第1210話 プランB

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ シュバルツゼーブルグ東部外縁/シュバルツゼーブルグ



 ティフたちはシュバルツゼーブルグの市街地を右手に見ながら森に沿って南下した。かなり大回りになるが、市街地と森の間には広い農地が広がっていて視界が開けすぎており、馬に乗った少年四人が歩く姿は遠目にも目立ちすぎてしまうからだ。

 馬というのは非常に高価な存在である。馬そのものも貴重だが、何といっても維持費がかかる。大変な大喰おおぐらいなのだ。おまけに世話も欠かせない。月に二度か三度は蹄鉄ていてつも付け替えてやらねばならないのだ。

 鉄が黄金並みに貴重なこの世界ヴァーチャリアでは馬の蹄鉄は基本的に青銅製だ。一つで三百~五百グラムはある青銅の塊を四本の足全てに付けなければならない。貧民は一日汗みずくになって働いようやく銅貨数枚を得ることができる。青銅貨一枚が三グラムほどだと考えると、蹄鉄の材料代だけで貧乏人の年収分を上回ってしまう。それなのにそれを一頭一頭の馬の蹄の形に合わせて成型し、毎月二度~三度と交換してやり、人間七人分の穀物を毎日与え、おまけに毎日厩舎を掃除をしてやって寝藁を清潔なものに換えてやって身体も洗ってやってと世話してやらねばならぬのだから、馬一頭の維持費がどれだけ物凄いかは分かろうというモノだ。人間の奴隷一人よりも馬一頭の方がずっと価値は高いのである。

 そんな馬を誰もが自由気ままに乗り回せるなんてことはあるわけがない。ここレーマ帝国に限らず、馬に乗っていいのは基本的に貴族だけなのは世界の常識だ。レーマ帝国では上級貴族パトリキか公職に就いている下級貴族ノビレス百人隊長ケントゥリオ以上の将校、騎兵科の部隊に所属する兵士、または騎士エクィテスの称号を持つ者に限定されている。そうでない者は領主貴族パトリキに特別な許可を貰っている場合を除き、馬に乗ることは許されない。

 それだというのに少年だけ四人で馬に乗って移動しているのが見えたら、あれはどこの貴族ノビリタス様だろうと誰もが注目してしまうだろう。しかし乗っているのはレーマ人でもなくランツクネヒト族でもない、どちらかというと南蛮人に近い肌の白い少年ばかりとなれば、それだけでちょっとした騒ぎになってもおかしくはない。ティフ達が馬に乗らず、くつわを持っていて歩いていたとしても同じことだ。

 だからせめて森沿いを歩いている。街からの距離は五キロ以上あり、よほど目の良い者が目を凝らして森に関心を払ってない限り見つかることは無いだろう。

 

「見ろ、やっぱりいるぞ。」


 ティフは魔法で強化した目を更に凝らしながら後ろをついて来る仲間たちに言った。その視線の先、約三キロほどの所には彼らがアジトに使っていた納屋がある。そしてそこには、まるで道化師のような奇妙な衣装を着飾った肌の黒い兵士たちがたむろしていた。


「あれ、レーマ軍なのか?」


 ティフに促され、その指先を視線で追ったデファーグはアジトだった納屋の周辺に、派手な原色の衣装を纏う男たちを見つけ、眉を顰めた。


「ランツクネヒト兵さ。

 似たようなのはクプファーハーフェンでもシュバルツゼーブルグでも見ただろ?」


 ランツクネヒト……《レアル》中世欧州で勇名をせたドイツ傭兵であり、この世界では一つの民族名にもなっている。正気を疑うレベルで派手に着飾る見た目と戦場での獰猛どうもうな戦いぶりから『呪われた道化師カースド・クラウン』『魔王の宮廷道化師デビルス・ジェスター』『戦場の愚者バトルフィールド・フール』などという異名で敵味方双方から恐れられた。ムセイオンで彼らの姿を目にすることは無いが、ナンチンから船でアルビオンニアへ渡った彼らがクプファーハーフェンに上陸した際に、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアではないがランツクネヒト兵を何度か目撃している。


「アジトを押さえられてしまったようですね。」


「ああ……いうことは、プランBだな。」


 デファーグの後ろに続くスワッグが言うとデファーグが即座に答えた。

 シュバルツゼーブルグ郊外のアジト……シュバルツゼーブルグの東側の農地の真ん中にある糸杉の近くの納屋は既にレーマ軍に押さえられていて使えない。そこには大事な物など何一つ残してはいないが、郊外のアジトを使えなくなったということはそれだけでティフ達にとって痛手だった。

 前述したとおり少年たちだけで馬を乗り回していたら非常に目立つ。人のいない森の中の間道ならともかく、街中では無理だ。そもそも街中は貴族であっても馬や馬車を乗り入れるのが禁止されている場合だって少なくないのだ。なのでティフたちが街に入るには、まず馬をどこか安全で目立たない場所に隠しておく必要がある。そのための場所がティフ達が行こうとしていた、そしてレーマ軍に押さえられてしまったアジトなのだった。

 アジトに馬を置いておくことができないとなると、そのまま街に入ることはできない。どこか別の馬を隠せる場所を探さねばならないが、生憎あいにくとそこまでの土地勘はティフ達には無かった。


「プランBってなんです?」


 最後尾を付いてきていたソファーキングが尋ねると、前方の三人は低く笑った。


 あれ、何か変なこと言っちゃったか?


 ソファーキングが訳が分からず一人でいぶかしんでいると、スワッグが振り返って答えた。


「そんなものは無いさ。

 ただ単に、今までやろうとしていた事は諦めて別のやり方を探そうって事さ。」


 何だよ、そうならそうと言えばいいのに……『勇者団』ブレーブスの面々は時々変な言い回しを使いたがる。今回の「プランB」もそうだ。ソファーキングもそう言う場面が無いわけではないが、それでも自分が分からない言い回しを使われると妙に気分が良くない。

 一人静かに気を悪くするソファーキングには誰も気づかず、デファーグは前方を進むティフに話しかけた。


「しかし、実際どうする?

 馬を誰にも見つからずに置いとける場所なんてそうそうないぞ。」


 馬は高価で貴重品だ。維持費はべらぼうにかかるが、売ればそれなりの値にはなる。まともに買えば一般的な平民の年収数年分……馬泥棒が盗んできた馬なんて足元見られて買いたたかれるのがオチだろうが、それでも平民の年収分を上回る値にはなるだろう。世の中から馬泥棒が無くならないのはそれなりに儲かるからだ。それなのに馬をどこへでも繋いで離れてしまうなど、盗んで下さいと言ってるようなものだ。いくらムセイオンで箱入りで育った彼らでも、そこまで不用心ではない。


「最悪、誰かを馬番に残してそれ以外で街に入ることになるかな?」


 ティフがそう答えるとソファーキングの表情はますます暗くなった。この四人の序列や特性から言って、その馬番になる確率が最も高いのはソファーキングに違いないからだ。

 ティフもデファーグもカーストの頂点に立つハーフエルフだから馬番なんて進んでやるはずもない。残りはスワッグとソファーキングの二人だが、スワッグは格闘戦の専門家だが飛び道具や刀剣を装備した敵との戦闘を想定しているだけあって、リーチの不足を補うために敵の気配を察知する能力や自分の気配を消す能力を極端に鍛え上げている。街への潜入はお手のものだろう。ティフやデファーグが街に入る際の先導役を任されるに違いない。

 それに比べソファーキングはというと魔法攻撃職だ。魔法の中には敵を探したり自分の姿を隠したりといったものもあるが、ソファーキングは攻撃魔法に傾注しつづけて鍛錬を続けてきたため、そうした補助的な魔法はあまり得意ではない。おまけに一昨日と昨日で、強行軍を支える馬たちに苦手な支援魔法や治癒魔法を使いすぎたため、現在絶賛魔力不足中である。街への潜入で全く役に立てそうにないのだから、無理せず馬と一緒に休んでろと言われても仕方のない状況だ。


 街へ行こうって俺のアイディアなのに……


 一人留守番をさせられそうな予感に早くも不満を抱きながらも、立場上不平不満など言えるわけもなく、「とにかく南へ廻って街道へ出よう」と言うティフの背中をソファーキングは黙ったまま追うのだった。

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