第634話 二人の郷士の明暗
統一歴九十九年五月七日、昼 -
「おおぅっ灰色のぉ!!」
ラウリと共に馬車を降りたリクハルドが
「おおぅっ、黒ぇのぉ!!」
右手をバッとあげてリクハルドも負けじと返事をする。石とコンクリートで作られた吹き抜けホールの中で二人の声は良く響き、ホール内にいた者たちの視線が一斉に集まり、そして声の主がリクハルドとメルヒオールだと知ると何事もなかったかのようにそれまでの作業に戻っていく。新興地区の
メルヒオールはホールの階段を降りてくるとリクハルドの方へ機嫌良さそうに歩み寄って来る。
「なんでぇ
おうラウリ、お前ぇも元気そうで何よりだ!」
「お前ぇだって
そっちは確かテオだったか?
御苦労なこったな、日参してるって聞いてるぜ。」
メルヒオールとリクハルドは互いに声を交わし、お互いの連れにも声をかける。ラウリとテオは主人の話を邪魔しないよう、それぞれ無言のまま会釈した。
「ああ、今日はアレよ。
新しい縄張りが出来たからよ。
その報告と挨拶って奴よ。
まったく面倒でいけねぇぜ。
そっちはどうでぇ?」
「何、こっちゃあ
新しい縄張りってことぁアレか、例の山から降りてくる連中の奴か?」
「まぁなぁ、街づくりなんてなぁわかんねぇことだらけでいけねぇや。
若ぇ連中にやらせちゃいるが、詰めは自分でやんなきゃいけねぇからよぉ。
難儀なこったぜまったく、ガッハッハ。」
メルヒオールはセリフだけはボヤいているようだが、表情は終始笑顔であり上機嫌そのものだ。
リクハルドは目の前で笑う小さな隻腕の男に嫉妬に近いモノを感じつつ、それでも愛想笑いを返す。
「景気がよろしくって羨ましい限りだぜ
これで川向うのダイアウルフが片付いてくれりゃ万々歳だなぁ?」
他人の自慢話ほど聞いていて面白くない物はあるまい。メルヒオールがこのまま調子に乗って自分とは関係のない景気のいい話を垂れ流さないよう、リクハルドはアイゼンファスト地区にとって最大の懸念事項をわざわざ口にして牽制する。だが、メルヒオールは上機嫌だったところへ水を掛けられるどころか、むしろ更に機嫌を良くした。
「はっはぁーっ、それよぉ!」
「ああん!?」
期待とは逆の反応に戸惑う様子のリクハルドにメルヒオールはニヤリと笑い、
「ダイアウルフは多分もう来ねぇぜ?」
「!?……なんだぁ?なんで!?」
驚くリクハルドにメルヒオールはとびっきりの悪戯を持ちかける子供のような笑顔を浮かべる。
「三日ほど前、ダイアウルフが川向うに姿を見せて
「ああ、
だが逃げられたんだろ?」
三日前、セヴェリ川の南岸に藪の中からダイアウルフが姿を現し、警戒に当たっていた
メルヒオールはニィーッと笑みを強くした。見るとメルヒオールの背後のテオもニコやかな表情を浮かべている。
「まあな、だがそれだけじゃねぇ。」
「それだけじゃねぇ?」
「銃撃の後、
そんで血の痕を見つけた。」
どこか面倒くさそうだったリクハルドの表情がパッと驚きに変わる。
「当たってたってのか!?」
「おうよ!そんでな……」
メルヒオールは話を中断すると勿体ぶるように周囲を見回す。
「何だよ?」
「おう、そんでな、こっから先は……」
左手の人差し指を一本立てて口元に当てる。いいおっさんがまるで子供のようだ。いい加減、リクハルドも
「イイから言えよ。」
「おう、ハン族の革帽子が落ちてたのさ。騎兵の奴だ。」
「ハン族の!?
それってことぁつまり……」
「おうよ、弾が当たったのはダイアウルフじゃねぇ。
リクハルドは「仰天」を描いたような顔で屈めていた身体を起こした。
現時点ではセヴェリ川南のアルトリウシア平野にいるダイアウルフはエッケ島から逃げ出したものだということになっている。もちろん、アルトリウシアの
しかし、今回の件で実際にアルトリウシア平野にゴブリン兵が居たことがほぼ確実になった。もちろん、血で汚れた革帽子が落ちていたというだけでは証拠としては弱い。ハン族が言い逃れの出来ない証拠とはなり得ない。ダイアウルフがオモチャとして咥えて持ってきた可能性も否定できないからだ。だが、弱いとは言え証拠を握った。そしてハン族は証拠を握られたことに気付いているはずだ。だとすれば、もうこれまでのようにアルトリウシア平野からアイゼンファウストを伺うような真似は続けないだろう。
それは一種の希望的観測とも呼べるもので、やはり絶対的なものではない。もしかしたら予測に反して、ダイアウルフはなおもアイゼンファウストを伺い続けるかもしれない。だがそれでもその話はメルヒオールには十分喜ばしいものだった。
アイゼンファウストにダイアウルフが寄って来る可能性は格段に低下したと考えて間違いはない。そして、アルトリウシア平野にゴブリン兵が居た。イェルナクがウソをついていたという事は、いよいよエッケ島攻略の機運が高まることを意味する。あの日誓った
「おい、てこたぁ……戦が近ぇのかよ?」
血相を変えて訊ねるリクハルドにメルヒオールはフヒヒと含み笑いをし、左手の拳でポンとリクハルドの腹を小突く。
「んなわけあるかよ、まだまだ先さぁ。
領主様がたぁ、先に冬になる前に領民の家をどうにかなさるおつもりだ。
それを聞いてリクハルドは顔を
「だが、それが終わりゃあ戦の準備だ。
当面は忙しいのが続くぜぇ?
ハッハッハァ」
愉快そうに笑うとメルヒオールはわずかに間をおいて笑みを消し、声色を低くしてリクハルドに尋ねた。
「ところで、お前ぇが来たって事ぁあれかい?
例のトゥーレスタッド開発の話ぁ本当なのか?」
「ああ?何の話だ?」
何の話か分からずリクハルドが
「とぼけてんのかい?
ホレ、トゥーレスタッドにエッケ島を睨んで新たに砲台を造るって話があんだろうがよ?」
「おう」
「そすっとその砲台に
ところがトゥーレスタッドの周辺は何もねぇ。誰も住んでねぇ。
だからその砲台の兵隊どもの生活を支えるために、トゥーレスタッドに街を作っちまおうって噂ぁ聞いたんだがよ。」
「ああん?
聞いてねえぞそんな話ぃ」
リクハルドは驚いた。そのような話は寝耳に水である。
てっきりリクハルドが知らない振りをしていると思っていたメルヒオールはリクハルドの驚く様子に逆に驚いた。そして演技ではないと判断し、一度丸くした目を笑みでゆがめる。
「そうかい、ならいいんだよ。
何せあれだ、トゥーレスタッドに街ぃ作るとなりゃあ建築資材は
メルヒオールの話にリクハルドの表情が固まる。
たしかに、今アルトリウシアのあらゆる場所で復興工事が行われている。間近に迫った冬に備え、家を失った避難民の家を最優先に急ピッチで建設中なのだ。このため、優先順位の低い軍事施設の建設用の資材などどこを探しても手に入らない。この状況でトゥーレスタッドに砲台や街を作ろうと思ったら、メルヒオールが言うようにどこかの工事を止めて建築資材を回すしかない。トゥーレスタッドに新たに街をつくるとなれば、それは高確率でヘルマンニの領分になるだろう。となれば、建築資材は
海軍基地城下町はヘルマンニの領分だが、その再建工事はリクハルドのところの大工たちが請け負うことになっていた。もし、建築資材がトゥーレスタッドに回されることになったら、《
茫然とするリクハルドを余所にメルヒオールは話をつづけた。
「だからお前ぇさんなら話ぃ聞いてんだろうと思ったんだけどよ。
だが、お前ぇさんが話を聞いてねぇってぇんならこの噂、ガセなんだろうな。」
「リクハルド卿!
お待たせしました、
メルヒオールともう少し話を続けようとしたリクハルドだったが、アルトリウスの準備が整ったことから近習が迎えに来てしまった。
「おっと、お迎えが来たみてぇだなぁ?
じゃあまたなぁ灰色のぉ」
「お?おう」
リクハルドは腹にモヤモヤした物を抱え、その場を後にした。
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