第804話 腹の探り合い?
統一歴九十九年五月十日、夕 ‐ アルトリウシア子爵邸/レーマ
「アルトリウシアへ!?」
グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルは思わず上体を伸びあがらせた。無意識に手をギュッと握りしめる。
やっぱりっ!?
フロンティーヌス・リガーリウス・レマヌスは
どういうつもりなのかしら?
何か言いがかりをつける口実でも探しに来た?
それとも、既にこちらが知らない何かを掴んでいて揺さぶりをかけに来たのかも?
フロンティーヌスは一瞬だけ警戒を強める大グナエウシアへ視線を走らせ、その様子をチラリと確認すると同じように上体をスッと伸びあがらせ、同時に口角を吊り上げた。
「えっ、ええ!そそ、そうなんです!
その、お聞き及びか存じませんが、ボ、僕は
満面の笑み……というにはどこかぎこちない笑顔を作りながらフロンティーヌスは言い、その途中で大グナエウシアと目が合うとすぐに視線を逸らした。
な、何なのかしらこの人?
やっぱり、何か企んでいる?
気味の悪いものを感じながらも大グナエウシアは必死で笑顔を取り
「それは……
ありきたりな会話、当たり前な質問……大グナエウシアにとってはそのハズだった。しかし、大グナエウシアのその何気ない一言にフロンティーヌスは食いつかんばかりにバッと身を乗り出して答える。
「もちろんです!!」
先ほどまで逸らされていた両目は丸く大きくむき出され、表情筋をこれでもかというくらいに盛り上げたフロンティーヌスのその表情は、冷静に見れば満面の笑顔と呼んでよかったかもしれない。しかし、先ほどまで所在無げな、どこか居心地の悪そうにしているように見えたフロンティーヌスが大声と共に身を乗り出すのは、対していた大グナエウシアにとってあまりにも突然すぎた。思わず「ヒッ!?」と零れそうになった悲鳴を辛うじて堪え、愛想笑いを保ち続けたのは彼女にとって快挙と言えたかもしれない。
「ほ、ほほ……そ、そうですか、それは……お勤めご苦労様です。」
一瞬で総毛立つゾワッとした感触……それをここまで強烈に感じたのはかつて無い経験だった。両膝に力を入れ、その上に置いた両手をギュッと握りしめながらも本能的に縮込もうとする上体を起こしたまま、胸を張り続ける。
人間、極端に緊張したり極限の恐怖を感じたり、あるいは過度な緊張状態に置かれると精神をストレスから解放するため、当人の意思や感情に関係なく勝手に笑い出してしまうことがある。大グナエウシアは一貫して愛想笑いを保っていたが、今この瞬間の彼女の笑顔は彼女の意思によって保たれたポーカーフェイスではなく、精神を防衛するために無意識によって作られたものだった。
「なんのっ!」
身を乗りだしていたフロンティーヌスはそう言うと身を引き、背もたれに背を預けて膝を組み、視線を顔ごと反らせた。
「セ、
ボ、僕も、
何やら自慢げに右手をヒラヒラさせながらフロンティーヌスは言った、細められたその両目は笑っているようだが、大グナエウシアではなくどこか別のところを油断なく探っているようにも見える。
「ご、御立派ですわ。
さすがは
帝国臣民として、感謝と
薄暗い室内ではフロンティーヌスの視線が何を探っているのか、フロンティーヌスが何を企んでいるのか計りかねる。それどころか、このフロンティーヌスの挙動の一つ一つが大グナエウシアの予想の範疇から逸脱しており、相手の意図を計るどころか会話をどう成立させるかすら予想できないものにしつつあった。
何なのこの人ぉ~~~っ???
初対面同士の言葉のキャッチボール……それはお約束の言葉にお約束の言葉を返すという、いくつかの決まりきったパターンの寸劇を再現する行為に等しい。いわば言葉のパズルゲームのようなものであり、言葉というステップを刻む社交ダンスのようなものである。ありきたりな社交辞令に対しありきたりな社交辞令を返していれば、それだけで普通に成立し普通に完成するものだ。だが決められたパターンから外れた言葉が決められたパターンから外れたタイミングで飛び出してくると、相手は対応できなくなって会話は成立しなくなる。
フロンティーヌスの会話は大グナエウシアにとって全く勝手の違うものだった。フロンティーヌスの口から出てくる言葉は、それだけなら会話のパターンからそれほど外れているわけではない。だが、その言葉が出てくるタイミングとか強さとかが、何か大グナエウシアの知るパターンと違うのだ。
会話を言葉でステップを刻む社交ダンスに例えるなら、ともに踊るペア同士は互いに相手と調子を合わせなければどこかでバランスを破綻させてダンスは失敗してしまう。今回の場合だとフロンティーヌスはペアである大グナエウシアをまともに見ておらず、相手に調子を合わせることなく自分の感覚だけで言葉を発し、大グナエウシアはそれに必死に調子を合わせようとしているような状態だと言える。そんな調子だから大グナエウシアとしてもフロンティーヌスが次にどういう言葉を発してどういう風に会話を持っていこうとしているのか把握しきれず、自分が返す言葉が本当に適切なものなのかすら自信が持てなくなり、普通の会話以上に異常に精神を消耗させてしまう。
社交界にデビューしてわずか半年の大グナエウシアは早くもイッパイイッパイになっていた。もうすべてを投げ出して逃げだしたいという気持ちがこれ以上ないくらいに頭をもたげていたが、それでも家族を、領国を守らねばならないという決意が大グナエウシアに最後の一線で踏みとどまらせている。
「あ、あ~、オホンッ!」
会話が嚙み合うことなく進んでいる様子を見かねたのか、フロンティーヌスの隣に座っていたアレクサンデル・マエシウスが咳ばらいを一つして割り込んできた。
「ちょっといいでしょうか
あった瞬間からあまり良い印象を持てない貧相な顔つきの男であったが、この勝手の分からぬフロンティーヌスにわずか数語のやり取りだけで異常なほどの疲労感を覚えていた大グナエウシアにとってはまさに救いの主に思える。
「なんでしょうか、マエシウス卿?」
大グナエウシアの浮かべた笑顔は本物だった。それをフロンティーヌスは顔だけそっぽを向かせたまま横目で盗み見るが、大グナエウシアはその視線に気づかない。
「そういうわけで、私たちはさっそく明日にはレーマを発ちます。」
「明日!?」
あまりにも急な話にさすがに大グナエウシアも素直に驚いた。
「それは何とも急な……」
「ええ、本来なら色々と準備を整えて行くとこなんですが、事態が事態ですので一刻を争うんです。」
「大変なことですわ。
わたくしにお力になれることがあればよろしいのですけど……」
アレクサンデルは
「ですが、わたくしでは紹介状を書いたところで道中のお役に立てるとは思えません。
もちろん、我がアルトリウシアでは
「いやぁ、お気遣いはありがたいんですがそれは大丈夫です。」
アレクサンデルはニコリと笑いながら小さく
「私たちは
帝国の
私たちが
来たわ……いよいよ本題ね……
大グナエウシアは緊張を新たにしつつも、表面上はあくまでも優美な笑みを保ちながら訪ねた。
「何でしょう?
女のわたくしでもお力になれることでしたら、惜しむつもりはございません。
遠慮なくおっしゃってください。」
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