第1284話 御用商人の影

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 やっちまった……


 ティフの白い顔は今やすっかり青くなっていた。自分の失言のせいでムセイオン脱走してから初めて確保した安定した『勇者団』ブレーブスの補給ルートに関する情報がレーマ軍にバレてしまった。もちろんティフはアルトリウシアで叛乱事件があったことも、それを受けてシュバルツゼーブルグの街で食料が配給制になったことも知ってはいた。だが、食料の流通統制がクプファーハーフェン以外のアルビオンニア全域に及んでいるとは思ってもいなかった。

 アルビオンニアはレーマ帝国の属州としてはかなり狭い方である。アルビオンニア侯爵家が直轄しているライムント地方の面積だけならレーマ本国……一つの都市国家にすぎなかった頃の帝都レーマの支配地域と大差ない規模だ。本来なら独立した属州に相応しい広大な領土となることが期待されたアルビオンニア属州だったが、いざ植民を開始してみると大災害によって無人と化したと思われていた土地で想定よりもずっと早く、想定よりもずっと強力な蛮族と遭遇してしまい、版図の拡大は行き詰ってしまっていたのである。

 もちろん、レーマ帝国最南端という、おそらくムセイオンから最も離れた辺境地域のそんな事情などティフは知らない。属州というからにはもっと広いだろうと勝手に思い込んでいたのだ。


 まずい……レーマ軍の捜索がクプファーハーフェンの支援者に及んだら支援を打ち切られてしまう……

 せっかくスモルが連絡をつけに急行してくれているのに……


 ティフは手で口元を覆って考え始めた。


 何とかしなければ……


 一方、カエソーの方は『勇者団』の補給拠点がクプファーハーフェンで間違いないと確信していた。


 どうやらティフこの人はポーカーフェイスが苦手なようだ。

 こんなに感情を露わにして、よくこれで貴族社会でやってこれたものだ……


 ムセイオンの聖貴族……それも御年おんとし九十歳を超えるハーフエルフということで、どれだけ老獪ろうかいな人物かと警戒していたカエソーだったが、昨日のペイトウィンに引き続き今日初めて会ったティフと続けてあまりにも予想外なキャラクターを目の当たりにし、むしろ肩透かしをくらったような気になっていた。


「いかがされましたか?」


 カエソーに声をかけられたティフは一瞬ビクッと身体を震わせ、口元を手で抑えたまま目だけでカエソーを見た。


「顔色が少し悪いようですが?」


 さすがに気の毒になるレベルである。『勇者団』がこれまでやってきたことやこれからやろうとしていることを考えれば同情する気など更々無いが、それでもこの不器用さには憐れみを感じなくもない。

 反射的にティフは口元を覆っていた手を降ろし、身体を起こして取り澄ました。


「いや、何でも無い!」


「ならいいのですが……」


 ティフはそのまま誰とも目を合わせないように天井だの壁だのを見回しながら取りつくろい始める。


「うん、そうだな……

 クプファーハーフェンか……

 ああ、確かに盗賊どもを養うための補給はあそこからだった。」


 気持ちの整理がついたのか、ティフは視線をカエソーに戻す。


「だが、俺たちが養わなければならない盗賊たちはもう存在しない。

 だから、クプファーハーフェンからの補給は、もう必要なくなった。

 補給体制の見直しってのは、そういうことだ」


 なるほど……カエソーは顔だけは驚いたように両眉を持ち上げてみせる。


 咄嗟とっさにうまい言い訳を考えついたものだ……未だに諦めないティフのしつこさに半ば呆れ、半ば感心する。


「いずれにせよ、クプファーハーフェンの主要な商人たちは捜査されることになるでしょう」


「あそこは貿易港だ。

 商人は多いぞ?」


「シュバルツゼーブルグに独自の輸送ルートを持っている商会となるとそう多くはありませんよ。

 三百人分の食料を確保するとなると、荷馬車も一台じゃ足らない。

 となれば食料のほかに飼料もまとまった量が必要になる。

 それだけの規模の食料と飼料、そして輸送手段を融通できる商会……ほんの数軒でしょうな」


 言いながらカエソーは自分の言っている話の内容、その意味に気づき内心で驚いていた。それだけの規模の商会となると、上級貴族パトリキの御用商人くらいしかない。そして今のアルビオンニアで侯爵家と子爵家の御用商人たちは破産を噂されるほどの勢いでアルトリウシアの食料と資材の確保に邁進しているのだ。サウマンディアの御用商人たちもほぼ同様である。


 まさかクプファーハーフェン男爵が!?


 レーマ帝国の上級貴族の御用商人でクプファーハーフェンに拠点を置き、シュバルツゼーブルグを活動圏内に納めているのは、アルビオンニア侯爵家、アルトリウシア子爵家の御用商人たちを除けばクプファーハーフェン家の御用商人だけだ。そして御用商人が何らかの活動をする時、その背後にはその商人を御用商人に指名した貴族が当然背後にいると考えるのは当たり前のことである。

 レオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵はクプファーハーフェンの領主であり、先代アルビオンニア侯爵マクシミリアンの実弟である。マクシミリアンが火山災害に巻き込まれて急死した際、侯爵家の後継ぎとして多数の支持があったにもかかわらず、侯爵家を継ぐ気はないと宣言し、マクシミリアンの妻エルネスティーネを支持して御家騒動を収束させてみせた人物だ。アルビオンニア侯爵家やアルトリウシア子爵家はもちろん、サウマンディア伯爵家からも信頼が厚い。

 しかしレオナードは先々月末か先月頭ぐらいから体調を崩しているとかで動静が不明瞭になっており、ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件については物資や資金の支援は始めてくれたものの、連絡らしい連絡がつかないままになっていた。


 しかし、男爵が背後にいるとなれば『勇者団』ブレーブスが補給を確保できるのもわかる。男爵の動静が不明瞭になった時期と『勇者団』が盗賊どもを集め出した時期も合致する。

 だが、男爵が何故?

 聖遺物アイテムか何かで釣られたとでもいうのか?

 いや、男爵と『勇者団』ブレーブスが接触したとしたらリュウイチ様が降臨される前のはずだ。

 ムセイオンのハーフエルフに誘われればあるいは……


 カエソーの表情が妙に曇り始めたことにグルグリウスは気づいていたが、肝心のティフは気づいていなかった。カエソーの推理が的確に支援者を特定し始めていることに焦りを募らせていたのだ。


「好きにするがいい。

 どのみち、今の我々は大規模な補給物資など必要とはしないのだ。

 ムセイオンからここまで、食料も水も自力でまかないながら来たのだからな。

 盗賊を失った今、俺たちは補給問題の足枷あしかせから解放されたと言える」

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