第805話 ルードの準備

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ ムセイオン・『鏡の間』/ケントルム



 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフ、その息子ルード・ミルフ二世、そして付き人のロックス・ネックビアード……それぞれゲイマーガメルの血を引く聖貴族コンセクラトゥム三人が夕闇迫るレーマの『黄金宮ドムス・アウレア』から転移魔法『ゲート』を使ってムセイオンに帰り着いた時、陽は未だ高く彼らの頭上にあった。それだけレーマとケントルムの間には時差があるということである。


「やっぱりレーマあっちで夕食を御馳走になってくればよかったのに……」


 帰って来るなり使用人たちに手早く簡単に取れる昼食を用意するように命じる母フローリアにルードは少し呆れたように少し惜しむように言った。彼らはこちらへ帰ってくる前、レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールから夕食ケーナに誘われていたのだが、フローリアはそれを丁重に断って帰ってきてしまっていたのだ。


「そうもいかないわ。

 あっちで皇帝の晩餐なんかに同席したらあのまま二時間は帰ってこれなかったわよ?」


「別にいいじゃないか。

 ロキシーはレーマ皇帝の晩餐なんて経験ないでしょ?

 凄いんだよ!?」


「そうなんですか!?」


 ムセイオンは世界で最も高貴な存在とされる聖貴族が集められているだけあって世界でもトップクラスの食文化が育まれている。何せ世界中の降臨者の遺した記録や聖遺物が集めて《レアル》の文化文明を研究する唯一の国際機関でもあるのだ。当然、《レアル》から持ち込まれたという食材や料理法の研究も盛んであり、その研究成果はムセイオンから世界に発信され続けている。ムセイオンのあるケントルムはこの世界ヴァーチャリアの文化・文明の中心地と言えるだろう。

 そしてムセイオンには、特にゲイマーの血を引く彼ら聖貴族には将来我が国の発展に寄与してもらいたいと願う各国から珍味や高級食材、あるいは食費などがひっきりなしに送り込まれており、彼ら自身も普段から王侯貴族に決して劣らない食生活を送っている。むしろ下手な王侯貴族以上に舌が肥えていると言っていいだろう。大聖母フローリアの息子であるルードは聖貴族たちの中でも母と共に最もにあう機会に恵まれた、聖貴族の中の聖貴族と言える存在だ。その彼が「すごい」と言うのだから、話を振られたロックスが驚き興味を示すのも無理はない。


 どんな凄い料理が出るんだろう?


 ロックスの頭に浮かんだ疑問はそれである。が、ルードの言う「すごい」の意味にロックスの疑問が適切だったかというと必ずしもそうでもなかった。もちろん、世界の半分を統べる皇帝の晩餐に並ぶ料理なのだから使われる食材や料理にかけられる手間などは世界最高レベルといって間違いないのだが、だからといってムセイオンで彼らが食べたことのある料理と比べて際立って優れた部分があるわけではなかった。ルードの言う「すごい」とロックスの想像する「すごい」は噛み合っていなかったのである。


「よしなさいルーディ!

 アナタ昼間っからあんなに食べるつもりなの!?」


 息子が何を面白がっているか知っているフローリアは呆れかえった。フローリアは長くケントルムの地でムセイオンの長として暮らしているが元々はレーマ帝国の出身である。彼女の生活習慣はレーマ帝国のそれであり、この世界ヴァーチャリアの大部分の国がそうであるように一日二食が基本であった。昼食という感覚が無いわけではないが、彼女にとって昼食とは間食に近いものであり、全く食べないか、食べるとしてもせいぜい軽食程度なのである。

 だが、一日二食の習慣が基本となっている文化圏では多くがそうなのだが、一日三食の文化圏に比べ食事の回数が少ない分だけ一度の食事で大量に食べることになる。そしてレーマ貴族は客を歓待する時、食べきれないほど料理を用意するのが基本だった。そのレーマ貴族の頂点に君臨する皇帝の賓客を招いての晩餐である。食事の回数が少ない代わりに一度の食事の量が多いレーマ帝国で、世界最高レベルの料理が文字通り出てくる……つまり、ルードが面白がって「すごい」と言っていたのは料理の量のことだったのだ。


「あっちは夕方でしたよ?」


「こっちは昼じゃないの!

 アナタこっちで朝あんなに食べて、夕食もこっちで食べるんでしょ!?

 お腹だって壊しちゃうわよ!」


 フローリアとルードの言い合いから意味を察したロックスは「あぁ……」と小さく声を漏らして身を引く。

 ロックスはハーフエルフたちが呆れるほど食べることは知っていた。ヒトの聖貴族には肥満に悩む成人がやたら多いのだが、その原因はハーフエルフたちの食事に付き合ってしまうからに他ならない。自分はとっくに成長が止まっているのに、自分が成長期だった頃と同じ調子で食べるハーフエルフと付き合いで食事を共にする機会が多いため、どうしたところで過食気味にならざるを得ないのだ。そんな親たちを目の当たりにしてきた第二世代以降のヒトの聖貴族たちの間では「ハーフエルフ様と食事に付き合うと大変なことになる」というのが、共通認識となっていた。ロックスはそれを思い出し、思わずのだ。


「平気ですよ母上!

 僕は、見た目通りの育ちざかりなんですから。」


 屈託ないルードの笑顔にフローリアは頭痛でも覚えたかのように額に手を当て、「ハァ」とため息をついた。


 この子はホントに、誰に似たのかしら?!


 生憎とフローリアは父の若い頃のことも夫の若い頃のことも知らない。二人とも《レアル》という別世界から来たゲイマーで、こっちの世界には二人の子供の頃のことを知るような家族も親戚も一人もいなかったからだ。


 だからといって、私に似たわけじゃないはずよ。

 私、育ち盛りの頃だってこんなには食べなかったもの・・・

 絶対、父さまロリコンベイトあの人ルード・ミルフに似たのよ。


 たしかにルードは大戦争中に生まれたハーフエルフで年齢は百歳を超えているが見た目は今でもヒトの十代半ばくらいである。戦後に生まれたハーフエルフはまだ九十代だが、ルードは彼らより魔力が強いせいか肉体の成長は他のハーフエルフと比べても遅く、見た目の年齢は同じくらいだ。そしてルード自身が言った通りハーフエルフはそろいもそろって今成長期の真っ盛りであり、食べる量は半端ない。成長が遅いくせにそんなに食べて太らないのかと心配になるほどだが、ハーフエルフたちはどうやら食べた分は血肉のみならず魔力にもなるようでいくら食べても肥満になることもなく、魔力の増大につながっているようである。もっとも、これはこの世界で初めてのハーフエルフたちの成長を見守っているフローリアたち感触であり、学術的に確認されている客観的事実と呼べるようなものではない。

 しかし、育ち盛りの子供の食欲が周囲を呆れさせるものであるという点に種族の違いはないことだけは確かなようだ。


「とにかく!

 もう帰って来たんだし、その話はおしまいよ!?

 こっちでの昼食で満足して頂戴。

 のんびり食べてる時間なんて無いんですからね!」


 フローリアは話を打ち切った。ルードとしてはもう少し話が続くと思っていたのだが、どうやらフローリアはルードが思っていたほど余裕が無いらしい。


母上マテルはそうだろうけど……」


 食事の後、フローリアは今回の対応について会議に出ねばならない。賢人会議サピエンテスを緊急で招集してあるのだ。面倒な爺さんたち(とはいっても全員ルードより遥かに年下)に話を通してまとめねばならないフローリアの予定を知っているルードは半ば同情するように、しかしどこか他人事のように言った。

 もっとも、彼としてはフローリアが自分の予想よりも早く会話を打ち切ったことを残念に思う気持ち故にそのような態度になったのだが、フローリアにはそのようには受け止められない。思わず反発するようにルードを𠮟りつける。


「アナタだって暇はないでしょ!?」


「え!僕!?」


 思わぬ叱責にルードは意表を突かれた。


「そうよ!

 旅の準備を整えなさい!

 まさか手ぶらで行くつもりじゃないでしょ!?」


「え!?

 いやだって、毎日帰って来るんでしょ?」


 『黄金宮』での話ではルードはこれから毎日、一度『黄金宮』へ転移し、そこから護衛に付けてもらった奴隷を伴ってへ向かい、そしてその日のうちに進めるだけ進んだらその場を魔石ルーンに場所を記録マークさせて帰還することになっていた。毎日帰るんだから必要な準備なんて転移魔法『ゲート』の座標を記録する魔石だけで十分なはずである。


「何を言っているの?!

 何があるか分からないんだから、ちゃんと旅の準備はしておきなさい!」


「旅の準備……」


 そんなこと言われても何をしたらいいか分からない。一人旅なんてしたことが無いからだ。

 公式行事に参加するフローリアに随行していくことはあったが、その時は必要なものは全て使用人たちが用意してくれた。行った先では賓客扱いだから自分で何かを用意することなど無かったし、途中の宿泊も上げ膳据え膳状態である。

 ルードは確かにムセイオンに収容している聖貴族たちの修学旅行の計画を立てたりしたことはあったが、それはほぼ単なる移動計画だった。途中の宿泊はその土地の領主に宿泊施設の手配を依頼するだけだし、修学旅行先は決まってダンジョンなのだからそこで必要になる物で準備しておかなければならないようなものはない。ダンジョンはフローリアやルードにとって別荘みたいなものだから必要なものはムセイオンで手配するより用意しやすいくらいなのだから、旅のために何かを用意する必要など今までまったくなかったのだ。


「そうよ。

 戦いに行くわけではないにしても、最低限携行すべきモノが色々あるでしょ!?

 だいたい、ムセイオンで使ってるお金はケントルムの外では使えないんですからね?!」


 それを言われてルードの顔色がようやく笑みが消えていく。


 え!?……あ、そうか!

 そういえば国によってお金が違うんだ!


 暢気のんきに構えていたルードは自分が何にも考えていなかったことにようやく気が付き慌て始める。しかしフローリアは先ほどまで余裕をぶっこいていた生意気な息子を、そうであるがゆえに突き放す。

 

「お母さんは手伝ってあげられませんからね!?

 お母さんはこれから大事な会議に出なきゃいけないんだから!

 明日から早速、アナタを送り出すために、先にこっちで話をまとめ上げなければならないのですからねっ!」

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