第773話 大聖母のなすべきこと

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



大聖母グランディス・マグナ・マテルみずから!?」


 レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは思わず椅子から腰を浮かしかけた。それに対しルード・ミルフ二世はわずかに失望の滲んだ顔で実母の方を見ている。ロックス・ネックビアードはこの世界ヴァーチャリアにおけるトップクラスの人物のやり取りをハラハラとした心境で見守り続けていた。


「そうよ?

 ルーディが使える魔法なら全部私も使えます。

 もちろん、先ほどルーディが言ったのと同じことが私にもできます。

 なら、私が行った方が良いではありませんか。

 違いまして、陛下?」


 当然です……大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフは背筋を伸ばし、いつも『魔法の鏡』スペクルム・マギクス越しに見せていたすまし顔に戻って言った。しかし、マメルクスからすれば冗談ではない。


「とんでもない!

 貴女の身にこそ何かあったらどうするのですか!?」


「あら、私は大丈夫ですよ。

 こう見えても昔は冒険者としていくつも実戦をくぐり抜けて来たのですよ?」


 大戦争前、彼女は父ロリコンベイトや夫ルード・ミルフと共にゲイマーガメルの冒険者パーティーの一員としていくつもの実戦を潜り抜けている。もちろんその実力はいにしえのゲイマーが頼りにするほどなのだから疑いようはなく、そのうえアンデッド化してからその魔力は大幅に増大したとのことだから、おそらく彼女を害することのできる者などこの世界ヴァーチャリアには居ないと言って間違いないだろう。今度の降臨者を除けば……


「それにしたって、大聖母グランディス・マグナ・マテル様自ら動かれるとなれば話は簡単ではなくなります!

 大聖母グランディス・マグナ・マテル様をお迎えする地方の領主たちの都合もお考え下さい!」


 そう、フローリアの身辺について心配するのは意味が無い。要らんことを言ってしまった自分に内心で舌打ちしつつ、マメルクスはおそらくフローリアが突然レーマ国内に来たとして最も問題になるであろうことへ話題を移す。


「あら、そんなの気にしなくていいわよ。」


「いいわけがありません!」


 あっけらかんとしたフローリアにマメルクスは困り顔で首を振った。


「考えてもみてください。

 クィンティリアからアルトリウシアへ行くまでに何人の領主の領地を通過することになるのか。属州だけで三つですよ!?さらに小さな小領主の領地も含めれば十を下らないでしょう。

 自分の領地を大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフ様が来るというに何の対応もできなかった。それどころか来ることを知らされてもいなかった。……そんなことになれば領主貴族パトリキたちの面目は丸つぶれです!」


 もしもそんなことになれば、領主貴族たちに恥をかかせるだけではもちろん済まない。彼らは要らぬ恥をかく原因となったマメルクスを間違いなく恨むだろう。

 領主貴族たちはマメルクスにとって元老院セナートスで守旧派議員たちに対抗するために必要不可欠な支持母体だ。特に南部の領主たちは熱心な皇帝派であり、特にサウマンディアの属州領主ドミヌス・プロウィンキアエウァレリウス・サウマンディウス伯爵家は代々最大の皇帝支持者であり続けた家系で皇帝派最右翼の貴族である。その彼らの不況を買うような真似などマメルクスには出来なかったし、そうなるであろうことが確実な行為を見過ごすことなどできはしないのだった。


「あら!

 それはでも、ルーディが行っても同じことではありませんこと?」


 フローリアはわざとらしく驚き、マメルクスの言い分にやや嫌味ったらしく言い返す。世界で最も高貴な存在と位置付けられて久しい彼女だったが、元々はゲイマーの娘として生まれゲイマーの父に育てられ、そのうえゲイマーの夫と結婚しただけだけあって冒険者的な自由な気質を持っている。そのためこうして、貴族たちの面倒くさい事情に対して時折小馬鹿にするような態度を示すことがままあった。

 もっとも、彼女自身もそれなりに貴族たちと渡り合っていただけあって相手かまわずそうした反骨精神を露わにするわけではない。こういう態度を示すのはある程度以上気を許している相手に対してだけだった。つまりフローリアはマメルクスに対して個人的に親しみを感じているということの証であって、そのこと自体は悪いことではないのだが状況が状況だけにマメルクスとしても受け入れるわけにはいかない。


「同じではありません。

 ミルフ殿は何の役にも就いてないではありませんか!」


 国ごとに多少の差はあれど、普通の人間は一定の年齢に達すれば成人と認められ、一人の大人として扱われるようになる。だが、ゲイマーの血を引く子供は例外とされていた。彼らの寿命は普通の人間とは比べ物にならないほど長く、成長も遅い傾向にあったからだ。

 特にハイエルフの血を引くハーフエルフたちはその傾向が極端で、多くのハーフエルフたちは間もなく百歳になろうとしているのに見た目の年齢は十代半ばといったところである。もちろん長い年月生きているだけあって精神的には見た目の年齢よりも成熟してはいるが、肉体が未成熟である以上は大人として扱うわけにはいかない。

 下手に大人として扱って未成熟な身体のまま結婚し、子供でも作られては本人も不幸になるし、長い目で見れば周囲としても損をすることになる。できるだけ多くの子を残してほしいのに、早すぎる出産のために身体に悪影響がおよび、結果的に生涯出産数が減ることになりかねないからだ。これは女性の場合もそうだし、男性の場合のも当てはまる。若い頃に極端に乱れた性生活を送ることで、生殖能力を早期に失ってしまう可能性があることはこの世界ヴァーチャリアでも知られているのだ。

 よって、ゲイマーの子らは年齢によってではなく、身体の成熟ぐあいを見計らって成人に達したかどうかが判断されることになっていた。そして未だに成人と認められたハーフエルフは一人も居ない。


 どうやらゲイマーの子らの成長速度は持って生まれた魔力の強さに反比例するらしく、他のハーフエルフと比しても抜きんでて強力な魔力を有するルードの見た目は数十歳も若いはずの他のハーフエルフたちと同じくらいにしかなっておらず、未だに未成年の扱いになっている。

 このため、ルードはムセイオンの中では色々な仕事を任されているが、おおやけにはまだいかなる役職にも就いていないことになっていた。これには息子を手放したくないフローリアがあえて如何なる肩書も与えないようにしていたことも影響している。


「ミルフ殿ならまだ“お忍び”でも通用します。

 ですが大聖母グランディス・マグナ・マテル様はそうはいきません。

 貴女はムセイオンの長です。

 その貴女が何の予告も準備もなく勝手に動いたら、すべての国が驚くことでしょう。」


「ですが、降臨が起きたのですよ?

 まして降臨したのが暗黒騎士ダーク・ナイト》様なら、私が動くしかないではありませんか。」


 史上最強のゲイマー《暗黒騎士》……もしそれが本当に降臨してその力を振いだしたとしたら、それに対処しうるのは世界最強の魔術師であるフローリアを置いてほかに居ない。もちろん、フローリアなら《暗黒騎士》が暴れだしても倒せる、抑え込めるというわけではないが、それでも他の誰が向かうよりも多少はマシな対処ができるだろう。最悪でも、逃げ帰ってくることぐらいはできる……フローリアはそう考えていた。

 しかしそうした考えは一つの事実ではあるが、フローリアを取り巻く事実のすべてではない。一つの事実を根拠に、他のすべてのしがらみを無視するのは浅慮せんりょそしりを免れるものではなかった。マメルクスは身体を前に乗り出し、声を低くして強調して訴えかける。


暗黒騎士ダーク・ナイトです!

 史上最強のゲイマーガメル、《暗黒騎士ダーク・ナイトが降臨されて真っ先に貴女が逢いに行ったとなれば、あらぬ疑いを抱く者も出てくるでしょう。」


「あ、とは何ですか!?」


 珍しく狼狽うろたえるフローリアの目をジッと見据えたまま、マメルクスは一呼吸おいてゆっくりと話した。


「……大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフ様が、《暗黒騎士ダーク・ナイト》様に取り入ろうとしている。」


「「「!!」」」


 マメルクスの指摘にはフローリアのみならず、ルード・ミルフ二世、ロックス・ネックビアードの二人も目を剥いた。彼らからすればマメルクスの指摘は確かにではあるだろう。だがその可能性は誰にも否定できない。

 フローリアは啓展宗教諸国連合側の諸宗教で神の摂理に反する禁忌タブーな存在とされるアンデッドであるうえ、元々レーマ帝国の出身だったこともあって信用が薄い。世界中のゲイマーたちが《暗黒騎士》によって次々と討ち取られていた際も、フローリアは都合よくダンジョンに引きこもっていて息子共々難を逃れ、ゲイマーであった父も夫も共に長らく降臨してこなくなっていたため、ゲイマーに近いし人間たちの中では唯一人 《暗黒騎士》のをほぼ完全に免れていた。

 彼女以外のすべての実力者が排除された結果、彼女はゲイマー並みの力を有する唯一の生き残りとなり、不動の地位を手に入れている。このため「彼女は実は裏で《暗黒騎士》と繋がっているのではないか」と当時から疑われていたし、一時は「彼女こそ真の“魔王”」と公然とそしられたことさえあったほどだ。

 その彼女が史上最強とされる《暗黒騎士》が降臨した途端に取るものも取らず一目散に駆け付けたとなれば、疑念を持ちたくなるのは当然であろう。陰謀論者というのはどのような世界にでも湧くのである。


「そ、それではどうしろというのですか!?

 私はムセイオンの長なのですよ!?

 その私が動くべき時に動けないなんて!!」


「落ち着いてください。

 余は動くなとは申しておるわけではありません。」


 マメルクスは身体を起こし、手をかざして慌てるフローリアをなだめた。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様にはお立場にあった動き方があるでしょう?

 まずは賢人会議サピエンテスはかり、根回しをすることです。それは貴女にしかできません。

 その間に、ミルフ殿を“先触さきぶれ”として現地へるのです。」


 フローリアを説得するマメルクスの言葉に、本人は自覚してなかったがルードの表情がパァッと明るくなる。


「そして現地と転移魔法で行き来できるように準備させ、ムセイオンでの根回しが終わり次第、大聖母グランディス・マグナ・マテル様が現地へ赴くのです。」

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