第1072話 出席の意向(2)
統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐
ルキウスはリュウイチがこの会議に出席したがっているというアルトリウスの返事を聞くと口をへの字に結び、喉の奥で小さく唸った。
毎週、土曜日にこの要塞司令部で領主臨席で会議を開くようになった最大の目的はリュウイチへの対策のためだった。そもそも、専制君主制や封建主義社会において領の運営に関する会議を領主臨席のもとで毎週開く必要などあるわけがない。領主は家臣に必要な権限を与え仕事を割り振っているのだ。各家臣は自分たちに与えられた裁量で仕事を裁いていくし、他の家臣との調整も自分たちでやっていく。領主の手を煩わせるのは最低限になるようにし、求められれば必要な報告をあげるだけだ。わざわざ集まって情報を共有しなければならないことなどほとんどない。にもかかわらず領主臨席の会議を毎週開かねばならなくなったのはリュウイチがいるからこそだ。
侯爵家も子爵家も、
これは相当な“借り”だ。ただの「借金」ではない。明確に「恩」と呼ぶべきものだ。それは返されねばならない。借りた金を返すのは当然として、それ以上の何かを返さねば“借り”を返したことにはならないだろう。
エルネスティーネもルキウスも家臣たちもそのことはよく理解している。相手は降臨者……
本来、成されるべき接待を十分できない状態にあるというのに、侯爵家と子爵家はリュウイチの存在と降臨の事実を秘匿するため、リュウイチには不自由な生活を強いている。
この状況をこのまま放置するのは
その結果開かれるようになったのが毎週日曜日に開かれている報告会だ。
カールは侯爵家が負った借金の人質という名目でリュウイチの下へ預けられ、それによって「《レアル》の
そのカールもランツクネヒト族の最も高貴な貴族として、キリスト者の務めとして、日曜日の礼拝は欠かすことが出来ない。リュウイチの存在を秘匿する必要上、アルビノであるために陽の光を浴びれないというカールの体質上の問題は解決されていないことになってなければならないため、日曜礼拝は屋内で聖職者を呼んで催さねばならない。となると、リュウイチとカールが暮らす
ではいっそのことその機会に陣営本部と隣接する要塞司令部にリュウイチを招き、そこで現状を報告することでリュウイチに対するせめてもの誠意を見せようということになったのだった。そしてその前日の土曜日に開かれる領主臨席の会議は、そのリュウイチへの報告会の準備作業なのである。
高貴な者に接して良いのは高貴な者のみ……基本的にリュウイチへの接遇は原則的にエルネスティーネやルキウスなどの
そんな会議にリュウイチが出席されるのは困るのである。
アルトリウスはそのことを知っている筈だ。明確に理解している筈だ。何故なら今のこの体制を築き上げる過程にアルトリウスは深くかかわっていたのだから。そのアルトリウスがリュウイチが参加したいと言って来たことをワザワザ伝える理由がわからない。会議の場では無くてもリュウイチとルキウスらの接点は他にも色々あるはずなのだ。そうした別の機会を設定し、この会議にリュウイチが出席するのは避けるようにすべきではないのか?
「なるほど、今日の会議にリュウイチ様が御出席くだされば、明日の会議はしなくて済むな?」
アルトリウスに向けられたルキウスの目は冷たく、その口調には失望が滲んでいた。それに気づいたエルネスティーネが「またこの人は……」と呆れとも諦めともつかぬ視線を向ける。
ルキウスは元来より貴族嫌いなところがある。が、それは裏を返せば貴族という存在に対する理想があまりにも高いことが背景にあった。
彼はアルトリウシウス子爵を名乗る以前のユースティティウス家の当主の次男として生を受けた。かつてのアヴァロンニアの名門貴族の
そんな家の当主の息子に生まれながら、あくまでも長兄の予備でしかない自分は決して貴族になれない……そのような境遇で育ったルキウスは、自分が継げるかもしれなかった貴族という立場を過度に美化して捉えるようになっていく。
人の上に立つ者はこうあるべきだ……こう振る舞うべきだ……
貴族が貴族であるためには資質を身に付けねばならない。すなわち、気品と教養、そして勇気だ。
なんでそんな風に堕落するんだ。自分だったらこうする。ああはならない。
そういった思いを抱え続け、家を継げないなりにも軍で大成して自分を実現していこうとした末に落馬事故を起こして不遇の身体となり、軍を去らねばならなくなった。結果どうなるか? 理想を捨てて現実を受け入れるか? 否である。ルキウスは現実を拒絶し、理想を夢見続けた。そして現実と理想のギャップを酒で埋めたのである。
その地獄からルキウスは侍女アンティスティアの献身によって脱し、今のように立派な領主貴族となりはしたのだが、しかし貴族という存在に対して過度な理想を抱く癖は後遺症として残り続けていた。それは特に生まれながらの貴族に対して向けられる攻撃性となって発現してしまうのだが、その中でもアルトリウスには顕著に向けられる傾向にあった。アルトリウスに特別向けられる理由……それは彼が生まれながらの貴族であり、同時に家族であり、甘えてよい相手だったからである。
エルネスティーネを始め、アルトリウシアの貴族たちはルキウスがアルトリウスに対してだけやけに無神経な態度をとることに気づいていた。
「さすが子爵閣下は余裕が御有りね、明日の心配をしていらっしゃるなんて。
私は目の前のことでたくさんですわ。」
エルネスティーネがルキウスに軽く掣肘をくらわせる。ルキウスはそれで自分の失敗に気づいたのか、無言のまま苦笑いを浮かべた。
「でも、子爵公子閣下。子爵閣下のおっしゃることも
今日の会議で話されることの中には、リュウイチ様の御耳に入れたくないこともおありではなくって?」
「もちろんです侯爵夫人」
ルキウスに対して笑みを引きつらせていたアルトリウスは表情をわずかに穏やかなものに変えて軽く会釈する。
「私もさすがに最初から最後まで会議で話されること全てをリュウイチ様に御照覧いただくつもりはありません。またリュウイチ様も望んでおられないでしょう。
リュウイチ様が御報告なさる時間を、会議の合間に設けていただき、リュウイチ様には御用件が終わり次第
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