第32話 プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス

統一歴九十九年四月十日、夕 - ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディウム



 既にだいぶ傾いた太陽は東方の空を茜色へと染めつつあり、あと一時間かそこらでクンルナ山脈の稜線りょうせん彼方かなたへと去って夜のとばりを降ろすだろう。


 サウマンディアを治めるサウマンディア伯爵家の邸宅ヴィラはサウマンディウムを見下ろすナシディアヌスの丘の上に建っている。

 この『青山邸ヴィラ・カエルレウス・モンテス』と呼ばれる邸宅を建てるにあたり、丘の斜面に立っていた樹木は全て切り倒され、地表の突起物は全て撤去され、逆に窪んでいた部分はすべて埋められた。

 このため邸宅周辺の丘の斜面は邸宅敷地から半径百から二百ピルム(約百八十五から三百七十メートル)以上にわたって全周が牧草地になっており、普段羊がのんびり草をんでいる以外に視界を遮るようなものは樹木の一本、岩の一つすら存在しない。

 その羊たちも今、羊飼いと牧羊犬たちによって家畜小屋への追い立てられている。


 このような地形にしたのは安全保障上の理由からだった。

 このような地形ならば誰にも気づかれる事なく邸宅に忍び込むことはできないし、武装集団が攻めて来ても銃器で撃退しやすい。


 そうした効果を狙った甲斐あって、平時においても邸宅の家人たちは来客の接近をいち早く知る事が出来た。

 斜面はさして急でもないのにあえて九十九折つづらおりに敷設された白い石畳の道路を登って来る馬車が正門にたどり着いた時、既に家人が出迎えの準備を済ませて待ち構えているのはそのためだったのだが、それだけでも訪れる客人たちに特別な歓待を受けたかのような気持ちにさせる効果があった。



 今回もそうした造成された地形がもたらす恩恵にあずかり、来客の馬車が門に差し掛かる前に正面玄関オスティウムで出迎えの準備を万全に整え、正装トーガに身を包んで待ち構えるヒトの男がいた。レーマ帝国属州サウマンディアを統治する領主であり、この邸宅のドミヌスでもあるプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵その人である。


 

 本来、今日の来客は伯爵自身が玄関まで出迎えに出なければならないほど重要な人物ではない。この世界ヴァーチャリアでも最も古い歴史を持つ血族の末裔ではあるが、貴族パトリキとしての位階は一段下がるうえ今は亡き親友マクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵の属領を与えられた子爵・・・実質、被保護民クリエンテスとみなして良いだろう。それも子爵本人ではなく公子であり年齢だって自分の半分にも満たない若者。

 付き合いが無いわけではないが直接会ったのは十回に満たない筈だ。

 だが、それでも今日に限ってはその客人は慎重に扱わねばならない相手だった。


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子。


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団長レガトゥスであり、今回のメリクリウス目撃情報対応では最も怪しいともくされていたアルビオンニウムの警備担当責任者・・・彼の放った伝書鳩が今日届けてくれた通信文の内容はそれだけ重大なものだった。


 『カラスメルクリウス見ず、魔法陣無し、降臨者得たり。今宵参らん。』


 通信文の内容は理解できるが状況が理解できない。

 メルクリウスを見なかったというのは良い。魔法陣も無かったというのも良い。歓迎だ。

 だが、最後の降臨者を得たとはどういうことだ?


 降臨を阻止するためにこそ、メルクリウスを捕縛し降臨術を行わせないようにしなければならない。だからメルクリウスがどうなったかはこの際二の次で良い。

 だが降臨者が現れたとなると大問題だ。何故阻止できなかった?

 降臨者が現れたのに魔法陣もメルクリウスも見なかったとはどういうことだ?

 メルクリウスも魔法陣も無いなら降臨だって起きないんじゃないのか?


 最初は何かの間違いではないかと疑った。実は今も少し疑っている。

 少なくとも悪戯などではないだろう。事の重大さを考えれば、許されるような悪戯ではない。

 だが、「卵得たり」の部分はどう考えても理解できない。


 理解できないというより理解したくないと言った方が正解だったかもしれない。しかし、理解せねばならないと三つの情報が告げていた。

 いずれもサウマンディウム要塞からもたらされた報告だ。



 第一に今朝アルビオンニウム上空で起こった異常現象。

 遠雷の音に気付いた見張り員がアルビオンニウムの方を見たところ、アルビオンニウム上空を覆っていた雲が突然急激に晴れていったという報告。


 第二に今日の昼すぎ、アルビオンニウムを船三隻が出港したが、うち一隻が帆を張って西へ高速でまっすぐ走り去って行ったという報告。


 第三に数時間前、サウマンディウムの港にアルトリウシア子爵公子座上ざじょうの軍船二隻が入港したという報告。



 最初の二つは明らかに異常だ。

 報告が来た当初は何かの見間違いだろうと思った。

 

 まあ、天候についてはそういう珍しい現象もあるのかもしれない。

 だが、二つ目のアルビオン海峡で帆を張った船が西へまっすぐ高速で進んだなどあるはずがない。サウマンディウム要塞の見張り塔からアルビオン湾口まで五マイル(約九・三キロ)ほどもあるのだから、何かの見間違いであろう。


 そんな馬鹿な事をわざわざ報告する必要などないではないか・・・そう思った。


 だが、それら二つの情報と一緒に提出されたのが例の通信文だった。


 報告してきたのは要塞の管理を任せている軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムの一人だった。その幕僚トリブヌスサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの最高幹部なのだから当然、今回のメルクリウス目撃情報対応に関する情報は全て共有しており、状況を理解していた。

 彼自身、最初の二つの報告は何かの間違いだろうと判断していた。だがサウマンディウム要塞に飛んできた伝書鳩の通信文が異常事態の発生を彼に確信させた。


 これらの情報がそれぞれ別個にもたらされたのなら、何かの間違いと判断するのが当然だろう。確認作業は必要だろうが、かといって鵜呑みにするほど確信性の高いものではない。

 しかし二つの目撃情報と通信文の三つを関連付けると最悪の状況が見えてくる。


 そこへ追い打ちをかけたのが最後の報告だった。

 アルトリウシア軍団の軍団長座上の艦隊二隻が入港した・・・予定は三隻だった。海は別に荒れていない。海峡で船が沈んだという報告も無い。そして既に受けていた西へ一隻向かった(それも帆を張って)という報告。


(あのクソ真面目なアヴァロニウスがこんなことで悪戯をするとは思えん。)



 アヴァロニウス氏族はかつてアヴァロニアを治める名門貴族だった。アヴァロニアが大戦争終結後の大協約に基づいてレーマ帝国に属する事に抵抗し、当時最強と謳われたアヴァロニア軍団レギオー・アヴァロニアを率いてレーマ帝国軍と八年の長きにわたって戦い続けたアヴァロニウス氏族の末裔。

 その後、謀略によってアヴァロニアは陥落し、アヴァロニウス氏族はアヴァロニア軍団ごとアヴァロニアを追放となり、実質的傭兵部隊アヴァロニア支援軍アウクシリア・アヴァロニアとして転戦・・・その後アルビオンニア侯爵に迎えられ、アルトリウスの実父グナエウスの代になって侯爵から属領を賜り子爵に叙せられ、大貴族パトリキへの復帰を果たした。

 彼らは最後までレーマ帝国に抵抗した誇り高い名門貴族であったがゆえに、長きにわたって叛意を疑われ続けた。

 そしてそうであるがゆえに、他人から疑惑を向けられかねないような言動を極端に忌避する癖が世代を超えて身についてしまっており、おかげで今では典型的な剣貴族のイメージにあるような武人然とした、クソ真面目な堅物という印象を持たれるようになっている。

 それでもグナエウスが叙爵される際には元老院議員を始め保守派のレーマ貴族たちの間では少なくない抵抗があったと言われている。


 

 レーマ帝国貴族の中で最も堅物として知られるアヴァロニウス氏族・・・その統領たるアルトリウシウス家の者が関わっているのだ、やはり重大な事態が発生していると判断せざるを得ない。

 そしてそのが降臨を指すのだとしたら・・・我々の今後の運命が大きく左右されることになる。

 アヴァロニウス・アルトリウシウスの跡取り息子アルトリウスが間違いを犯せば、本件の責任者である自分プブリウスの責任にもなるのだ。



 正直言って、歓迎したくない客だ。


 いや、彼の人格に問題があるとか、彼が嫌いだとかではない。むしろ、これまでに会った印象や耳にする伝聞からは敬意を払うに足る人物であることを示している。

 しかし、今の彼が巻き込まれているであろう状況にこちらも巻き込んでほしくないというのが偽らざる本心だ。

 招かなくて済むなら招きたくない。


 だが、この邸宅にこれまでに招かれたあらゆる客の中で最も重要な客であることに間違いなかった。

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