ティフとカエソー・・・交渉再開

第1287話 カエソー側の内情

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ふむ、『勇者団』ブレーブスはまだ戦う意思も能力もあるということか……


 従兵が茶碗ポクルムにお代りを注ぐ様子をジッと注視しているティフ・ブルーボール二世の様子を冷めた目で見ながらカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はそう結論付けた。

 たしかに『勇者団』は《地の精霊アース・エレメンタル》をはじめとする強力な精霊エレメンタル達の前に敗退を続け、戦意を大きく下げているのは間違いないだろう。現にこちらへの交渉を執拗に持ち掛け続け、ついにはリーダーのティフ本人が単騎でカエソーの前に姿を見せたくらいだ。『勇者団』はこのままでは勝てないという認識はレーマ側も『勇者団』側も共有している。

 だが、そうした状況を作り出したのはあくまでも《地の精霊》をはじめとする精霊の力によるものだ。レーマ軍単独の力では決してない。アルビオンニウムで盗賊たちを使った陽動作戦で保有する予備戦力を根こそぎ引きずり出され、ブルグトアドルフでは《地の精霊》の支援があったにもかかわらず『勇者団』側の奇襲を許し、あまつさえ自身が瀕死の重傷を負わされてしまったカエソーには、実をいうと今でも自分の手勢だけで『勇者団』の残党を掃討できる自信はない。

 ナイス・ジェークから聞いた話ではあの日、メークミー・サンドウィッチ救出のためにスワッグ・リーがブルクトアドルフに侵入していた。そして瀕死の重傷を負ってベッドに横たわるカエソーに治癒魔法を施していたメークミーのところまで侵入を果たし、メークミーと会話までしている。だが部下たちの報告にスワッグに関するものは何一つなかった。つまり『勇者団』はやろうと思えば誰にも気付かれることなく、いつでもカエソーを暗殺できるということなのだ。

 今、カエソーが強気に出ていられるのはあくまでも臨時で雇い入れているグルグリウスが傍にいてくれているからであり、どこにいるかは分からないが《地の精霊》が一応の支援を約束してくれているからであり、そして『勇者団』が《地の精霊》を恐れているという事実を承知しているからなのである。


 『勇者団』をハンニバルになぞらえての脅迫は、いわばブラフのようなものだ。レーマ軍としてはもちろん『勇者団』を狩りたてることになるだろう。だがそれはそもそもカエソーの任務ではないのだ。カエソーの任務はあくまでも捕えた捕虜の護送であり、ルクレティアを護るアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアと共同することでサウマンディアとアルビオンニア、そしてアルトリウシアの友好関係に寄与することにある。『勇者団』を積極的に捜索し、見つけ、捕えるのは叔父であるアグリッパ・ウァレリウス・サウマンディウスの仕事だ。

 ただ、アグリッパが率いるのはサウマンディア軍団軍団兵たちレギオナリー・サウマンディイあり、彼らはカエソーにとっても部下である。アグリッパは軍団長レガトゥス・レギオニス、そしてカエソーは軍団長の副官である筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスなのだ。『勇者団』がアグリッパに全力でぶつかり、その結果軍団兵レギオナリウスに多数の死傷者が出ることは避けねばならない。

 そのカエソーがあくまでも余裕を演じ、優位にあるように振る舞っているのは、精霊の威光にすがれる今の状況で可能な限り『勇者団』に圧力をかけ、できれば平和裏に投降するように仕向けるためである。カエソーはルクレティアではない。リュウイチや《地の精霊》の力に頼れるのはあくまでも今だけであり、期限つきの今の優位を最大限に活かさなければならないのだ。


 が、どうやら成功を納められそうにはなかった。


 『勇者団』はかなり戦力を減じている。三百人はいたであろう盗賊団は今や二十人程度に討ち減らしており、『勇者団』メンバーも十三人中三人がレーマ軍の捕虜となった。しかもそのうちの一人はハーフエルフのペイトウィンで、確認しきれたわけではないがどうやら『勇者団』の物資の多くを納めた魔法鞄マジック・バッグも押収できたようだ。

 精霊エレメンタルという未知の強敵に敗退を続けた『勇者団』はもう降臨術の再現は難しくなったはず……そう期待し、揺さぶりをかけたわけだ。それで『勇者団』全員が投降してくれればこれ以上の成功は無いだろう。カエソーはメルクリウス捕縛にも等しい手柄をあげることになるのだ。


 ところが揺さぶりをかけてみてもティフは諦める様子を見せない。アルビオンニアでの降臨再現は諦めたようだが、投降する気はカエソーの見たところゼロ……ところどころ虚勢を張っているのは間違いないはずだが、少なくとも戦う能力は残しており、レーマ軍だけが相手ならばまだまだ負けない自信はあるらしい。


 レーマ軍我々精霊エレメンタルの関係がそれほど深くないと気づいているのか?


 《地の精霊》には背後に誰かがいることにティフは気づいている。そこは流石ムセイオンの聖貴族といったところだろう。その背後にいるのが《暗黒騎士リュウイチ》だとは夢にも思っていない様子ではあるが、だがリュウイチと《地の精霊》が全面的にレーマ軍を支援しているわけではないことは、どうやら看破しているようではある。カエソーではなくリュウイチとの交渉を執拗に求めたのも、レーマ軍が《地の精霊》を使役しているわけではないと、《地の精霊》とレーマ軍の協力関係が緊密ではない見抜いたからこそなのだろう。


 ここで強引にグルグリウス殿にティフブルーボール様を取り押さえてもらうことは可能だ。

 だが、そうすればティフブルーボール様とサウマンディアの関係は決定的にこじれてしまうだろう。

 ヒトならばまだしも、ハーフエルフとの関係が拗れるのは避けねば……

 レーマ軍の一員として大協約を守る姿勢は崩さず、『勇者団』ブレーブスの聖貴族をし、なおかつティフこの方との関係を良いものにせねば……


「おい……」


 従兵がカエソーの前に果汁飲料テーフルトゥムを満たした茶碗ポクルムを差し出すのを見ながら、ティフがぶっきら棒に声を出した。


「喉が渇いた。

 俺にもそれを寄こせ」


 カエソーはティフが先ほどから物欲しげに見ていたことを思い出し、思わずフッと笑った。


「何だ、レーマ貴族は客に飲み物も寄こさないのか?」


 苛立いらだたし気なティフにカエソーは弁解する。


「いえいえ、申し訳ありません。

 ただ、よろしいのですかな……アナタ様にとってはここは敵地、飲み物に毒を入れるかもしれませんよ?」


 もちろんカエソーにそんな気は無いが、カエソーがこれまで敵対してきた南蛮人たちは交渉の場で飲み物を用意しても決して手を付けないことから、てっきりティフも飲み物を用意しても手を突けないのではないかと思ったのだ。が、たとえ手を付けてもらえなくても一応用意するのが礼儀ではある。カエソーは目配せとハンドサインで従兵にティフに飲み物を用意するよう指示を出した。

 ティフはカエソーの冗談をフンッと鼻で笑い飛ばす。


「知らないのか?

 俺たち聖貴族は大抵の毒には耐性があるんだ。

 特にハーフエルフは魔力が高いからな、病気にだってならない」


「それは、素晴らしいですな」


「俺たちハーフエルフに効くとしたら魔法毒マジカル・ポイズンくらいなものさ。

 用意できるものなら……」


 ティフは従兵が果汁飲料を注いだ茶碗をティフの前に差し出すのを目で追っていたが、いざ茶碗が目の前に来ると「用意してみろ」という挑発的なセリフの続きを飲み込んだ。つい先ほど、グルグリウスに魔法で眠らされてしまったことを思い出したからだ。

 シュワシュワと細かい泡を立て続ける炭酸果汁を見下ろしながら、そのまま凍り付いたように動きを止めてしまう。


「……いかがしましたかな?」


 躊躇ためらいを見せるティフにカエソーが問うと、ティフはハッと我に返って茶碗を手に取った。


「いや、何でも無い。

 泡立っているのがな、予想してなかったんだ。

 スパークリング・ワインか?」


「いえ、果汁飲料フルーツ・ジュースです。

 この砦の近くに炭酸の泉があるので、そこで汲んできた炭酸水で果汁シロップを割った飲み物です。

 ここの名物ですよ」

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