第1285話 虚勢と挑発

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ティフのそれは精一杯の強がりだった。確かに盗賊団という無駄飯喰らいがいなくなれば補給の心配がなくなるのは事実だろう。しかし、だからといってせっかく得たはずの支援者を失うのが大きな損失であることには変わりない。三百人いた盗賊たちの大部分は死ぬか捕まるかして脱落したが、まだ二十人ちかく残ってはいるのだ。ティフたちが旅をすることだけを考えれば残り二十人ほどの盗賊どもなど切り捨ててしまってもいいのだが、生憎とその盗賊どもは今エイー・ルメオにとって必要不可欠な配下となっていた。


 エイーは『勇者団』ブレーブスで唯一のヒーラーだ。治癒魔法の専門家であり、魔法に寄らない医療や薬学、栄養学にも通じている。メンバーの中ではハーフエルフよりヒエラルキーの低いヒトではあるが、欠かすことのできない存在でもある。ティフはもちろん、『勇者団』のハーフエルフは全員がある程度の治癒魔法は使えるが、やはり専門のヒーラーのいない冒険者パーティーでの冒険は無謀以外の何物でもないからだ。

 『勇者団』にとって欠かすことのできない人材……その評価は『勇者団』メンバー全員のエイーに対する共通した評価だ。だがエイー本人の中ではその評価は揺らいでしまっている。理由は、アルビオンニアに来てからの彼自身の働きにある。


 エイーはもちろんヒーラーとして、戦い傷ついたメンバーを回復させることが期待されていた。エイー自身もそれには自信を持っていた。そしてムセイオンを脱走してからアルビオンニアに来るまでの間、エイーは『勇者団』で非常に役に立ってもいた。浄化魔法によってメンバー自身や衣類、そして食べ物の衛生環境を整えていた。そして行く先々でその地の傷病者に治癒魔法を使って治療費を受け取り、路銀を稼いでくれてもいた。

 しかし、アルビオンニアに到着してからは、存在価値に陰りが生じていた。まずクプファーハーフェンで支援者を見つけてからは路銀を稼ぐ必要性がなくなった。それだけならともかく、一番期待していた戦いの場面でエイーに活躍の機会が全くと言っていいほどなかったのだ。

 何せ当初、『勇者団』が戦いを挑んだ相手は盗賊たちだったのだ。魔法を駆使し、常人を遥かに凌駕する聖貴族にとって、訓練など積んだことも無い素人が武器を持っただけの盗賊など敵ではなかった。傷つくことなど全くなく、一瞬で勝負がついてしまう。盗賊団が街道の治安を維持しているレーマ軍に代わったところで差は無かった。せいぜい戦いに動員された盗賊たちの負った怪我を治してやるぐらいだ。盗賊たちからは感謝されたが、それが『勇者団』としての働きだとはエイー本人も含め誰も評価しなかった。

 次いで始まった本格的なレーマ軍との戦い……いや、精霊エレメンタルたちとの戦いか……これは逆に力の差がありすぎて勝負にならなかった。《地の精霊アース・エレメンタル》を始め『勇者団』の前に立ちはだかった精霊はいずれも本気を出しておらず、それどころか『勇者団』を傷つけないようにさえしていた。おかげでメンバーに負傷者らしい負傷者は出ていない。ペイトウィンの誤爆でスモル・ソイボーイが軽い火傷を負ったぐらいで、他は魔力欠乏による体調不良……エイーの治癒魔法が役立つような状況は一向に発生しなかったのだ。


 一向に役に立てていない。活躍の機会自体がない……それは事前の期待が過剰に高かったがゆえに大きな失望となっていた。そしてブルクトアドルフでのメークミー救出作戦のおり、エイーと行動を共にしていたナイス・ジェークが捕虜になってしまう。しかもナイスはエイーを助けようとした結果、捕虜になったのだ。


 傷ついた仲間を助ける……そのために来たはずなのに、却って重荷になってる……


 そうした思いを抱き始めたところへ、今度は立て続けにペイトウィンが捕虜になってしまった。ペイトウィンはエイーをかばって全力を出せないまま戦い、捕虜になったのだ。


 エイーの自尊心は大いに傷ついた。そのエイーが自尊心を取り戻すためには、自分も『勇者団』の一員として戦い、実績をあげて誇りと自信を取り戻すしかなくなてしまったのだ。そしてエイーはわずかばかりの盗賊団残党を率いて、ブルグトアドルフでレーマ軍に挑戦しようとしている。

 ティフも、そして他のメンバーたちも、エイーのその判断と決意を否定できない。冒険者として、『勇者団』の仲間として、何より男として、自身の尊厳を取り戻す戦いに挑む者を彼らは否定できなかったのだ。そしてそうである以上、本来なら切り捨てても一向にかまわないはずの盗賊団への補給も諦めきることはできない。


 だが、盗賊の生き残りと『勇者団自分たち』を会わせても三十人……以前の十分の一だ。

 クプファーハーフェンからの補給が途絶えても、やっていけないことはない。

 だいたい、あいつら盗賊だろ!?

 だったら自分で自分の食い物くらい、自力でどうにかできるだろ……


 精神的に余裕を失った人間特有の、ひどく短絡的な思考にティフは陥っていた。実際には『勇者団』にはまだ馬を十数頭抱えている。便利に乗り回しているが、馬は人間などよりもずっと大喰らいなのだ。本当にクプファーハーフェンからの補給が途絶えれば、早々に『勇者団』は飢えることになる。実はしばらく前から補給が途絶えており、現時点で中継地点に集積された分が無くなれば飢えることになってしまうのだが、ティフ達はまだ事の深刻さに気付いていなかった。スモルがクプファーハーフェンで支援者に会えば、またすぐに補給が再開されると思っていたのだ。


「なるほど……」


 カエソーはそう言いながら背もたれに体重を預けた。ティフが強がりを言っているのであろうことは気づいている。だがカエソーは『勇者団』の内情など知る由もない。

 盗賊団が壊滅し、人数が大幅に減ったというのは事実だ。それはカエソーももちろん把握している。それを踏まえれば補給の必要が無くなった。補給問題の足枷あしかせから解放されたというのは一つの事実なのだろう。そしてそれをわざわざ宣言して強がってみせるということは、『勇者団』はまだ積極的に行動し続けるという意思の表れであるはずだった。


「つまり、『勇者団』ブレーブスに投降する意思はなく、むしろと……そうおっしゃるのですかな?」


 カエソーの問いにティフは答えなかった。カエソーの声色が堅く、冷たく、そして低く変わったことにティフは違和を覚えたからだった。答える代わりに目を細め、口元を引きつらせる。それは緊張の現れにすぎなかったが、カエソー以下レーマ側の人間からは不敵に笑っているようにしか見えなかった。


「イタリカを蹂躙じゅうりんするハンニバルのごと『勇者団』ブレーブスがアルビオンニアを荒らすというのであれば覚悟していただく必要がありますな。

 我々はファビウスの如くクンクタトルとして振る舞うつもりなどないのです」

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