第31話 サウマンディウム上陸
統一歴九十九年四月十日、午後 - サウマンディウム港/サウマンディア
サウマンディアの西方にはサウマンディ半島南端から大陸を南北に貫くクンルナ山脈が
サウマンディウムにはアルビオン海峡上空からクンルナ山脈南端をすり抜けた雲が上空を覆う事も少なくないが、ここ数日は北寄りの風が吹いているためサウマンディウムは快晴が続いていた。
湾口東側の岬の上に建つ
サウマンディウムの湾内はもちろん、アルビオン海峡半ばまでも射程に収める大砲をずらりと並べ、竣工以来半世紀以上に渡ってサウマンディウムの港とアルビオン海峡を御自慢の砲力で守り続けた要塞砲台から砲声が鳴り響くのは、サウマンディウム沿岸に現れた海賊船を実弾で追い払う時か、友軍艦船の寄港を礼砲で迎える時か、基本的にはその二つのうちのどちらかだ。
まるで数を数えるかのような一定の、そして割と早い間隔で鳴り響いた十五発分の砲声は明らかに後者のそれであり、アルビオンニアからの艦艇が予定通り来航したことを市内の関係者らに知らせる役割を果たした。
要塞から聞こえてきた礼砲でアルビオンニア艦隊の来航を知り、アルトリウスらを迎えるべく馬車を飛ばして海軍用の船着き場で待ち構えていた男は、馬車に乗り込む際に聞いた要塞側の礼砲に対して艦隊側が放ったはずの答礼の砲声が少なかった事が気になっていた。
船着き場にたどり着いた馬車から降りた彼が見たのは、船着き場の沖合で接岸作業を始めようとしている見慣れた軍船の姿だった。しかし・・・
船が一隻少ない。
彼、ラール・ホラティウス・リーボーは今年で三十一になるホブゴブリンであり、父の代からアルトリウシア子爵の指名御用商人を務めている。
アルトリウシアを母港としている軍船は全て知っているし、利用させてもらった事もある。だから当然、今目の前にいる軍船も見ただけで船名も分かる。
『グリームニル』と『スノッリ』。
アルトリウスが乗っている筈の最新鋭の旗艦『ナグルファル』の姿が見えない事に戸惑いを禁じ得ないラールだったが、『グリームニル』の甲板からアルトリウスが手を振っているのに気づき、ひとまず胸をなでおろした。
「ああ、
アルトリウスは船が岸に付けるやいなや、接舷作業も終わらない内からスタティウスの制止を無視して飛び降りてきた。
「接舷急げ!」
「アルトリウス様!」
「ホラティウス・リーボー!」
二人は互いに駆け寄って挨拶を交わした。
「お早いお付きで、もう少し遅くなると思っていました。」
「
「海峡の乙女?」
やはり海峡に強大な《
アルトリウスは話を続けた。
「後で話す。
アルトリウシアからは誰か来ているか?」
「いえ、早くても明日以降になるでしょう。」
今回、アルトリウスは今回のメルクリウス対応の報告に来ているが、彼が把握しているのは彼が直接指揮したアルビオンニウムのことだけだ。
アルビオンニアではアルビオンニウム以外の地域でも別動隊によって降臨対策が実施されており、それらの結果はまとめたうえで別途使者が立てられて報告される事になっている。
アルトリウスがそれらとは別に一足早く来たのは、アルビオンニウムからアルトリウシアへ帰る途中で立ち寄るのがちょうど良かったからに過ぎない。
アルビオン海峡ではほとんど年中西寄りの風が吹いている。だからアルビオンニウムからアルトリウシアへ船で帰るには風に逆らって西へ進まなければならない。
アルビオンニウムからアルトリウシアへ直接帰ろうとすると海峡の南側を西進することになるが、海峡の南側は西から東への海流が流れているため潮と風の両方に逆らって進まなければならない。しかも、アルビオンニウムを朝出発しても海峡出口のアーレ岬まで丸一日かかる。なので、途中の《
ほぼ丸二日、風と潮に逆らって櫂を漕ぎ続けねばならないので漕ぎ手の消耗が激しい。
なので、一般には一度海峡を渡ってサウマンディウムで一泊する。翌日、海峡北側を西進してサウマンディ半島の西側にあるナンチンという港町で一泊し、次の日にナンチンからアルトリウシアへ向かう。
海峡北側は東から西へ海流が流れるので
なので、アルビオンニウムからアルトリウシアへ向かう船は、一日余計にかかるにも関わらずサウマンディウム経由の北ルートを通る。
だからアルトリウスたちは一足先にサウマンディウムへ来たのだし、当初の予定では全ての船がサウマンディウム経由で帰ることになっていた。
「それよりも船が足らないようですが?」
「ああ、『ナグルファル』はアルトリウシアへ直行してもらった。」
当初の予定を変更してアルビオンニアからアルトリウシアへ船を直行させるのは、一日早くは帰れるが漕ぎ手の消耗が激しい上に、サウマンディウム寄港という軍団兵にとって何よりのご褒美を取り上げることになる。
余程の理由が出来たと考えるべきだった。
「・・・何かあったのですか?」
「ああ、後で言うが今はまだ言えない。聞いた後も他言無用だ。
ただ、これからお前には随分働いてもらう事になるだろう、とだけ言っておく。」
戦か・・・とラールはアタリを付けた。
この世界での軍隊は兵站を自前で解決しない。自前の補給部隊も持ってはいるが、大部分を商人たちにゆだねており、有力な従軍商人を兵站隊長に指名した上で護衛兵力をあてがい、他の従軍商人たちの取りまとめと兵站のほとんどを任せてしまう方法を採っている。
領主等
面倒も多いが色々特権も与えられるため旨味も大きい。
そんな御用商人に「働いてもらう」となれば・・・。
「わたくしは子爵家指名の御用商人です。御用命とあらば
「ああ、頼りにしている。だが、今度のことに関する仕事は秘匿性を要する。
口の堅い人間を選んで
「それはもう、貴族と取引がある商人にとっては当然のことですから・・・」
「今度のことは、それ以上だと思ってくれ。」
「・・・
「こちらでは何かあったか?」
「伯爵様から使いが来まして、今宵の
「酒宴だと?」
「はい。」
「
「ええ、『酒宴』でございました。」
日没後に
灯りとなるロウソクや油が貴重な時代では日没後にいつまでも起きているという事自体がすでに贅沢だったし、
そして特別な場合は除き基本的に女人禁制であり、男性だけが参加することに特徴がある。
正餐用衣装はゆったりとした薄着が普通で、女性がそれを着て横臥すると身体のラインは
ロウソクやランプの薄暗い灯りの下で女性が
このため、女性が参加すると高確率で不埒な出来事が起きる。
それを楽しむためにあえて・・・という不届き者は残念ながら珍しくはないが、基本的に『酒宴』に女性が参加するのは世間一般的には白眼視されるのが常識であり、『酒宴』に参加する女性は間違いなく貞操観念を疑われることになる。
だから通常は女性の参加は忌避されるし、よほど特殊な性的嗜好の持ち主でない限り、自分の妻や娘や恋人を出席させるようなことはしない。
とはいえ、女性が居なくても酒が入れば他人に聞かれたくないような馬鹿話ぐらいするのが普通だし、だらしない恰好でだらしなく夜更けまで酒を飲むのだから他に知られたくないような醜態が繰り広げられる事も当たり前にある。
このためレーマではいつしか、酒宴形式の宴席で起きた事や話した事は決して口外しないという不文律が成立していた。
「祝宴」でも「宴会」でもなく「酒宴」という単語を使って招待状を送ってきたということは、そこで話されることは決して口外せずに秘匿するという事を意味し、伯爵はアルトリウスが伝書鳩で送った速報を受け取り、事の重大性を認識したうえで対応してきているという事を示していた。
「アルトリウス様の正餐用衣装も御用意させていただいております。」
予定されていた祝宴には当然ながら
こういったサポートも御用商人の仕事になる。
ちなみに、今夜のアルトリウスの宿もラールがサウマンディウムに構えている
「助かる。お前も招待されているのか?」
「はい、元々出席させていただく予定でしたが、わたくしの分も招待状を頂いております。」
「
『酒宴』に招待された客は自分が選んだ者を同行させる事が許される場合があった。
客人として顧みられることは無く、臥台に上がることも無く、主人(自分を連れて来てくれた正式な招待客)の足元に置かれた腰掛に座り、決して『酒宴』の正式な出席者たちの邪魔をせず、いるかいないかすら分からないように大人しく振る舞う・・・このため『影』と呼ばれる。
普通は付き人、食客、情人といった
「わたくしは秘書を一人同行させるつもりでおります。」
「私はスタティウスを同行させるつもりだ。馬車は?」
「もちろん、御用意してございます。」
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