第1114話 リュウイチの判断

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 傍目はためにも明らかなくらい妨害を試みていたアルビオンニア貴族たちを隙をついて振り切るように一気にリュウイチに話を持っていったマルクス。貴族社会のことなど分からなくとも、それがどういうことなのかぐらいはリュウイチにも分かっていた。


 マルクスはかなり横紙破りなことをしている。


 サウマンディア属州を治める領主プブリウスの正式な使者である彼が何故そうまでして女奴隷を“献上”しようとしているかもリュウイチには理解していた。リュウイチの許に女を送り込み、一人でも多く子を産ませたいというこの世界ヴァーチャリアの貴族たちの考えについては、ルキウスやアルトリウスたちから散々聞かされている。おそらくリュウイチ自身が望めば、世界中の美女を集めたハーレムなんて簡単に出来てしまうだろう。ラノベや青少年向け漫画の主人公ならばたいした考えも無しにそうした方向へ流され、いいように種馬として利用され、また自身もそれをたのしみ、自らおぼれていったかもしれない。実際、リュウイチもそれが只の接待だと言われたらそうした申し出を受け入れていただろう。だが、リュウイチはそうした話を受け入れる気は無かった。「子を」という貴族たちの目的を最初に聞かされてしまっていたからである。


 田所龍一リュウイチは若くして両親を亡くした。まだ高校生だった。高校中退も考えたが、親戚の支援を受け、その世話になりながらなんとか高校だけは卒業し、大学進学は諦めて就職した経緯がある。そしてリュウイチの身体アバター、《暗黒騎士だあくないと💛》の本来の持ち主、裕二ゆうじも高校生だったにも関わらず震災で両親を亡くし、リュウイチが引き取って大学に進学させた親戚の子だ。

 親を突然亡くした子供の気持ちがどういうものか、リュウイチはよく知っている。そしてリュウイチは今は帰る方法が分からないものの、分かり次第 《レアル》に帰る身だ。つまり、もしもこの世界で子供を作りでもすれば、その子は確実に父親のいない孤児になってしまうのである。


 父親として責任を全うできないことが分かっているのに、子供を作るのか?


 その問いに対する答えはリュウイチの中では決まっていた。ルキウスを始めこの世界の貴族たちは、女の好みがあるなら言ってくれればいくらでも用意する、もしも子を遺してくれれば全力で支えると言ってくれている。

 おそらくその言葉に嘘は無いだろう。彼らにとって降臨者の血を引く子は、この世界の至宝そのものなのだ。だからこそ、ルキウスもリュウイチに「子を」と率直に訴えかけたのだろう。それを信じないわけではないがそれでも、他人が全力で育てて見せるからと約束してくれたとしても、その子にとっての父親はリュウイチ自分一人であるに違いない。そしてその父親が自分を置いて《レアル》という別世界へ帰ってしまったら、その子は自分が捨てられたと考えてしまうだろう。両親が交通事故で亡くなった、当人の意思とは無関係に両親が居なくなってしまった田所龍一リュウイチですら、その時の喪失感は堪え難いものがあったのだ。父親が自らの意思で自分を置いて居なくなったと知った子供の気持ちはいかばかりだろうか?


 リュウイチはだから、この世界で子供を作るつもりは無かった。リュキスカ以外に女はもう要らないと言った時はまだそれほど真剣に考えていたわけではなく、ただ面倒を起こしてしまったことに対する反省の色を見せる意味から、そしてこれ以上の面倒を持ち込まれないようにしたいという気持ちから言ったに過ぎなかった。が、ルクレティアとの事実上の婚約を、ルキウスを始め貴族たちから「できれば子を……」と言われ、その意味に度々考えを巡らせている間にリュウイチの「子は作らないしハーレムも作らない」という考えは決心と呼んで良い程度にまで固まってきている。なにせリュウイチには暇な時間がタップリあったのだ。しかも陣営本部プラエトーリウムという狭い空間に幽閉されているものだから、この世界に対する愛着のようなものは一向に育っていない。


 そんなリュウイチにとって、マルクスの突然の女奴隷を献上したいという申し出は警戒して余りあるものだった。もちろん断るつもりでいた。が、それがリュウイチではなくリュキスカのためにと言われて警戒を解きつつあったのだが、しかし今目の前で行われた攻防、さらに突然勝負に出たマルクスの強引さはリュウイチの警戒心を再燃させるには十分なものだった。


 これは……絶対、受けちゃいけない話だ……しかし……


 グルギアはリュキスカに献上される奴隷である。リュウイチにではない。なので当然、そこにはプブリウスからリュキスカに献上されるモノをリュウイチが勝手に断ってしまってよいのかという問題が浮かんでくる。

 またマルクスは正式な外交使節……その申し出に下手な断り方をすると、アルビオンニアとサウマンディアの問題に影響を与えるかもしれないし、あるいはマルクスという貴族の立場にも影響を及ぼすだろう。アルビオンニアとサウマンディアがどういう関係にあるかはリュウイチもたびたび聞かされているので知っている。

 アルビオンニアはサウマンディアから莫大な支援を受けている。それが無ければアルビオンニア属州もアルトリウシア子爵領も存立を維持できないほどだ。もしもリュウイチがストレージに格納している無尽蔵の物資と資金を放出できるなら、アルビオンニアはサウマンディアと手を切ってもやっていけるかもしれない。が、それは言って見れば金融業者が競合他社から顧客を奪いとる「貸しはがし」とか言われる行為そのものだ。サウマンディアとアルビオンニアの関係は決定的に破壊されてしまうだろう。そしてリュウイチは《レアル》に帰る身……リュウイチが《レアル》に帰ってしまった後にアルビオンニアが、アルトリウシアがどうなるかを考えれば、どれだけ降臨者リュウイチという存在が強大かつ貴重でサウマンディアはおろかレーマ帝国でさえ敵しえなかったとしても、一時の感情に身を任せてアルビオンニアを取り巻く環境を破壊して良いわけがない。


 ということは、この場は受け取っちゃダメだけど断ってもダメってパターンか?


 リュウイチはマルクスをジッと見下ろしながら眉をひそめた。


 嫌だなぁ……


 さすがに《レアル》では只の独身トラックドライバーでしかなかったリュウイチにそんな器用な立ち回りなんかできるわけがない。自慢じゃないが近所づきあいすら面倒で自治会に入らなくていい賃貸物件にあえて住み続けていたリュウイチは政治的な立ち回りをするスキルなど全く身に着けていなかった。


 こういうのは誰かに下駄を預けてしまうのが一番なんだけど……


 だがこの場にはそんな相手は居なかった。その役目をしていたルキウスたちはマルクスの強引な立ち回りでかわされてしまっている。ここでリュウイチが助けを求めれば再び立ちはだかってくれるだろうが、そうなればサウマンディアとアルビオンニアの関係は決定的にこじれるだろう。となれば、ここでエルネスティーネも含めアルビオンニア貴族に再登場を願うわけにもいかないだろう。彼らも多分、それが分かっているから勝負に出たマルクスを強引に引き留めようとせず、あえてリュウイチの反応を待っているのだ。

 そうなると、リュウイチは判断を預けられる相手を一人しか思いつかなかった。


 できればこういうのに巻き込みたくなかったんだけどなぁ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る