第1113話 勝負に出たマルクス
統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐
その時のマルクスの顔は人によっては見物だったと言っていいだろう。思いもかけず陥ってしまった
「で、では、グルギアの検分は以上でよろしいのでしょうか?」
「資料の吟味には少し時間をいただかねばなりませんが、それで構わないのでしたら我々に依存はありません。」
すまし顔のルキウスの答えにマルクスは顔を歪めた。要するに“待った”をかけられてしまったのだ。ルキウスが言っているのはこの場でグルギアへの質問はこれ以上しない代わりに資料を検討するから時間を寄こせということだ。マルクスとしてはリュウイチの前でプブリウスが生贄を提供していた事実を暴露されずに済む代わり、グルギアの献上を延期せざるを得ないということになる。適当な落としどころが提示されたわけだが、それを飲むことはマルクスにとって失敗を意味していた。
マルクスとしてはグルギアをリュキスカの許へ、あわよくばリュウイチの許へ送り込んでしまいたい。それが確実に行えるのは今日か明日の朝までだ。今、この場で献上できないとなれば後日、おそらく明日以降へ延期となる。マルクスは明日は
「リュウイチ様!」
「「「「「!?」」」」」
アルビオンニア貴族たちの予想を裏切るようにマルクスは唐突にリュウイチに呼びかけた。
「いかがでございましょう?
この女奴隷グルギアをリュキスカ様に献上いたしたく存じ上げます。
御不在のリュキスカ様に代わって御受け取りいただけないでしょうか?」
「な!?」
「何を言われる
「まだ、我々はその奴隷の身元を認めたわけではありませんぞ!!」
驚いたアルビオンニア貴族たちが次々と声を挙げる。しかしマルクスはあくまでも強気だった。
「アルビオンニアの皆様にはもちろんお認めくださるものと確信しております!
グルギアの身元はプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵閣下が既にお認めなのですから、後になるか先になるかの違いしかないでしょう。」
アルトリウスは唖然とし、ルキウスは彼には珍しく渋面を露わにしていた。
マルクスのそれはルキウスの面子を傷つけるような暴挙と言って良かった。ルキウスは暴走するマルクスが突っ込まれたくないところを突っ込む姿勢を見せながらあえて突っ込まず、落としどころを提示して自ら
相手側の信用の悪用……それは“裏切り”でしかない。この暴挙にアルビオンニア貴族らは動揺を隠せなかったし、彼の部下であるバルビヌスやスプリウスでさえ顔を青くしていた。
マルクスはリュウイチに向き直って改めて
「リュウイチ様、この
ゆえにこそ、我が主サウマンディウス伯爵は人を献上するのです。」
リュウイチはマルクスの言葉に元々曇らせていた表情をさらに険しくした。
『それで、奴隷を?
人間を、“物”として贈ると?』
《レアル》の人権主義・人道主義・平等主義の見地に立てば人間こそが最高の価値を持つものと考えることができるだろう。であるならば、最高の価値をもつ宝物を贈ろうとすれば、人間を贈るのが一番だ……リュウイチはマルクスがそのように考えているかのように想像を巡らせた。
人間の価値を最大限に評価する……人権主義・人道主義といったものがどういう考え方なのかを端的に表そうとすればそのようになるのかもしれない。だとすれば、人間こそが最高の宝物と言えなくもない。が、だからといって人間を“最高の宝物”として献上品にしてしまえば、それは人権主義・人道主義を根底から否定することになる。結局それは人間を“物”として扱っていることに他ならず、人間を他のあらゆる“物”とは異なる次元に位置付ける人権主義・人道主義とは相いれないからだ。マルクスがそのように考えているとすれば、その誤解を解くためにもリュウイチはグルギアを受け取ることはできない。だがマルクスはリュウイチの怒気を孕んだ問いかけに臆することなく、頭を下げたまま首をふる。
「いいえ、今回はたまたま奴隷という形になったにすぎません。
我らサウマンディアはリュウイチ様を敬愛し、その成すところに全力で御協力申し上げます。
そしてその御協力とは我らサウマンディアの人間によって為されること。
私もグルギアもその一人。
サウマンディアを代表する一人として、リュウイチ様の奥方の身の回りの御世話をさせていただくべく、グルギアは参るのです。
ただ、今回は事情が事情ゆえに
そして奴隷を送り出すのであれば、レーマ帝国の法制度上、“献上”という形をとらざるを得なかったのであります。」
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