第1112話 奴隷検分(4)

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 唐突に始まったマルクスとアルビオンニア貴族の言い合い。理由は分からないがマルクスがグルギアの一家が離散することになった事件に関する話を避けたがっているのだけは確かなようだ。


 グルギアわたしかばっている!?

 まさか!


 世にラリキア事件として知られる一件に関して、グルギアがあまり話をしたくないと思っているのは事実だ。自分の父が同じヘルミニウス氏族の親戚の陰謀によって両親と死別し、兄弟たちと生き別れることになった事件など思い出して気持ちの良いものではない。むしろ、忘れたいし誰にも触れられたくないくらいだ。

 しかし今まで事件の関係者と知られるたびにあらゆる人から質問攻めにあわされてきたし、奴隷に堕とされて以来色々と酷い目も見て来た。今さら事件のことを質問されるくらい、誰かに身を挺して守ってもらわねばならないほどの忌避感は既にグルギア本人にはない。

 それよりも彼女が兄弟妹と再会するためにはここで質問に答え、確かにヘルミニウス・ラリキウスの娘であることを確認してもらい、新しい主人に受け取ってもらわねばならないのだ。マルクスが気を利かせてくれているとすればありがたいが、同時に迷惑でもある。


「あの……」


「何だ!?」


 ルキウスに資料を出せと要求され、答えに詰まっていたマルクスは脇から声をかけられて苛立ち紛れに応える。グルギアはその剣幕にビクッとしたものの、それでも自身の目的のために勇気を振り絞った。


「わ、私でしたら構いません。

 事件に関することでも、御下問とあらばお答え致しますが……」


 マルクスは椅子に座ったまま自分を見上げるグルギアを見下ろしたまま、歯を食いしばって喉の奥で低く呻いた。


 馬鹿、お前のために話を避けてるんじゃない!


 もちろん、それを言葉にするほどマルクスは愚かではない。先ほどまで体調を崩していたことを考えれば、今積極的に質問に答えようとしているグルギアの姿勢は受け止めてやるべきであろう。それは分っている。だが、それを認めてやるにはグルギアの回復は少しばかり遅すぎた。


 今、グルギアに質問に答えさせるべきか?


 グルギアが貴族相手に受け答えすることができることを証明し、なおかつ彼女の出自をも認めさせることができれば、アルビオンニア貴族もこれ以上ケチをつけられないだろう。アルビオンニア貴族らが受け入れざるを得ないと納得すれば、リュキスカも断りづらくなるだろうし、何ならリュウイチにリュキスカへのプレゼントというような形でグルギアを受け取らせることだってできるかもしれない。

 だが、今グルギアに質疑応答させれば、アルトリウスを始めアルビオンニア貴族たちは儀式について質問し、そこからプブリウスがどう関与したのかも明らかにしていくだろう。


 クソ、予想すらしていないところにこんな落とし穴があったとは……


 魔導具マジック・アイテムを使った魔術儀式で、生贄を使って魔力の不足を補うのは当たり前なことだ。そして生贄に死刑囚を利用するのも珍しいことではない。どうせ殺さねばならない死刑囚なんだから、その死を少しでも世のため人のために役立てようとして何が悪い!? そんなことを批判する貴族などレーマ帝国には存在しない。魔術儀式に死刑囚を供給し、魔術を可能たらしめ、世の発展に貢献する……それは領主貴族パトリキだけが出来る尊い行為の一つなのだ。だからマルクスも今の今まで疑問にも思わなかった。

 プブリウスは過去に行われた魔術儀式のために死刑囚を提供したことは確かにある。それも一度や二度ではない。ラリキアの雨乞いにも死刑囚を提供した。だが、《レアル》から伝え聞く人道主義・人権主義に照らし合わせれば、生贄など野蛮な行為でしかない。プブリウスがそれを積極的に行ったと、具体的な事例まであげてリュウイチに知らされるのは困るのだ。


 が、そんなこと今この場でグルギアに言って聞かせるわけにはいかない。目の前には当のリュウイチが居るのだ。グルギアがマルクスが自分を庇っているのだと誤解してくれているのならありがたい。むしろこれを利用し、リュウイチの印象を少しでも良いものにしつつ、アルビオンニア貴族の追及をかわさねば……


「フンッ」


 マルクスはグルギアの視線を振り払うように鼻を鳴らしてルキウスの方へ向き直った。


「いいでしょう。

 資料はお見せいたします。

 リュウイチ様が御所望になられた場合に備えて、用意してありましたから。

 なんなら、書き写させてお渡しいたしましょう。

 グルギアへの御質問もしてくださってかまいません。

 ですが、これ以上事件についての追及、彼女をいたずらに傷つけるような御質問は御遠慮いただきたい。」


 それは結局のところ、これ以上質問するなと言っているようなものだった。奴隷なんだから奴隷に堕とされた時のことや奴隷に堕とされてからのことを訪ねられれば、誰であれ傷つかないではいられないだろう。奴隷になる前のことだって、不用意に尋ねれば幸福だった昔を思い出し、今の境遇と比べて落涙を誘うことになってもおかしくはない。そもそも、彼女の痩せこけた身体を見れば、ろくでもない主人の奴隷だったであろうことは疑いようがない。そんな奴隷に以前はどうだったか尋ねれば、悲惨な答えしか返ってくるわけが無いではないか……。

 アルトリウスはそっと養父ルキウスに耳打ちした。


「これ以上の質問は、却ってせぬ方が良いかと存じます。」


「うむ……」


 これが通常の貴族であれば、グルギアがこれまでの奴隷生活でどんな生活を送って来たか、その間に何があったかを訪ねれば、まともな買い手はつかなくなるだろう。

 通常、女奴隷は主人が自分の性的玩具にするか、さもなければ他の奴隷と結婚させて子供を産ませる。結婚して子供を得た奴隷は逃亡しにくくなるし、奴隷が生んだ子供は生まれながらの奴隷なのだから、本来なら高価な奴隷が無料タダで手に入ることになるからだ。しかしグルギアはルキウスの質問に対し、結婚も出産も経験が無いと答えている。

 となればグルギアは主人の性的玩具にされていた可能性が高い。主人の性的玩具にされた女奴隷も出産する可能性は無くは無いが、リジアスという強力な避妊薬が普及しているこの世界ヴァーチャリアでは、愛人や性的玩具としての女奴隷に避妊薬を飲ませ、妊娠させることなくことを選ぶ者は珍しくなかったからだ。そして、そう言う者は大概が倒錯した趣味嗜好を持っている。

 グルギアが奴隷に堕とされるきっかけとなった事件は六年前に起きた。そして今は二十一歳……つまりグルギアは十五歳か十六歳の頃に奴隷になり、今まで女性として最も性的に魅力的な年ごろを奴隷として過ごしてきたことになる。当然、無事でいられるわけがない。先の理由で主人が性的に倒錯していたとすればなおさらだろう。異常者の慰み者になっていた過去を暴露して、その奴隷を買おうとする者は限られる。それは同じような性的倒錯者だけだろう。


 ルキウスやアルトリウスの見たところ、リュウイチはそうした倒錯した趣味は持っていないようだ。たしかにリュキスカのような胸こそ大きいがやけに痩せた娼婦なんかを買ってくるようなの持ち主ではあるが、リュキスカの様子やリュキスカが時折話す内容からすると、変な趣味嗜好は持ち合わせていないはずである。エルネスティーネやその子供たちと接する様子を見ていても、おかしな様子は見られない。おそらく、善良な性根の持ち主なのだ。

 そういうな人物に異常者の慰み者になっていた女の過去を知って興味を持つ可能性は低い。むしろ忌避感を抱くだろう。が、リュウイチの場合はそう決めつけることも出来ない。何せ、自分に刃を向けたせいで処刑されそうになった兵士八人の命を救うため、その全員を奴隷として買い取った実績があるからだ。グルギアの悲惨な過去を知れば、興味を持たないどころか逆に同情によって受け入れようとしてしまいかねない。

 であるならば、これ以上グルギアに根掘り葉掘り聞くのは逆効果になる可能性が高かった。


「どうしました、御質問がおありではないのですか!?」


 マルクスはアルトリウスがルキウスに何か耳打ちしたのは見ていたが、何を言ったかまではさすがに聞き取れていなかった。せっかく質問を再開したのに誰も質問してこないのにマルクスが苛立ちはじめると、ルキウスはにこやかに答えた。


「いや、マルクスウァレリウス・カストゥス殿。

 資料をいただけるというのならそちらで事足りましょう。

 これ以上の質問はございません。

 貴殿の御協力に感謝するばかりです。」

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