第633話 圧力

統一歴九十九年五月七日、昼 - マニウス要塞カストルム・マニ/アルトリウシア



 大柄なコボルトにとって馬車という乗り物は少しばかり窮屈きゅうくつだ。基本的に馬車の左右の車輪の間隔はレーマ帝国で統一されており、帝国内のどこへ行っても、道路にはその幅のわだちができている。車輪の間隔が決まっていれば、その轍にはまり込んで進むことができるので馬車は帝国の道路ならどこでもスムーズに走っていける。もしも統一されていなかったら、轍は奇麗に残らない。間隔の広い轍や狭い轍があると、馬車の車輪は片輪だけがその轍にはまったり、あるいははみ出したりを繰り返し、ガタガタと激しく振動してまともに走らない上に、馬車の車輪や車軸、サスペンションなどが簡単に壊れてしまうからだ。

 ところが、その車輪の間隔というのはヒトやホブゴブリンが乗る馬車を基準に決められていた。レーマ帝国で最も多い種族がホブゴブリンであり、次いで多いのがヒトである。オークも多いが体格はホブゴブリンとだいたい同じなので、ホブゴブリンにサイズを合わせれば帝国内の殆どの種族に対応できてしまう。ヒトやホブゴブリンと体格が合わない種族は極めて少数であり、ましてコボルトがレーマ帝国の仲間入りを果たしたのはここ数十年のことだ。帝国の馬車の規格は大戦争勃発以前から決まっていたのだから、コボルトの体格のことなど考慮されるわけもない。

 その結果、馬車の車輪の間隔からキャビンの幅も必然的に決まってしまい、コボルトにとっては狭苦しいサイズにならざるを得ない。


 上級貴族パトリキともなると規格を無視して自分の好きなサイズで馬車を作ってしまう事もある。ルクレティウス・スパルタカシウスが若く元気だったころに作り、今は娘のルクレティア・スパルタカシアが乗り回している驢車ろしゃなどは良い例だろう。何を思ったのかスポーティーに駆け回れるように作られたカブリオレ(二人乗りのほろ付二輪馬車)は通常の馬車よりも小さく軽く作られており、一頭の馬に曳かせても軽快に走り回ることができる。おかげで女性でも取り回しが楽で、ルクレティアはさらに使いやすいように馬ではなくロバに曳かせ、どこへ行くにもそれを乗り回していたりする。


 そうした贅沢を実現するのは基本的には財力と政治力コネの問題であり、やろうと思えば下級貴族ノビレスでも十分にできる。いわんや、《陶片テスタチェウス》ことリクハルドヘイムの郷士ドゥーチェリクハルド・ヘリアンソンもやろうと思えばできないことは無い。が、彼はそれをしていなかった。

 意外にもリクハルドは余計な贅沢を好まない性質である。わざわざ無駄な金をかけて特注の馬車なんか作りたいとは思わない。いや、金の問題だけならチョットは作ってみたいと思わないではないが、事は馬車の問題だけではなかった。


 馬車を自在に乗り回すためには当然ながら自分の家の周りの道路もそのサイズに合わせなければならない。自分の家の前の道路が狭いのに、道幅より幅広の車なんか買うだけ無駄である。つまり、もしもリクハルドが自分のサイズに合わせて馬車を造ったら、《陶片テスタチェウス》の道路も拡幅しなければならないのだ。

 リクハルドはそれをやろうと思えばできる立場にある。なにせ《陶片テスタチェウス》は彼の街、彼はリクハルドヘイムの郷士ドゥーチェなのだし、都市開発は彼自身の手によるものだからだ。

 しかし、リクハルドはそれをやろうとは思わない。道幅を広くして自分用サイズの大きな馬車も自由に行き来できるようにすれば、街中を荷馬車が通れるようになって便利になることだろう。だが、リクハルドはそれを望まなかった。彼はわざと《陶片テスタチェウス》の道幅を狭くし、馬車の通行を制限しているのである。


 理由の一つは狭い土地になるべく多くの住民を住まわせるため。何せ湧き水が止まらず湿地同然だった土地を、人が住めるように土壌改良しているのである。土地そのものに金がかかっているのだから、面積は無駄にしたくない。道路を狭くすれば、その分だけ住宅用の面積を増やすことができる。

 もう一つの理由は防衛上の理由だった。《陶片テスタチェウス》の街は中央を走る主要街道ウィークスこそ真っすぐで馬車も通れるように敷いてあるが、それ以外の道路はなるべく狭くし、わざと入り組ませて迷路のように作ってある。土地勘のない外部の人間が迷いやすいように作られており、外部から侵入した“敵”の移動を阻む。その“敵”が追跡者ならば逃げやすいように、その“敵”が逃亡するならば追い込みやすく捕まえやすいようにと考えてのことだった。


 それらの理由を踏まえると、やはりたかが馬車一台のために街の道を拡げるなど馬鹿げている。だからリクハルドは多少窮屈でもレーマ帝国の規格に適合するよう作られた馬車で我慢しているのだった。


「カシラぁ、間もなく着きやすぜ?」


「おうっ」


 頬杖を突き、馬車の振動に不快そうにしているリクハルドにラウリが声をかける。車窓から見る城下町カナバエの様子は以前よりも活気があるように見えた。


「ちぇっ、景気良さそうじゃねぇか……」


 リクハルドは小さく毒づいた。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱ではダイアウルフに騎乗したゴブリン兵が荒らしまわったはずだが、その片づけはとっくに終わっており、それどころかアイゼンファウストからの避難民たちがマニウス要塞カストルム・マニに収容されたことで街は以前より好景気に沸いている。

 実を言うと一番被害に遭ったアイゼンファウストもアンブースティアも、侯爵家や子爵家が復興のために景気よく金を出してくれているので何だかんだいいながらも空前の好景気に見舞われていた。セーヘイムは全くといっていいほど被害に遭ってはいなかったし復興事業も行われてはいないが、建築資材やら何やらの輸入量が増加したためにやはり景気が上向いている。それらの中で景気の波に乗れていないのはリクハルドヘイムだけだった。

 もちろん、周囲の景気が良くなっている分だけ《陶片テスタチェウス》へ来る客も多少は増えてきているし、リクハルドが抱えている大工たちも他へ助っ人として出ているので全く景気の影響を受けていないというわけではない。しかし、他の地域が自分のところ以上に盛り上がっているのを見ると、どこか面白くないものを感じざるを得なかった。ましてやあのハン支援軍の叛乱にリクハルド自身が裏で関わっていたとなれば、余計に面白くなくなってしまう。


 ブスッとした表情で外を見るリクハルドを案じてラウリが声をかける。


「カシラぁ、姐さんのこと考えてんですかい?」


「ああっ!?」


 驚いたリクハルドが思わず顔をあげて大きな声を出すと、ラウリはビクッと身体を跳ねさせて驚く。


「違ったんで!?」


「何で俺ッチが?」


「だってカシラ機嫌が悪そうだから、てっきり姐さんと会ってるところアッシが邪魔しちまったからかと……」


 今朝、クィントゥスからの返事を受け取ったラウリは早速リクハルドに報告しに行ったのだが、その時リクハルドはエレオノーラと二人で話をしていたのだ。その後、すぐにリクハルドはエレオノーラを置いてラウリと共に馬車に乗って出かけたわけだが、ラウリの見たところその時からずっとリクハルドの機嫌がよくない。だからてっきりエレオノーラとの会話を邪魔したので機嫌が悪くしたのだと心配していたのだった。


「バッカお前ぇ、んなワケあるかよぉ。

 そんなこと気にすんなぃ。」


 リクハルドがせせら笑った。てっきりラウリはそれで安心するかと思いきや、今度はラウリの方がブスッと機嫌悪そうな顔をする。


「あ?……なんだよラウリ、どうかしたか?」


「どうもこうもねぇですよカシラぁ、ちったぁ姐さんのこと考えてやったらどうですかい?」


「ああ?何がだよ?」


「何がだよじゃねぇですよカシラぁ。

 いい加減、身ぃ固めたらどうなんですかって話ですよ。」


 どうやらラウリの地雷を踏んでしまった事に気付いたリクハルドはバツが悪そうに外へ視線を向ける。


郷士ドゥーチェにもなって今や立派な下級貴族ノビレスじゃねぇですか。

 押しも押されぬ『灰色のリクハルド』がいつまで独り身でいる気ですか?」


「べ、別にいいじゃねぇかよ。」


 ラウリは立場こそリクハルドの手下だが年齢はラウリの方が上である。海賊稼業もラウリの方が先輩だ。海賊だったころはお互い裏稼業ということもあって所帯を持って落ち着くなど考えたことも無かったが、リクハルドが騎士エクィテスの称号を貰い郷士ドゥーチェに取り立てられてからラウリはしっかりと嫁を貰い、家庭を営んでいた。

 そのラウリからすると、いつまでも海賊気分のままで嫁も貰わずに独身でいつづけているリクハルドは理解できない。特に自分の子が大きくなってそろそろ結婚も考えてやらねばと思っているラウリには、リクハルドのやっていることはチャランポランそのもので我慢しかねるものがあったのだ。


「良かぁないですよ。

 姐さんの気持ちも考えてごらんなさいよ。

 あのぁイイ女ですよ?」


「ああ、知ってるよ」


「ホントに分かってんすかねぇ?

 ホントならとっくに子供の四、五人は産んで郷士ドゥーチェの女将さんになってて当然なのに、あんだけ一途にカシラを待ち続けてかわいそうに思わねぇんですか?」


「ああ~あいつはそのぉ……」


「また妹みたいなもんだとか言うつもりじゃないでしょうね?

 ヤることヤッといてその言い訳は通用しやせんよ!?」


「ああ~そのうちっ!そのうちなっ」


 リクハルドは面倒臭くなり、外を向いたまま少し大きい声で言った。いつもならこれで引き下がるラウリがどういうわけか引き下がらない。


「そのうちっていつですか!?」


「そ、そのうちは、そのうちだよ……」


 予想外にしつこいラウリにリクハルドは柄にもなくタジタジになる。その様子を見てラウリは詰めにかかる。


「……カシラぁ、歳ぃ考えてくださいよ。

 姐さんだってもうすぐ三十ですよ?」


「あ~…そう、だったか?」


「そうですよ。

 三十過ぎたら子供なんて産めなくなっちまいやすよ?」


「あ~……うん」


「アッシだってあの娘の事ぁ古くから知ってんだ。

 カシラと会うまえからの付き合いですからね。

 頼んますから、あの娘ぉ幸せにしてやってください。」


 リクハルドにとって幸運なんことに、そしてラウリにとって不幸なことに、リクハルドが返事をする前に馬車は要塞司令部プリンキピアの前に到着した。

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