マニウス要塞での事前会議

第1071話 出席の意向(1)

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐マニウス要塞カストルム・マニ/アルトリウシア



 先月来、土曜日のマニウス要塞は騒がしい。アイゼンファウスト地区の避難民を収容しているからというのもあるのだが、それは土曜に限らずいつものことだ。土曜日、それはティトゥス要塞カストルム・ティティから侯爵家、子爵家の両領主とその家族がマニウス要塞へ訪れる日なのである。

 先月、ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱を受けてアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスアロイス・キュッテルが部隊を率いて救援に駆け付けたのを機に、アロイスの甥であるカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子が軍事の実務について師事を受けるべくマニウス要塞へ移ってきていた。そしてそのカールと共に日曜礼拝を受けるべく、週末になると侯爵家一家がマニウス要塞へ毎週訪れるようになっている。もちろん、それは公式に発表されていることであって真実ではない。

 日曜礼拝のために侯爵家が一家そろってマニウス要塞へ毎週通うのは事実であったが、カールがマニウス要塞へ移ったのは叔父のアロイスに師事するためではなかった。降臨者リュウイチの“人質”となることでその加護を受け、その身体を犯していた病魔を取り除き、日の下へ出ることのできないアルビノという体質を克服するためであった。もちろんリュウイチの存在と降臨の事実は当面の間、秘匿されることになっていたため、カールがマニウス要塞へ移った理由は偽装されたものが発表されている。


 ティトゥス要塞城下町カナバエ・カストリ・ティティからマニウス要塞正門ポルタ・プラエトーリア・カストリ・マニへまっすぐ続くマニウス街道……マニウス要塞城下町カナバエ・カストリ・マニの手前から要塞正門ポルタ・プラエトーリアまでの街道沿いはもちろん、要塞正門を通ってから要塞司令部プリンキピアまでの中央通りウィア・プラエトーリアまで、悪天候をものともしない住民たちがひしめき合って手を振り歓声をあげている。

 通常、レーマ貴族ノビレス・レーマエはどこかへ移動する際は多くの被保護民クリエンテス食客ラウディケーヌスを引きつれ、己の権勢を世にアピールする。場合によってはサクララウディケーヌスを用いて歓迎ムードを演出し、自分たちがどれくらい社会に愛され必要とされているかをアピールするものだが、しかし今、侯爵家や子爵家を歓迎する民衆たちの中にエルネスティーネやルキウス、あるいはその家臣や被保護民たちが動員したサクラは、今街道沿いを埋め尽くしている民衆の中にそれほど含まれては居なかった。仕事の手を休め、雨に濡れるのもかまわずわざわざ街道沿いに出てきて領主貴族パトリキたちの車列を歓迎している民衆たちは、誰かに要請されたわけでも強制されたわけでもなく、自らの意思で歓迎の意思を示していた。


 ハン支援軍叛乱以降、侯爵家と子爵家への領民たちの人気はかつてないほど高まっている。理由は二つ……一つは叛乱事件の被害者たちの救済処置と復興事業である。


 叛乱事件が起きて以来、侯爵家と子爵家は被災民の救済措置を次々と打ち出していた。家を失った被災者の大半を要塞カストリに収容し、軍が備蓄していたポーションも負傷者のために惜しげもなく放出している。収容しきれなかった被災者たちには空き家を借り上げて収容させたり、あるいは軍団レギオーが保有するテントを無償で貸し出すなどしていた。また迫りくる冬を前に被災者たちが生活を再建できるよう、働ける被災者を雇用したり軍団兵レギオナリウスも動員したりしている住宅整備事業は領主家御破算の噂がまことしやかに流れるほどの規模と勢いで強行されている。

 あらゆる物価が高騰する中でも食料と建築資材の確保には特に注力され、一昨年の火山災害の際は多数の人々が飢えに苦しみ、命を落としていったにもかかわらず、今回は餓死者は出ていない。高騰する食料の中でも基本的な穀物等はいち早く配給制が導入され、被災者への炊き出しも毎日不足なく行われていたために、人々は飢えとは無縁でいることができていた。中には被災前より食料事情が良くなったという者もいたほどだった。これだけでも領主家の人気が高まるのは当然と言えるだろう。

 もう一つの理由はハン支援軍討伐への期待である。


 ある種の人たちは決して認めないが、戦争は娯楽の最たるものである。メディアというものが未発達で遠隔地への情報伝達手段が手紙と噂しかない社会では、自分自身が当事者ではない戦争は娯楽以外の何物でもなかった。噂で囁かれ、歌に歌われ、本や絵に描かれる戦争は人々の関心と注目を集める格好の題材であり、現実から乖離かいりした出来事はままならぬ現実世界の生活の困苦を忘れさせ、同時に社会で正義が行われることを確信させてくれることで日頃の無聊ぶりょう鬱憤うっぷんとを慰めてくれる。英雄譚はいつだってファンタジーの王道なのだ。

 アルトリウシア領民にとって、ハン支援軍の叛乱に巻き込まれた被災者たちにとって、戦争は既に身近な不幸である。だが、ハン支援軍が起こした事件はまだ解決したわけではない。これから解決されるのだ。領民たちは不届きなハン支援軍の暴虐によって不幸をもたらされたが、ハン支援軍が討伐されれば彼らが齎された不幸のいくばくかは報いられるのだ。正義がなされ、被害者たちは救われる……いや、救われねばならない。正義はなされねばならない。そしてその正義を成す者は……戦争が起きた時、時の政府の支持率が高まるのは、政権に期待があつまるのはいつだってどの国だって同じだ。侯爵家、子爵家にはまさに、これからハン支援軍を討伐して仇を討ってくれるに違いないと期待され、応援されているのだった。


 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人もルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵もそのことはよく理解していた。そして自分自身でも、それは成さねばならないと確信してもいる。世の人々の期待に応えること……それは貴族が貴族であるための条件だからだ。それを無視してはいかなる人物であろうと、どれほどの財貨を持とうと、貴族として人々の称賛と羨望を集める存在であり続けることは難しい。だが当人たちは今それどころではなかった。

 領民たちの歓声を浴びながら要塞司令部の前で馬車から降り、要塞司令プラエフェクトゥス・カストロルムアルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシイアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の出迎えを受けた後に司令部内の控室へ通されたエルネスティーネは思わぬ報せにわずかに驚き、表情を消した。


「リュウイチ様が!?」


 アルトリウスが静かに首肯するのを見届けると、エルネスティーネはルキウスと目を見合わせた。リュウイチが彼らに報告と相談をしたいと言っているなどと聞かされれば、彼らの立場であれば身構えないわけにはいかないだろう。世界を破滅に導きかねない恐るべき力を持ったゲイマーガメル暗黒騎士ダーク・ナイト》であり、歩く金鉱と言っても差し支えないほどの黄金を持っていて侯爵家と子爵家に対して莫大な融資をしてくれている資産家であり、カールの命を救ってくれた恩人でもある。既にただでさえ簡単には返せないほどの借りがありながら、こちらから出せるもので相手を満足させられるものが何もない相手から「報告と相談がある」などと言われれば、まず話を聞かないわけにはいかなかったし、聞いた以上は多少の無理なことでも聞き入れないわけにはいかないだろう。もちろん、エルネスティーネもルキウスもリュウイチの要望とあれば多少の無理をしてでも叶えることに依存は無いが、しかし出来ることには限度がある。

 おそらく世界有数の資産家であり、貴重な聖遺物アイテムを山ほども持ち、神にも匹敵しそうなほどの精霊エレメンタルを複数従え、強力な魔法もスキルもいくらでも使うことが出来る降臨者がわざわざ「相談したい」と頼って来るということは、それらでは解決できない問題を抱えているということだろう。そんなものに彼らがどれほど役に立てるのかはなはだ疑問だ。


「リュウイチ様の御所望とあらば我らとしてもやぶさかではない。

 だが、今こうしてお前が私たちにそれを言うということはリュウイチ様はこの後の会議へ御臨席あそばされる御意向なのか?」


 無言のまま互いに見つめ合っていたエルネスティーネとルキウスは期せずして同時に視線をアルトリウスに戻し、今度はルキウスがアルトリウスに尋ねる。

 エルネスティーネもルキウスも、今日これからの会議の後でリュウイチと会う予定になっている。話したいことがあるならその場で良いはずだ。アルトリウスもそのことは承知している筈……それなのにアルトリウスがわざわざこのタイミングでリュウイチが報告と相談をしたがっているなどと言ってきたということは、今でなければならないということなのだろう。つまり、リュウイチはこれから開かれる会議の場で報告と相談をしたいと言っているのだろう。


「はい養父上ちちうえ

 リュウイチ様といたしましては、侯爵夫人と養父上ちちうえのお二人の御協力を御所望です。

 そのためには、お二人と同時にお話しできる会議の場が好ましく思召おぼしめされたのでしょう。」

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