが、法を守ることが難しい人種の集まりである裏社会においては、個別に話を通して調整する必要が出て来る。それが「筋を通す」ということに他ならない。裏社会に生きる者にとって「筋を通す」ということは、堅気の人間にとって法を守るのと同義なのである。
ラウリは最初の内はマニウス要塞に自然に出入りできる身内の人間を使っていたが、結果が出せなかったがために要塞内に収容されている避難民の中で
クリエンテラ(
だが、ラウリがやらせていることは一歩間違えば領主に対する叛意ととられかねない、犯罪スレスレの仕事である。もしもラウリがやらせていた仕事が何らかの理由で罪に問われれば、さすがに
これはラウリの落ち度であった。ここでとぼけたり突っぱねたりすれば話が却ってややこしくなる。ラウリは素直に頭を下げた。
「コイツぁ
アッシとしちゃあ危ねぇ橋ぃ渡らすつもりがあったわけじゃねぇんで……」
リクハルドヘイムのナンバー2と目されるラウリに頭を下げさせたことで満足したメルヒオールは笑顔を浮かべ、
「何、分かってくれんならイイってことよ。
お前ぇさんだって必要ってもんがあってやってんだろうからよ?」
「へぃ、ありがとうござんす。」
ラウリが礼を言ったところでバッとメルヒールがラウリの肩を抱いた。
「!?」
「で、何やってんだい?」
驚くラウリにメルヒオールが微笑みかける。メルヒオールの顔は笑っているが、間近で見るラウリには凄味しか感じられない。
「旦那ぁ、勘弁してくだせぇ。」
「そう言うなよ。
美味しい話ならむしろ手ぇ貸してやったっていいんだぜ?
何せお前ぇさんらには大工どもも貸してもらってるし、ダイアウルフだって借りてんだ。ここは持ちつ持たれつで行こうじゃねぇか、なぁ?」
「イヤ旦那、ホントに言うわけにゃあいかねえんで、勘弁してください。」
あくまでもラウリが拒否するとメルヒオールの顔から笑みが消え、肩を抱いていた左腕が降ろされる。
「ふーん‥‥‥まあ、無理にたぁ言わねぇよ。
だがおかしな話じゃねぇか、お前ぇさんが探ってる
そこに探りを入れてんだ、よもや大それた事でも考えてんじゃねぇかって心配になんじゃねぇかよ、この
メルヒオールから
「大それた事だなんてとんでもねえ!
リクハルドだって
アッシらだって子爵様の家来衆なんだ、子爵様に対して
「どうかねぇ?
じゃあ何で
「だから言うわけにゃあいかねぇんで、ホント、勘弁してくだせぇ。」
「そうは言ってもなぁ、子爵様にご迷惑が掛かるとあっちゃぁオレだって御報告しなきゃあなるめぇよ?」
さすがにこれ以上メルヒオールに騒ぎ立てられたんではたまらない。メルヒオールは郷士としてルキウスやアルトリウスに会って話が出来る立場にあるのだ。もしもアルトリウスやルキウスにラウリが陣営本部を探ってるなんて報告されては話がややこしくなる。情報を隠せと頼まれたのにむしろ探られていたなどとアルトリウスに知られたらどんな反応があるだろうか?
ラウリはメルヒオールにアルトリウスや他の
「それならご安心を。
ご迷惑をかけることなんざありやせんや。
アッシらに仕事ぉ依頼してんなぁ子爵公子閣下でやすから。」
「子爵公子閣下ぁ!?」
思わぬ答えにメルヒオールは目を皿のように丸くしてラウリの顔を見る。
「へぃ、今日リクハルドが来てんのもその件に関する話なんで……
ですからこの件はもう、これで御勘弁くだせぇ。」
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