第36話 奴隷の値段

統一歴九十九年四月十日、夕 - 青山邸執務室/サウマンディウム



 扉が開いた瞬間に見えた庭園は、その色彩を琥珀色から赤紫トワイライトへと変えようとしていた。

 スタティウスは一つの長い木箱を抱えたラールの使用人二人と共に戻ってきた。


「それは何だ?

 誰かのひつぎか?」


 たしかに、運び込まれた木箱の長さは人間の身長よりやや長いくらいあった。

 プブリウスの問いかけにスタティウスが木箱を運び込んだ使用人を部屋から追い出しつつ箱を開けている間にアルトリウスが答えた。


「いいえ、武器です。」


「武器!?」


 カエソーとマルクスが思わず腰を浮かせて身構えた。

 それにつられてアントニウスとティベリウスが長椅子クビレに腰かけたままだが後ずさった。


「ご安心ください。もう使えません。

 そういう意味では、武器の棺と言えなくもありませんが。」


「もう使えない武器?」


 カエソーは疑問を口にしながら、マルクスと共に再び長椅子へと腰を落ち着けた。


「はい、既に御報告しましたように、我が軍団レギオー軽装歩兵ウェリテスが《暗黒騎士リュウイチ》様をメルクリウスと誤認して攻撃しました。

 その際に用いられた武器・・・その成れの果てです。」


 アルトリウスの説明を聞いた一同は、今度は打って変わって身を乗り出して箱の中に興味を示し始めた。

 一同の視線が注がれる中、スタティウスが取り出したのは一振りの投槍ピルムだった。ただし、中央の部分で断ち斬られている。


「戦闘のあった場所に残されていたものを回収させました。

 これは投擲された投槍が命中する前に《暗黒騎士リュウイチ》様が剣で斬ったものです。」


 スタティウスがそう説明して、手に持った投槍の残骸を一番近くに座っていたサウマンディアの財務官クァエストルのティベリウスに手渡すと、一同の注目はスタティウスからティベリウスへ移った。

 プブリウスなどは腰かけていた肘掛け椅子カニストラ・カティドラから立ち上がって覗き込んでいる。


「飛んできた投槍を剣で叩き落したというのですか?」


 ティベリウスはその切り口を見て信じられないという風に、入室した際の挨拶以来初めて口を開いて質問する。


「軽装歩兵たちの証言によれば、そのようです。

 彼らは《暗黒騎士リュウイチ》様を半包囲し、距離十ピルム(約十八メートル半)から七人で一斉投擲。《暗黒騎士リュウイチ》様は四本を避け、二本を盾で防ぎ、残りの一本が・・・」


「これというわけですか。」


 アルトリウスの答えに戦慄を覚えつつ、ティベリウスは受け取った投槍を隣のマルクスに渡した。


 斬られているのは投槍の重心部分・・・すなわち木製の柄の部分だった。

 ティベリウスは法貴族の家系で軍役に就いたことは無い。だが、子供の頃にチャンバラごっこぐらいはしたし、貴族ノビレスの家で育った者のとして本物の剣を振るった事もある。

 素人ではあったが、飛んでくる重たい投槍を剣で叩き落すだけでも大変な事ぐらい知っていたし、叩き落すだけでなくこれだけ見事にスパッと切断することが至難のわざであるということぐらいは容易に理解できた。

 

「これが、魔剣 《ゲイマー喰らいガメル・コメデンティ》の切れ味か・・・」


 マルクスが切断面を指で撫でながら呻くようにつぶやいた。


 投槍は命中した際の貫通力や威力を高めるためにある程度重さが必要になる。レーマ帝国軍の投槍の柄はこのため太目に作られており、直径は二インチ(約五センチ強)ほどもある。素材も安価だが重硬で、同時に命中時の衝撃で割れにくい程度には柔軟性もあるクウェルクスの木を使っている。


(据え切りにしても、ここまで鋭く綺麗に斬ることなんて出来はしない・・・)


 切り口はどこまでも綺麗で、剣で斬った時にありがちな端の方の繊維の毛羽立ちのような様子も一切見られなかった。

 ロウソクの灯りの中とは言え、どの方向から斬ったのか切り口だけを見てもわからない・・・それほど見事な切断面だった。


「次に、太矢ダート・・・です。

 これは《火の精霊ファイア・エレメンタル》によって弾かれたものです。」


 スタティウスは先ほどの投槍と同じように、取り出したを一つずつティベリウスへ渡した。


 太矢は《レアル》から伝来したものをベースにこの世界ヴァーチャリアで独自に発展を遂げ、ほぼ全く別物になってしまった投擲武器で、文字通り手で投げる矢である。

 長さは十六インチ(約四十センチ)程で、刃先はもちろん、軸や軸から二枚生えた矢羽根まですべてが青銅で鋳造されてつくられており、重量はニ十四ウンキア(約六百六十グラムほど)になる。

 青銅の矢羽根が付いていたのでは軸を掴んで投げにくいため、軸の尻の方に紐が付けられており、投げる時はこの紐と軸の尻を持って振り回す様にして投擲する。


 しかし、ティベリウスが受け取ったは長さが半分から三分の二程度になっていた。

 刃先の部分は完全に消失しており、残った軸の部分も夏の暑さに負けた獣脂ロウソクのように歪んでいる。

 切り口は・・・やはり溶けたロウソクのように滑らかになっているが、切り口からやや離れた部分までが醜く膨れ上がり、ぶつぶつと細かい気泡が発生していた。半分溶けた状態で地面に接していたであろう部分には、砂粒がいくつもめり込んでいる。

 刃ほどではないにしても、薄く鋭い筈の矢羽根もふちの部分が丸く滑らかになっていたし、投擲用の赤い紐も残ってはいたが妙にカサカサして触り心地が硬くなっていた。


「何だこれは?

 どうすればこうなる!?」


 ティベリウスは軍事にも技術にも素人だが、それが尋常ではないことぐらいは理解できた。スタティウスが次々と渡してくる太矢は程度の差こそあれ、いずれも同じような状態だった。


「軽装歩兵の証言によれば、最初に投槍を投擲し、次に太矢を投擲しはじめたところ、《火の精霊》が《暗黒騎士》を包んで火の柱と化したそうです。

 この火の柱は市街地にいた我々も目撃しました。

 この火の柱に当たった太矢は白くまぶしく光ってはじき返され、こうなったのだそうです。」


「熱の力でこんな風になるのか!?」

「飛んでるんだぞ!?

 一瞬だったはずだ!」

「その一瞬で溶かしたということか・・・」

「いったいどれほどの熱だ、これでは鉄器であっても耐えられまい!?」


 ティベリウスから回されてくる太矢の残骸を見てサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア幕僚トリブヌスたちは驚きを隠そうともせず呻いた。


 無理もない・・・アルトリウスは思った。これは《火の精霊》が守り続ける限り、そのゲイマーリュウイチにはこの世界のいかなる武器も届かないであろうことを如実に示しているからだ。

 彼自身も初めて見た時、同じように戦慄した。



「しかし、その軽装歩兵たちはよく命があったものだな。」


 全員が見終わった武器の残骸をスタティウスが集めて箱に仕舞っている間、肘掛け椅子に深く身体を沈めたプブリウスが何気なく溜め息と共に漏らした。


「はい、リュウイチ様が魔法で眠らせたので、怪我一つありませんでした。」


「慈悲深いことだ・・・いや、罰する価値すらないということか?」


 その感想は卑屈に過ぎるというものだが、そう思いたくなるのも無理はないだろう。こちらの攻撃手段を想像を絶する方法で完全に無効化できることを圧倒的な実力で見せつけられたのだから。


「おそらく、前者でありましょう。

 リュウイチ様は御寛容な方で、我々のことも即座に御許しくださいました。

 そして、軽装歩兵らの罪を問わぬよう願われました。」


「なるほど、だがそれをもって無罪放免というわけにもいくまい?」


 当然だ。軍命に反し、高貴な人物を手にかけようとしたのだ。実行しなくても罪を免れないのに、彼らは実行したのだ。


「もちろんです。

 当初は死刑にするつもりでしたが、リュウイチ様に助命をと再三乞われまして・・・我々だけ御許し頂いておきながら、あの者らだけ死刑のままという訳にもいかぬものですから、奴隷に堕とすこととしました。」


 プブリウスが驚いたように身体を起こしてアルトリウスを見た。


「奴隷だと!?」


「はい・・・?」


「リュウイチ様はそれを御認めになられたのか!?」


「え、ええ・・・」


 突然食いついて来たプブリウスに驚きながらもアルトリウスが答えると、プブリウスはフーッと大きく息を吐きながら再び身体を肘掛け椅子に沈めた。


「どうかなさいましたか?」


「いやなに、ゲイマーガメルの中には奴隷制度を異常に嫌われる方がおられると聞いていたのでな。」


 アルトリウスが抱いたのと同じ懸念をプブリウスも抱いたのだ。


「その点は問題なさそうです。

 ただ、彼らの値段がいくらぐらいになるのやら・・・」


「ふふんっ・・・いくらにもなるまいよ。」


 プブリウスは安堵して気が抜けたせいか、アルトリウスの漏らした疑問に鼻で笑って答えた。


「そうなのですか?」

「四千セステルティウスくらいならウチで買ってやろう。」


 あまりの安さにアルトリウスとスタティウスは驚きを隠せなかった。


「お待ちください、八人ですよ!?」


「ん?・・・一人五百セステルティウスで八人なら四千セステルティウスだろ?」


 プブリウスは再び身体を起こし、何を驚いているんだとでも言うようにアルトリウスらを見た。


「元軍団兵のホブゴブリンで健康体です。

 いくら何でももう少ししませんか?」


 スタティウスがそういうと一同から失笑が漏れ、スタティウスの隣に座っていたラールが一つ咳払いをした後申し訳なさそうに告げた。


「申し訳ありませんが、それは借金奴隷などの話です。

 重罪の犯罪奴隷・・・まして貴人に刃を向けたとなれば値は付きません。」


 半ば腰を浮かせていたスタティウスはラールにそう言われ、ゆっくり腰を落ち着けた。


「そうなのか?」


「主人に歯向かう可能性のある奴隷など誰も欲しがりません。

 買い叩かれるのがオチです。

 りに出しても最低価格の五百セステルティウスでも買い手は付かんでしょう。」


剣闘士グラディエーターとしてもか?」


 ラールが無言のまま首を振るのを見てアルトリウスとスタティウスは身体の力が抜けていくのを感じた。

 確かに主人に反抗する可能性の高い奴隷の買い手は付きにくいのは知っていたが、剣闘士としてなら売れると思っていたのに、そのアテが完全に外れたのだ。


「値が付かなければ、公有奴隷にするしかない。

 だから四千セステルティウスでよければ引き取ると言ったのだが?」


 プブリウスはやれやれと言った感じで言った。

 プブリウスにしても買い叩いているようだが、好意のつもりで言ったことだった。

 アルビオンニアやアルトリウシアの財政がどれだけ逼迫ひっぱくしているかぐらいプブリウスは理解している。だから奴隷の売却益でいくらかでも稼ごうという魂胆なのだろうと想像したのだ。

 だが、サウマンディアにしても財政に余裕があるわけではない。現に無駄な奴隷八人のために四千セステルティウスも出すと言ったプブリウスのことを、財務官クァエストルのティベリウスはジト目で睨んでいる。奴隷は購入後の維持費もバカにならないのだ。


 半ば放心状態に近い様子だったアルトリウスだったが、プブリウスの申し出は断った。


「いえ、買い手は既についていますので、値段をどうするかだけが問題だったのです。」


「買い手は付いている?」


「はい。」


 意外な事実に皆驚いた。

 悪い冗談でも聞いたかのようにカエソーが訊ねた。


「誰です、その物好きは?」


「リュウイチ様です。」

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