第35話 プリムス・ドラコー

統一歴九十九年四月十日、夕 - 青山邸執務室/サウマンディウム



「そのアルビオーネという《水の精霊ウォーター・エレメンタル》については分からないが、海峡をつかさどるというのならネプトゥヌス神殿テンプルム・ネプトゥヌスに問い合わせてみよう、さっそく明日にでも。

 本当に神々に匹敵するほど強大ならば、我々は知らなくとも神官たちは何か知ってるか、知らずとも気配を察しているくらいはしているかもしれない。」


 プブリウスはサウマンディアを治める領主として、アルビオーネの存在が事実なら把握しておきたかった。

 アルビオン海峡の荒れ狂う潮流はサウマンディア・アルビオンニア間の経済交流の最大の障害となっている。もしも、これを司っている《水の精霊》の協力が得られるのなら、それは願っても無い事だ。



 アルビオン海峡もそうだが、ここに精霊エレメンタルが宿っているであろうと推察されているのに、その存在が確認されていない事例は決して少なくない。

 力の小さい精霊ならば人間が魔力を供物として捧げることを申し出れば応じてくれたりもするのだが、元々強大な魔力を有する精霊にとっては人間が捧げるわずかな魔力などになびく理由などない。それほどの精霊ともなれば気まぐれや好奇心を刺激するなどしない限り、いくら呼びかけようとも応じてもらえないのは仕方が無いのだった。



「しかし、《暗黒騎士ダークナイト》が精霊を使役するとは思いませんでしたな。」

「召喚するのではなく、元々いた精霊を恭順させるというのであれば、また話が違ってくるのではありませんか?」

「いやいや、《水の精霊》についてはそうかもしれませんが、《火の精霊ファイア・エレメンタル》は違うのでしょう?」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア幕僚トリブヌスたちが感想を述べあう。

 やはり、《暗黒騎士》と言えば魔剣 《ゲイマー喰らいガメル・コメデンティ》という印象があまりにも強く、《暗黒騎士》が精霊を使役するというのは誰にとっても意外なのだ。


「御連れしていた《火の精霊》はどうかわかりませんが、『ナグルファル』と別れる際にはリュウイチ様は《風の精霊ウインド・エレメンタル》を召喚なさいました。

 そのうえ、我々の船の分も召喚するかと申されました。

 おそらく、複数、しかも異なる種類の精霊を同時に召喚し、使役できるものと思われます。」


「・・・そういえば今日の昼過ぎ、アルビオン港を出た船の一隻が帆を張って西へ進んだと報告が・・・」


 アルトリウスの捕捉説明を聞いた軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクスがサウマンディウム要塞カストルム・サウマンディイ司令部プリンキピアで聞いた報告を思い出したように言うと、一同はうめき声を漏らした。


 アルビオンニアの海軍が使う軍船はロングシップだということぐらい、サウマンディアの人間は知っている。そして、ロングシップが常に西寄りの風が吹くアルビオン海峡で、帆を張って西へ進むことなど無いという事も。

 つまり、マルクスが受けた報告は、『ナグルファル』が《風の精霊》の力を使って風上に向かって帆走はんそうしたという事を裏付けているのだった。



 降臨者は降臨後にメルクリウスから精霊を授けられる。だが、メルクリウスによって授けられる精霊は一はしらきりだ。

 ゲイマーガメルの中には確かに複数の異なる精霊を同時に使役できる者もいたようだが、魔力の消耗が激しい筈。

 やはり想像を絶する力を持った存在であろうことは間違いない。



「そういえば身体は《暗黒騎士》だが、中身は別人だと申されたとか?」


 サウマンディア軍団筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスの伯爵公子カエソーは何か思いついたように顔をあげて訊いてきた。


「はい、御本人はリュウイチと名乗られておられます。」

「もしかしたら《暗黒騎士》の身体に、そのリュウイチなるゲイマーが宿った事で新たな力が加わったのかもしれませんな。」


 カエソーの言った事が本当だとしたら、只でさえ手の付けられない程の力を持った《暗黒騎士》が更に強力な力を得ていることになる。


「つまり精霊を使役する力はリュウイチ様のもので、《暗黒騎士》のものではないということですか?」

「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。」

「仮にそうだとしたら、《暗黒騎士》の身体に宿ったリュウイチなるゲイマーも相当な力の持ち主と言う事なのでしょうな。」


 あまり意味のある考察ではなかった。 

 《暗黒騎士》が精霊を使ったという情報が知られていなかったことから使えないと思い込まれていただけの話であって、元々使えたのかもしれない。

 仮に今まで使えなかったのがリュウイチの出現によって新たに使えるようになったのだとしても、それで彼らに何か対処できるようなことが増えるわけではない。


「そういえば」とスタティウスが如何いかにも今思い出したという風に話し出す。

「リュウイチ様の名ですが、リュウイチのリュウはドラコーを意味し、イチは数字の一を意味するのだそうです。

 即ち『第一の竜プリムス・ドラコー』という意味になるのだとか・・・」


 ゲイマーはやたらと大袈裟な名前を名乗る事が多い。

 傭兵、盗賊、海賊、街のヤクザ者たちが派手な二つ名を名乗りたがるのと同じだ。大概それらはハッタリである。

 ただ、ゲイマーたちがヤクザ者たちと違うのはただのハッタリではなく、その名に負けないだけの実力を持っている点である。


「『竜の筆頭プリムス・ドラコー』か・・・」


 強大な力を持つドラゴンは多くがゲイマーによって狩りつくされたが、生き残っているドラゴンも少数ながら存在している。生き残っているのはゲイマーでさえ倒せなかったほど強大すぎる個体、古代竜エンシェント・ドラゴンのみだ。

 そうだからこそ、この世界ヴァーチャリアにおけるドラゴンに対する畏怖の念は以前よりも強くなっており、ほぼ神格化されている。


 神々に匹敵すると目されるほどの強力な精霊を使役し、神々と同列に崇め奉られるドラゴンの頂点に立つ存在・・・もはや神そのものではないか。


「まあ、それはわかりません。

 ゲイマーは兎角大仰な名前を名乗る傾向があるそうですから。」


 沈み込んだ場の雰囲気をなごませようと、アルトリウスがあえて少し明るい声で言った。この時、スタティウスはアルトリウスに肘で軽く小突かれ、余計な事を口にしてしまった事に気づき、おのが軽率をひそかに恥じた。


「しかし、御本人がそう名乗られたのであろう?」


 プブリウスが怪訝そうにそう訊ねると、アルトリウスは最高の悪戯を思い付いた少年のような表情をして答えた。


「あの時、リュウイチ様とスパルタカシアルクレティア様が南蛮の言葉日本語でお話しになられており、その話の内容を《火の精霊》様が通訳して我々にお聞かせくださっていました。

 ですが、何しろ《火の精霊》ですからね。

 もしかしたら、その部分だけ、ちょっとだけ大法螺ホット・エアを吐いたのかも知れません。」


 数秒、場が静まりかえった。

 アルトリウスが滑ったかなと気まずい思いを抱き始めた頃、場違いな冗談にようやく気づいた数名から失笑が漏れた。

 アルトリウスは『大法螺』をラテン語で『Inanis Gloriarisイナニス・グロリアリス』と言うのではなく、その部分だけをあえて英語の『Hot Airホット・エア』を使うことで洒落て見せたのだった。



「はっはっはっ、《火の精霊》が大法螺ホット・エアを吐いたか。これは傑作だ。」

「やれやれ、次代のアヴァロニウス・アルトリウシウス子爵は豪胆でいらっしゃる。」

「海峡の向こう側でこれほどの豪傑が育っていようとはな。

 息子カエソーよ、お前もウカウカしてはおれんぞ。」

「いや父上プブリウス、既に負けました。

 アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵にはレスリングコルクタティオで一度も勝てたことはありませんでしたが、ここでよりにもよって機知でも負けるとは思いませんでした。」

「情けない奴め、ハッタリの一つでも吐いて見せんか。」

「さすがに《火の精霊》の吐く大法螺ホット・エアにはかないませぬ。」


 アルトリウスの駄洒落を受けてウァレリウス・サウマンディウス親子が話を交ぜっ返すと再び笑いが起きた。

 彼らにしても重苦しい雰囲気に嫌気がさしていたのだろう。



「だが、その《火の精霊》の実力も大法螺ホット・エア程度じゃないのだろう?」


 笑いが落ち着き始めたところで、マルクスが話を戻した。

 確かに、あまり長い時間を現実逃避に費やしていられるほどの自由は彼らには無い。


「はい、スタティウス、を持ってきてくれ」


 アルトリウスの命を受けたスタティウスは「ハッ」と短く応え、静かに立ち上がると部屋から出て行った。

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