第635話 メルヒオールの横槍

統一れ九十九年五月七日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



「ところでラウリよ」


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に会いに来たリクハルドがアルトリウスの準備が整ったことを告げた近習に案内されて立ち去ると、その背中を見送るラウリにメルヒオール・フォン・アイゼンファウストが話しかけてきた。

 リクハルドと違って背丈の差があまりないラウリに対し、メルヒオールはどこか親し気に内緒話でもするように声を潜める。


「お前ぇさん、何かでやってるそうだな、え?」


「さぁ~何のことでござんしょうか?

 アッシにゃあサッパリ……」


 ラウリが内心でギクリとしながら韜晦とうかいしようとすると、ラウリはニヤッと笑って左手でラウリの肩を抱くようにし、顔をラウリに近づける。


「とぼけんなよぉ。

 ココに収容されてる避難民どもぁアイゼンファウストオレんトコの住民だぜ?

 お前ぇさんが人を使って要塞司令部プリンキピア陣営本部プラエトーリウムに探りを入れてんのぁわかってんだ。

 え?

 何やってんのか教えろよ。」


 ラウリはたしかに人を使ってマニウス要塞カストルム・マニに居るはずのリュキスカの様子を探っている。要塞司令部やそのすぐ裏になる陣営本部の周辺だけが、例の特務大隊コホルス・エクシミウスによって厳重に警備され、関係者以外は人っ子一人入れない状態になっていることは突き止めていた。それからその内部の様子を何とか調べようとしているのだが、警備が厳重すぎて付け入る隙がまるでない。

 公式にはルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵が復興事業の陣頭指揮を執るために陣営本部に宿泊するからという事になっているが、当の子爵閣下は腰痛のためティトゥス要塞カストルム・ティティで自宅療養中。あとカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子が叔父のアロイス・キュッテルに軍団運用を実地に学ぶために来ている筈だが、肝心のアロイスは現在アルビオンニウムへ行ってしまって留守だ。カールは学ぶべき相手がいなくなったのだからティトゥス要塞へ戻ってしかるべきなのに、今もマニウス要塞カストルム・マニに滞在しっぱなし。しかも、カールの身辺警護ならアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアか侯爵家の衛兵が行うのが筋であろうに、今も特務大隊だけが警備に専従している。

 この不可解極まりない事態の真相をなんとか明らかにしたいのだが、まったくもって成果が上がらないでいる。色々手をあぐねているうちに、どうやらメルヒオールに気付かれてしまったようだ。だが、だからと言ってリュキスカの事はメルヒオールに打ち明けるわけにもいかない。


「……すいやせん。アッシの口からは何とも……」


 申し訳なさそうにするラウリに対し、メルヒオールは揺さぶりをかける。


「ふ~ん……まあいいや、言えねぇんなら仕方がねぇ。

 だがよ、ここの避難民どもはアイゼンファウストオレんトコの住民だぜ?

 お前ぇさんが使ってる奴らん中にゃあオレの被保護民クリエンテスも混じってんだ。

 何かあったらオレが困んじゃねぇかよ、な?

 一応、オレにも話を通してもらわねぇとよ?」


 ギャング、ヤクザ、マフィア、色々呼び方はあるが、裏社会ではあってもそれなりに勢力も歴史もある組織というのは決してではない。意外に思われるかもしれないが、御上おかみに逆らう事を必ずしも良しとはせず、秩序を重んじる存在であったりするのだ。確かに法を犯しはするし、追手がかかれば逃げ隠れもする。しかし、理由もなく御上に逆らって治安を悪化させたり社会を混乱に貶めようとするような行為は断じてしない。時に犯罪捜査に協力することも少なくないし、捕まれば基本的には取り調べに応じる。罪を問われ刑を科されれば、粛々と受け入れる。

 どんな社会であっても、そこでは生きていけない人間が必ず存在する。そうした人間が生き延びるためには多少の逸脱行為はやむを得ない。だから法を犯してしまうことは仕方がないが、法秩序そのものを壊すのは良くない。それが裏社会の……堅気かたぎの人間とはズレた秩序に対する考え方だ。彼らは法に反しはするが、決して無法者ではないのである。


 そんな彼らが彼らなりの、法にはらない秩序の保ち方の一つが「すじを通す」ということだった。

 法を犯し何かをすれば、必ずどこかに迷惑がかかる。誰もが相手構わず好き勝手すれば秩序など保てやしない。本来ならば法を守ることによって、誰にも迷惑が掛からないようにするものだが、法を守ることが難しい人種の集まりである裏社会においては、個別に話を通して調整する必要が出て来る。それが「筋を通す」ということに他ならない。裏社会に生きる者にとって「筋を通す」ということは、堅気の人間にとって法を守るのと同義なのである。


 ラウリは最初の内はマニウス要塞に自然に出入りできる身内の人間を使っていたが、結果が出せなかったがために要塞内に収容されている避難民の中で伝手つてのある者に協力させるようになった。が、その中の何人かがメルヒオールの被保護民クリエンテスであったようだ。

 クリエンテラ(保護民パトロヌス被保護民クリエンテスの関係)とは主従関係ではない。あくまでも相互扶助の関係だ。一人の被保護民クリエンテスが複数の保護民パトロヌスに仕えることもあるし、保護民パトロヌスに自分の被保護民クリエンテスを独占する権利があるわけでもない。他人の被保護民クリエンテスに仕事を頼んではいけないという決まりがあるわけでもない。だからラウリがメルヒオールの被保護民クリエンテスに何か用事を頼んだとしても、そのこと自体が問題になることは無い。

 だが、ラウリがやらせていることは一歩間違えば領主に対する叛意ととられかねない、犯罪スレスレの仕事である。もしもラウリがやらせていた仕事が何らかの理由で罪に問われれば、さすがに保護民パトロヌスであるメルヒオールまで責任を問われることは無いにしても、保護民パトロヌスの義務としてその被保護民クリエンテスを助けねばならなくなる。したがって、こういう場合は一応メルヒオールに断りを入れておく必要が、本来ならあるのだ。だが、ラウリはメルヒオールに話を通していなかった。「筋を通して」いなかったのである。

 これはラウリの落ち度であった。ここでとぼけたり突っぱねたりすれば話が却ってややこしくなる。ラウリは素直に頭を下げた。


「コイツぁ面目めんぼく無ぇ。

 アッシとしちゃあ危ねぇ橋ぃ渡らすつもりがあったわけじゃねぇんで……」


 リクハルドヘイムのナンバー2と目されるラウリに頭を下げさせたことで満足したメルヒオールは笑顔を浮かべ、気風きっぷ良さそうに振舞い始める。


「何、分かってくれんならイイってことよ。

 お前ぇさんだって必要ってもんがあってやってんだろうからよ?」


「へぃ、ありがとうござんす。」


 ラウリが礼を言ったところでバッとメルヒールがラウリの肩を抱いた。


「!?」


「で、何やってんだい?」


 驚くラウリにメルヒオールが微笑みかける。メルヒオールの顔は笑っているが、間近で見るラウリには凄味しか感じられない。


「旦那ぁ、勘弁してくだせぇ。」


「そう言うなよ。

 美味しい話ならむしろ手ぇ貸してやったっていいんだぜ?

 何せお前ぇさんらには大工どもも貸してもらってるし、ダイアウルフだって借りてんだ。ここは持ちつ持たれつで行こうじゃねぇか、なぁ?」


「イヤ旦那、ホントに言うわけにゃあいかねえんで、勘弁してください。」


 あくまでもラウリが拒否するとメルヒオールの顔から笑みが消え、肩を抱いていた左腕が降ろされる。


「ふーん‥‥‥まあ、無理にたぁ言わねぇよ。

 だがおかしな話じゃねぇか、お前ぇさんが探ってる陣営本部プラエトーリウムにゃあ、手前ぇんトコの領主様がお暮しになってんだぜ?

 そこに探りを入れてんだ、よもやでも考えてんじゃねぇかって心配になんじゃねぇかよ、この郷士ドゥーチェ様としちゃあよ?」


 メルヒオールから藪睨やぶにらみに睨みつけられ、ラウリは飛びのくように身体を起こすと両手を広げて首を振った。


だなんてとんでもねえ!

 リクハルドだって郷士ドゥーチェですぜ!?

 アッシらだって子爵様の家来衆なんだ、子爵様に対して二心二心なんざありやせんや。」


「どうかねぇ?

 じゃあ何で陣営本部プラエトーリウム探ってんだよ、おかしいじゃねぇか?」


「だから言うわけにゃあいかねぇんで、ホント、勘弁してくだせぇ。」


「そうは言ってもなぁ、子爵様にご迷惑が掛かるとあっちゃぁオレだって御報告しなきゃあなるめぇよ?」


 さすがにこれ以上メルヒオールに騒ぎ立てられたんではたまらない。メルヒオールは郷士としてルキウスやアルトリウスに会って話が出来る立場にあるのだ。もしもアルトリウスやルキウスにラウリが陣営本部を探ってるなんて報告されては話がややこしくなる。情報を隠せと頼まれたのにむしろ探られていたなどとアルトリウスに知られたらどんな反応があるだろうか?

 ラウリはメルヒオールにアルトリウスや他の貴族ノビリタスたちに密告する意味がないとメルヒオールに思わせることにした。


「それならご安心を。

 ご迷惑をかけることなんざありやせんや。

 アッシらに仕事ぉ依頼してんなぁ子爵公子閣下でやすから。」


「子爵公子閣下ぁ!?」


 思わぬ答えにメルヒオールは目を皿のように丸くしてラウリの顔を見る。


「へぃ、今日リクハルドが来てんのもその件に関する話なんで……

 ですからこの件はもう、これで御勘弁くだせぇ。」

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