第34話 《暗黒騎士》降臨の報告

統一歴九十九年四月十日、夕 - 青山邸執務室/サウマンディウム



 『青山邸ヴィラ・カエルレウス・モンテス』の執務室タブリヌムは広い。普通なら壁際に家具を並べて中央に応接セットと事務机を置いて丁度良いくらいの広さで済ますものだが、ここのは副官や秘書官を連れた三十人くらい(合計すると百人近く)が会議できるほどの広さがある。執務室と言うよりもはや会議室だ。

 何故これだけの広さが必要かというと、軍団レギオー幕僚トリブヌスたちを集めて会議をする事が良くあるからだ。ちなみに属州の経営に関わる会議も行われるが、その際に参加する人数は軍団幕僚会議の場合の半分に満たない。


 そんなものは要塞カストルム司令部プリンキピアでやれば良さそうなものだが、サウマンディウム要塞カストルム・サウマンディウムまで『青山邸』から馬車で一時間ちかく、往復で二時間かかる。

 『青山邸』を造成した代の伯爵がその移動の手間を嫌ったのが、ここで軍団幕僚を集めて会議を開けるだけの広さを持つ執務室が設置された理由だった。


 そのだだっぴろい執務室だが、伯爵の事務机以外にはテーブルや椅子は常設されていない。その日の会議の規模の内容に応じてその都度準備される。

 おかげで今回のように少人数で会議をするときは広い部屋の中央部に小ぢんまりと集まって話をすることになるため盗聴のリスクをかなり小さくすることが出来、秘匿性の高い話をするにはむしろ都合が良かった。


 今、執務室の中央には円卓 メンサが二つ並べられ、それを挟むように長椅子クビレが二脚ずつ計四脚置かれ、それぞれに二人ずつ腰かけている。そしてそれらとは別に最も上手かみての位置に一脚の豪華な肘掛け椅子カニストラ・カティドラが置かれ、邸宅ヴィラ主人ドミヌスが陣取っている。

 各円卓の上に卓上燭台が一つずつ、そして彼らの周りを囲うように燭台が並べられた。


 外では未だ太陽がクンルナ山脈の稜線りょうせんの上に留まり、サウマンディウムの街並みを琥珀色に染め上げていたが、窓も扉もカーテンさえもすべて締めきられた室内は既に灯火ともしびの支配する世界となっている。

 ずらりと並べられた銀の燭台の上で光を放つ上質な鯨油ロウソクは、この世界ヴァーチャリアで使われる屋内照明としては最大の明るさを誇るものではあったのだが、この広すぎる執務室の壁まで隈なく照らすには至ってはいない。


 部屋の中央で燭台に囲まれた男たちの顔に浮かぶ、まるで自分たちが世界の最後の生き残りになってしまったかのような表情は、決してロウソクの明るさの不足が理由なのではなかった。



暗黒騎士ダークナイト》の降臨・・・



 アルトリウスの報告したその事実が、場の雰囲気を暗く重苦しいものにしていた。

 沈痛な面持ちでここに出席しているのはサウマンディア領主にして今回のメルクリウス目撃情報対応の総責任者であるプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵、その長男でありサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスを務めるカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子、サウマンディウム要塞の守備と運営を担当している軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクス・ウァレリウス・カストゥス、同じく軍団幕僚で元老院議員セナートルのアントニウス・レムシウス・エブルヌス・・・現在、サウマンディア軍団がサウマンディア各所に分散出動している中、サウマンディウムに居て駆けつける事が出来た軍団レギオーの重鎮たちである。

 そしてサウマンディアの財務官クァエストルであるティベリウス・マエキリウス・ノウァートゥスを加えた五名がサウマンディア側からの出席者である。


 アルビオンニア側からはアルトリウス、スタティウス、ラール、そしてラールの秘書であるトラヤヌス・トランクィルスの四名が同席していた。

 それぞれ頭を抱えたり、天井を見上げたり、円卓メンサに置かれた燭台で燃えるロウソクの火を見つめたりしているが、いずれも一言も無い。

 まずは、事情を飲み込むのに時間を要しているのだった。

 大きすぎる出来事は頭で理解するのは簡単でも、実感として受け入れるのには苦労するものだ。



 最初に沈黙を破ったのはプブリウスだった。


「ふむ・・・酒が入る前に話を聞けて良かったよ。

 こんな話、酔っていてはまともに受け入れることなど出来なかったろう。」

「しかし父上プブリウス、わたくしは未だに信じられません。

 アヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス子爵を疑うわけではありませんが・・・」

「お気になさらず・・・報告した私自身、未だに半信半疑なのですから。」


「誇り高き名門アヴァロニウス氏族の統領たるアルトリウシウス子爵家の跡取りだ、報告に嘘偽りなどありますまい。」とは元老院議員アントニウスの言である。

「ありがとうございます。」



 元老院議員が何故軍団幕僚を兼任しているか、何故こんな辺境にいるかは理由がある。

 まず、全ての軍団にはとして元老院議員が一人、軍団幕僚の肩書で就くことになっている。当然ながら軍団の監視が役目なので、軍団の指揮や運営といった実務には一切かかわらない。

 ただ、この制度はかなり以前から形骸化しており、元老院議員のキャリア形成のために書類上は軍団幕僚に就任しているが、実際には着任と離任の挨拶の時だけ軍団本部に顔を出す程度で任期中の大部分をレーマに留まり続ける者がほとんどだった。

 なお、最近ではその最低限の挨拶すら省略する不届き者が増えている。


 次に彼がここにいる理由だが、たまたま彼がサウマンディアに隣接する属州オリエネシアで新たに発見されたという金鉱へ・・・公式には元老院議員として、非公式には共同出資者の一人として公費で視察旅行中だったのだが、たまたまそこへ今回のメルクリウス目撃情報が届けられ、彼が担当しているサウマンディア軍団が対応していることを知ったのだった。

 もしも降臨を許すなどの不祥事が起これば元老院議員としてのキャリアに傷がつくし、逆にメルクリウス捕縛成功となれば・・・しかもその時軍団幕僚として実際に現地にいたならば・・・計り知れない得点となるだろう。

 レーマからサウマンディウムまでは片道で急いでも二か月程度はかかってしまうが、オリエネシアからなら半月かからない程度で到着できる。

 彼は急遽予定を変更してサウマンディウムへ急行し、昨日到着したのだった。



「しかし、《暗黒騎士》というのは間違いないのですか?」

リュウイチの肉体は・・・彼の言によれば《暗黒騎士》の物だとのことです。

 確認しようにもできませんが、おそらく間違いないだろうと考えております。」

「そう考える理由をお尋ねしてもよろしいですか?」


 アントニウスの質問を受けてアルトリウスはスタティウスと一度顔を見合わせ、再び視線をアントニウスに戻すと続けた。


「『海峡の乙女』か『アルビオーネ』の名を御存知の方はいらっしゃいますか?」


 アルトリウスは一同を見回すが、誰も知らないようだった。

 予想通りの反応だが、かまわずアルトリウスは続ける。


「アルビオーネとはアルビオン海峡をつかさどる《水の精霊ウォーター・エレメンタル》です。おそらく、神々に匹敵するほどの強力な精霊エレメンタルです。

 ブッカのヘルマンニは『海峡の乙女』と呼んでました。」

「そのような者の存在など、聞いたことがない。

 それがどうかしたのか?」


 プブリウスは話が変な方向へ進んだことに驚きながら訊いた。


「はい、アルビオンニウムから出港する際、我々の前に姿を現しました。

 どうやら《暗黒騎士》の気配を察知して現れたようでした。」

「ほう・・・」


 サウマンディア側の出席者たちは話をいぶかしむように互いの顔を見合わせつつ、アルトリウスに話の続きを促した。


「それで、その《水の精霊》が現れて何かしたのですか?」

「はい、リュウイチ降臨者様の乗る旗艦『ナグルファル』に乗船許可を求めたうえで乗船し、《暗黒騎士》に対して恭順の意を示しました。」

「なんと!?」

「そして、もし誰かを討ち倒すために降臨したのであれば、自分が先陣を務めるとまで申し出ていました。」


 まあ、信じられるような話ではない。実際、サウマンディア側の出席者の反応はそうしたものだった。中には悪い冗談でも言われたかのように頬を引きつらせて笑いかけのような表情を浮かべている者も居た。

 それを見てスタティウスがすかさずフォローに入る。


「アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の申し上げた事は真実であります。

 自分もその場におり、この目で見ました。」


 低く力強い声で身を乗り出して話すスタティウスの迫力にされ、おもわずたじろぎつつもスタティウスと以前から面識があったマルクスが宥めた。


「我々は別にアヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の報告を疑っているわけではないよ。

 ただ、事があまりの事なのでね・・・もちろん、初代アヴァロニウス・アルトリウシウス卿の下で筆頭百人隊長プリムス・ピルスを務めた君の言う事だ。信じるとも。」

「ありがとうございます。」


 アルトリウスが続ける。


「その海峡の乙女アルビオーネに対して、リュウイチ様は自分は《暗黒騎士》本人ではないと告げたのですが、その時に《海峡の乙女》が言ったのです。

 その魔力の波動と大きさは《暗黒騎士》に間違いないと。」

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