第806話 フロンティーヌスの決意(1)
統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ アルトリウシア子爵邸/レーマ
アルトリウシア子爵邸の前は昼間、まるでフォルム・レマヌムのように人込みでごった返していたが、陽が落ちて空に星が瞬き始めるとさすがに静かになり始めた。アルビオンニアで降臨が起きたという噂を聞きつけ、いち早く降臨者の
続報が無かったのは
もちろん、情報発信源となった者が途中で口を閉ざしたところで一度広まった噂が簡単に消えさることなど無く、降臨が起きたという噂には勝手な尾ひれはひれがつけ加えられて今もレーマ市中に広がり続けている最中ではあった。ただ、広まった噂では降臨したのが《
それでもアルトリウシア子爵邸の前には未だに何人か人が残ってはいるが、通行人の邪魔にならないようにまばらに突っ立っているだけであり、昼間集まった群衆のように子爵邸の人に自らの存在をアピールしようとするようなものは一人もいない。むしろ逆に、静かに
「思ったよりおそくなっちまったな。」
「ああ、もうこんなに暗くなってしまったとは……
しかし、得たものは多かった。」
子爵邸の
アレクサンデルはフロンティーヌスを片眉を
「アンタは随分満足できたみたいだな。」
貧相な顔つきにふさわしい粗野な口ぶりにはどこか皮肉めいた響きがある。
「満足?
いや、まだまだ足らぬくらいですとも。
次に再び
「おいおい、俺たちゃ明日レーマを
フロンティーヌスのあまりに能天気な言葉にアレクサンデルは仰天した。
二人は元々、別々にアルトリウシアへ向かうはずだった。フロンティーヌスは元老院議員ながら
そのためには二人は別々に現地へ赴く方が良いと、彼らを送り出す元老院守旧派の重鎮たちは考えた。だから二人はわざわざ時間をずらして別々に呼び出され、それぞれ別々に現地への出張を命じられていたし、二人ともお互いが同じアルトリウシアへ派遣されることを知らされていなかった。しかし、同じ理由、同じ目的で、同じタイミングで同じ場所へ派遣されるのであるから、二人は遅かれ早かれ互いの存在に気づくことになる。そしてそのタイミングは誰もが予想していたよりも早かった。
二人とも現地へ行く前に現地の
レーマでアルビオンニアの話を聞ける
結果、二人は互いの境遇を知り、それでは一緒に行こうかということになった。フロンティーヌスは出発は決まっていたものの船の手配がつかずに困っていたし、逆にアレクサンデルは自前の船は持っていたが運航できる目途が立っていなかったのである。
アレクサンデルは多くの中道派元老院議員がそうであるように元々商家の出身だ。実家は海運業を営んでおり船を何隻か所有していたのだが、残念ながら経営は順調とは言い難かった。
船という奴は運航すれば大きな利益が得られる。一回の航海でその船の建造費がだいたい
しかもアレクサンデルは幸運とはあまり縁のない男だった。アレクサンデルが実家の稼業を継いでから所有する船舶の遭難が立て続けに起こり、家は傾きはじめたのだ。
何とかしなければ……幸い、親戚に不幸があって遺産相続によって思わぬ財を得たアレクサンデルは元老院議員になることを思いついた。元老院議員選挙に勝てば
いくら多少の財を得たからと言って元老院議員選挙に打って出て議員になりおおせるなど、かなり博打に近い行為だったと言える。他の商家出身の中道派議員らと違って、彼らは下地となるような支持基盤がほとんどなかったからだ。
そんな彼が議員になれたのは幸運以外の何物でもなかった。実際、彼に勝因と呼べるようなものは一切なく、むしろ競争相手となった候補者の自滅によって議員になれたようなものだったからだ。だが、彼の幸運はそこで尽きたようである。
結局、彼の稼業の経営状況は回復することは無かった。元老院議員になってからも船の遭難は続いたし、元老院議員になったことで開拓しようとした事業は皇帝派議員の既得権益と衝突したことで頓挫してしまった。そして経営的に危機に陥ったのみならず、衝突した議員を怒らせてしまったせいで守旧派議員に身売り同然で助けを求めるしかなくなってしまったのだから。
今、彼の事業はほぼ自転車操業に近い状態になっている。生き残った数隻の船をやりくりしてやっと存続し続けているような状態であり、上級貴族の元老院議員のくせに
幸い、今回の出張で使う船自体は自前のものを都合できたが、船乗りたちに払える報酬が片道分しか用意できないのだ。せめてついでに運ぶ荷物でもあれば、その分で船乗りたちの報酬を約束できるのだが、何せ急な話だったので積み荷を運びたいという荷主を見つけることが出来ないでいたのだ。
最悪、オリエネシアで船を手放さねばならんかもしれん……それでも死ぬよりはマシだろう。
そう思い詰めていたアレクサンデルが子爵邸で出くわしたのがフロンティーヌスだった。行き先が同じでありながらまだ船を見つけられていないというフロンティーヌスに便乗を持ち掛け、運航費用の肩代わりを認めさせることに成功したところだったのだ。
ところが、そのフロンティーヌスが明日にはもう船出するというのに「次に再び
「もちろん分かっていますとも。
明日にはマエシウス卿の
そして無事に務めを果たし、再び
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