第33話 伯爵の出迎え

統一歴九十九年四月十日、夕 - ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディウム



 チューア産の良質な竹材を使った柔軟なサスペンションは石畳の凹凸によってもたらされる筈の振動を見事に吸収し、ナシディアヌスの丘を登る馬車の乗客にまるで空飛ぶ絨毯にでも乗っているかのような快適な乗り心地を提供していた。

 ホラティウス・リーボー商会の紋章を付けた二頭立ての馬車が荷馬車を伴って正門ポルタに近づくと門衛はあらかじめそのように命じられていたのであろう、誰何すいかを問うことすらせず門扉もんぴを開き、馬車は止まることなく敷地内へと入っていった。


 ホラティウス・リーボーの邸宅ヴィラで急いで入浴と着替えを済ませたアルトリウスとスタティウスが馬車に揺られて伯爵の待つ『青山邸ヴィラ・カエルレウス・モンテス』の正門に到着した時、白亜のような白壁を夕日で黄金色こがねいろに染めあげた正面玄関オスティウムの前には既にプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵本人が立って一行の到着を出迎えていた。


 車回しをゆっくり回る馬車の中から伯爵の姿を見止みとめた招待客たちは驚きを禁じ得なかった。



 アルトリウスは過去に何度かここに招かれたことがあった。しかし、今は亡きマクシミリアン侯と一緒に訪れた時以外、伯爵本人が正面玄関で出迎えてくれていたことなど一度も無かった。


 それだけあの通信文が影響しているのだろう・・・当然だ。


 アルトリウスはアルビオンニウムのケレース神殿での対応協議の場で秘匿のために降臨者リュウイチをアルトリウシアへ送る事を決めた際に、全軍でアルトリウシアへ直行することを提案していた。

 伯爵への報告をしない訳にはいかないというスタティウスの指摘を受けてその提案は取り下げ、部隊を二手に分ける事が決まったわけだが・・・。


 そうか、私は伯爵に会いたくなかったのか。


 それが真であったかどうかは今となっては本人ですら分からない。だが、そうではなかったのかという思い付きは、彼自身をして自己嫌悪をもよおさせるきっかけとしては十分なものだった。



 ラール・ホラティウス・リーボーはアルトリウシア子爵家の指名御用商人を務めている立場上、伯爵にも面識はある。それどころか、アルビオンニアの人間の中では最も多く伯爵と会っている部類に入るだろう。もちろん、ここ『青山邸』にも年に何度かは訪れている。

 だが、伯爵本人が正面玄関まで出てきているのを見たのは初めてだった。



 あれからラールは何度か、それとなくアルビオンニウムで何があったかアルトリウスやスタティウスから聞き出そうとした。

 だが、ここに来るまでの馬車の中ですら二人は話そうとしなかった。御者ぎょしゃの耳にすら入れたくなかったのだろう。今回の御者はホラティウス・リーボー家の子飼いでアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの退役軍団兵レギオナリウスだというのにだ。



 そして、ラールはアルトリウスが伯爵を見た瞬間に溜め息を漏らしたのを見逃さなかった。

 ここにきてようやくラールは一つの可能性にたどり着いた。


 まさか降臨が!?


 彼もアルトリウシア軍団の兵站を担う御用商人である以上、今回のメルクリウス目撃情報についてもその対応のためにアルトリウシア軍団やアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアが動いている事も知っていた。

 ただ軍団が動いているというだけではなく、投入されている部隊の規模や活動範囲や日程まで承知している。兵士の糧食や荷駄や馬車馬の飼料などはホラティウス・リーボーの商会が準備するのだから、いつ、どこに、何がどれだけ必要になるかを常に把握していて当然だった。

 という指名御用商人の別名は伊達ではないのだ。


 メルクリウスを見つけたが逃したとか言うのなら、確かに作戦目標の一つを達成できなかった事になるのだから黒星には違いないが、未だにここまで話を秘匿しつづけ必要はない。

 今もなお秘匿を保ち続けているのは、今後の都合を考えているからだ。それにアルトリウスは「これからお前ラールには随分働いてもらう事になるだろう」と言っていた。



「ウァレリウス・サウマンディウス伯爵!」

「アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵」


 馬車が停止し、従者が馬車の搭乗口に踏み台を用意するとアルトリウスは真っ先に降り、出迎えてくれたプブリウスに歩み寄って挨拶した。



 通常、馬車から降りる時は最下位者から降り、最上位者は最後に降りる。外の世界はどのような危険があるか分からないので、まず最下位者が降りて安全を確認または確保してから、上位者を順次降ろしていくというのが一般的なプロトコル作法だ。


 しかし、この場では外で既に招待者である伯爵自身が出迎えている。

 伯爵は子爵公子のアルトリウスよりも上位であり、馬車から最下位者から降りたとすれば伯爵のことを信用していないという態度を示す事になってしまい、伯爵に対して礼を失する事になってしまう。

 なので、アルトリウスらはあえて、馬車の乗客の中で最上位者であるアルトリウスから順に降りたのだった。



「わざわざお出迎え有難うございます。」


「いや、大したことは無い。貴公が『卵を得た』と聞いたのでね。」


 そう言いながらプブリウスは一行を見回した。

 『降臨者』を探しているのだ。


「それについてなのですが・・・」


 やはり連れてきた方が正解だっただろうか?・・・アルトリウスは今更ながら不安に思った。

 降臨者リュウイチを連れてこなかったのは、降臨の事実と降臨者の存在をなるべく秘匿したいというのが最大の理由だ。

 降臨者が現れたとなれば世界を揺るがす一大事で、帝国や諸国連合といった大協約世界のあらゆる勢力が影響を受ける。そして、それらがどう動くか分からない。である以上、どの勢力がどのように動くか、特にレーマ帝国がどういう方針で対処するのかが分かるまでは、無用な混乱が生じるのを避けたい。

 そのためには降臨者の存在をなるべく・・・できればレーマ帝国の方針が決定するまでの間は秘匿しておくべきだ。それがアルトリウスの判断だった。


 同時に、サウマンディウス伯爵へかけることになる負担のことも考慮していた。

 アルビオンニアは一昨年の火山噴火を受けてサウマンディウス伯爵からは多大な援助を受けており、六万人にも及ぶアルビオンニウムの避難民の受け入れさえしてもらっている。

 これ以上、サウマンディアに負担はかけられないというのは、アルビオンニア貴族たちの共通の思いだった。

 降臨者リュウイチをサウマンディアへ御連れすれば、それなりの待遇で歓待せねばならぬだろうし、それでいて秘匿態勢も維持しなければならないし、万が一にも《暗黒騎士リュウイチ》の戦闘力が解放されるようなことにでもなったらそれこそ取り返しのつかない事になる。

 そうしたリスクを考えた場合、サウマンディウムへ連れて行かない方が良いという判断を下さざるを得なくなったのだった。


 しかし、伯爵の立場を考えれば、本当なら御連れしなければならなかったのも否定しがたい事実である。



「いや、ここでは何だ、中に入ろう。

 酒宴コミッサーティオには未だ早いが正餐ケーナには遅すぎるようだ。時間になるまで私の執務室タブリヌムで待とうじゃないか。」


 一行はホブゴブリンのみだ。『降臨者』に該当しそうな人物はいない。

 この場でどこまで話していいやら困惑したアルトリウスが言い淀んでいると、プブリウスは場を変えるべく一行を邸内へといざなった。


「承知しました。」


 愛想笑いを浮かべるアルトリウスから隠しきれない沈痛な雰囲気を読み取ったプブリウスはアルトリウスの背中を軽くポンポンと叩きながらことさら陽気に続けて言った。


「安心したまえ、今宵の酒宴に供するはすでにこちらで用意しているさ。

 卵からリンゴまで、何一つ欠くことなく貴公らの胃袋を満足させて見せようじゃないか。

 おっと、大事な賓客ひんきゃくを迎え入れた喜びのあまり無礼を働いてしまったようだな、ホラティウス・リーボー?」


 プブリウスはさも今初めて気が付いたかのように、もう一人の招待客に対してわざとらしく愛想をふりまいた。


「お気になさいますな、ウァレリウス・サウマンディウス伯爵閣下。

 お招きいただき恐縮でございます。」


 ラールはうやうやしくこうべを垂れた。


「いや、よく来てくれた。

 その様子ではアヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の土産話はそなたもまだ聞かされておらんのだろう?

 私もこれから聞かせてもらうのだ。

 話の内容が私の予想通りなら、今宵はそなたにとっても重要な日となろう。」

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