第1286話 『勇者団』の経戦能力

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ハンニバルとは第二次ポエニ戦争の際、古代ローマを追い詰めたカルタゴの名将ハンニバル・バルカのことである。カンナエの地においてローマ軍を殲滅せんめつし、その圧倒的な戦果によって戦史に不滅の名声を刻んだ英雄だ。ハンニバルが指揮したカンナエの戦いは包囲殲滅戦の理想形として今もなお高く評価されており、自らの作戦指揮で現代にこれを再現したいと望まない用兵家はいない。

 そしてファビウスとは、イタリア半島を荒らしまわるハンニバルとの正面対決を徹底的に避けつづけたことで、『クンクタトル』と仇名され批判にさらされたローマの執政官コンスルクィントゥス・ファビウス・マクシムスである。

 ファビウスはハンニバル軍との直接対決を避ける代わりにハンニバル軍の補給を絶ち、ハンニバル軍を支えていたイベリア半島や北アフリカ、シチリア島を攻めてハンニバル軍の消耗を粘り強く待ち続け、遂にはハンニバルをイタリア半島からの撤退に追い込んでいる。第二次ポエニ戦争最大の功労者であるファビウスは後に「ローマの盾」と称賛され、ファビウスのとった相手の消耗を待つ長期持久戦略は彼の名にちなんで「フェビアン主義フェビアニズム」と呼ばれるようにもなっていた。

 カエソーは『勇者団』ブレーブスをイタリア半島を荒らしまわったハンニバル軍にたとえ、自分たちはファビウスのようにお前たちを放置したりしない……むしろ積極的に追い立てて捕まえるぞと警告したのだった。


 ハンニバルってたしか《レアル》の古い英雄だよな……

 ファビウスって誰だっけ?


 《レアル》神話をティフはあまり好きではなかった。ハンニバルの名も知っているし、ザマの戦いでハンニバルを打ち破ったスキピオ・アフリカヌスも知っている。だがファビウスのことは知らなかった。なのでカエソーの言ったことの意味はあまりよく理解できていない。だがカエソーの一言をきっかけに場の雰囲気がガラリと替わったのは気づいている。レーマ側がヤル気になったということだ。


「無理に追い立るというのなら、手痛い反撃を食らうことになるぞ?」


 意味が分からないなりにティフも雰囲気で警告する。だがカエソーは不敵に笑みを浮かべるだけだった。


「カンナエのようにはならんでしょう。

 たかが二個百人隊ケントゥリアを追い払うために三百人もの盗賊を集めなければならなかった『勇者団』アナタ方に、もはや軍勢を包囲殲滅するような戦力などありますまい」


「それは魔力を温存したかったからだ」


 ティフが再び挑みかかるように姿勢を下げる。


「閣下は御存知ないのだろうが降臨術には相当な魔力が必要だ。

 盗賊どもは魔力を温存したうえでレーマ軍を追い払うために利用したにすぎん。

 だがアルビオンニアでの降臨を諦めた今、魔力を温存する必要は無くなった。

 俺たちも全力で戦えるということだ」


 さすがになどと言われてはしゃくさわる。相手は軍隊とはいえ魔法を使えぬNPCの集団……それが百や二百あつまった程度なら本気になった『勇者団』の敵ではない。かつて彼らの父祖であるゲーマーはレーマ軍の軍団レギオーを一人で撃破したこともあるのだ。その血を引いている筈の聖貴族が十人も集まって、同じことが出来ないはずがない。それなのに一個軍団どころかその十分の一にも満たない二個百人隊を『勇者団』が相手どれないなどと言われては、『勇者団』メンバーならばティフでなくとも自尊心を刺激されずにはいられないだろう。

 だがティフの強がりはカエソーには負け惜しみにしか聞こえない。


「ほう」


 背もたれにもたれかかったままカエソーは驚いたように両眉を持ち上げ、目を丸くして驚いたような仕草をしてみせる。


「では《地の精霊アース・エレメンタル》様のゴーレムたちとの戦いで魔力欠乏に陥って撤退したのも、魔力を温存するためだったのですかな?」


「ぐっ!」


 『勇者団』はアルビオンニウムのケレース神殿テンプルム・ケレースへ侵入を試みた際に、カエソーが直卒する部隊にはばまれている。両者が激突する寸前に《地の精霊》が割って入り、『勇者団』は《地の精霊》が召喚したゴーレム軍団との戦いを強いられた。その戦いで『勇者団』はメンバーの何人かが魔力欠乏に陥り、撤退に追い込まれている。そして撤退の際、殿しんがりを務めたメークミーが魔力欠乏で倒れ、レーマ軍の捕虜になってしまっていた。《地の精霊》が魔法で作った土塁に阻まれてていたため、カエソーはその様子を直接見ることができていなかったが、捕虜になったメークミーからその戦いの状況はある程度聞いて知っている。

 歯噛みするティフをあえて見ぬようにカエソーは身体を起こし、テーブルに置かれた茶碗ポクルムを手に取った。


「魔力欠乏に陥った状態でもなお、魔力は温存してあったとは……たしかに素人の私には分からない理屈ですな」


 カエソーが涼し気な様子で茶碗の果汁飲料テーフルトゥムを啜ると、ティフはフンッと鼻を鳴らして背もたれに上体を投げ出し、腕を組む。


「魔力は魔法薬ポーションで回復できるのだ!」


「おお、ではあの時は魔法薬ポーションを使えばよかったではありませんか」


 口を尖らせたティフに、茶碗を置いたカエソーがお道化どけたように尋ねると、ティフは苛立ったように身体を起こし、両手を膝に置いて顔を突き出した。


「使ったさ!

 あの日、あの場に持ち込んだ分はな」


 唾を飛ばすような勢いのティフを前にしてもカエソーの態度は変わらない。


「じゃあもう無くなったんですか?」


 おっとりととぼけたような態度のままのカエソーに、ティフは感情を露わにしている自分がバカバカしくなったのか、あるいは恥ずかしくなったのか、また背もたれに身体を預けて腕組みし、そっぽを向いた。


「あるさ!

 無くなるもんか!

 言ったろ、あの日あの場に持ち込んだ分はって!?」


「ふーん」


魔法薬ポーションは確かに貴重だが、まだあるさ。

 ただ、一日にたくさん飲むと身体に悪いんだ。

 だからあの日はちょっとしか持って行かなかったんだ。

 あんな強力な《地の精霊アース・エレメンタル》が居るなんて思いもしなかったしな。

 分かってりゃ準備していったさ」


 つまらなそうに答えたティフにカエソーは気のなさそうな相槌あいづちをうち、ハンドサインで飲み物のお代りを要求する。カエソーはティフを見たまま再び背もたれに上体を預けると、従兵が茶碗を回収して炭酸果汁飲料のお代りを静かに注いだ。その間、二人の間に沈黙の時間が流れた。

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