第1111話 奴隷検分(3)

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 生贄いけにえ……術者の保有する魔力では行使できない魔法を行使する際、不足する魔力を補うために何かの生命を犠牲に捧げることで補う方法だ。具体的な方法は秘密にされており、この場にいる貴族たちも知らない。当然だろう。そんな方法が知れ渡れば、誰も彼もが生贄を捧げて魔法を行使しようとする。身分社会で命の価値がさほど重くない世界では、魔法の行使は生贄を捧げるには十分な理由足り得る。


 だが、人道主義や人権主義、平等主義が根付いた《レアル》では、《レアル》から来た降臨者にとってはどうだろうか?


 アルトリウスはチラリとリュウイチを見た。魔法を行使することに何の負担も感じないリュウイチのことだ。たかが魔法ごときのために生贄を捧げるという野蛮な行為にリュウイチが不快を感じれば、このグルギアという奴隷を退ける理由になるかもしれないと期待したからだった。


「では、その用意された生贄とは?」


 当初は養父ルキウスの始めた検分に突然割り込んできたアルトリウスを奇異を感じていたアルビオンニア貴族たちも、アルトリウスの質問の意図に気づいた者から順に顔に期待感をにじませ、視線をリュウイチとアルトリウス、そしてグルギアの間を盛んに行き来させ始める。

 しかし残念ながらリュウイチは無反応なままだった。もう少し追及すべきなのだろう。確かに、一口に生贄と言ってもそれが小動物かも人間かもわからなければ感想の抱きようも無いのかもしれない。


「はい、羊が三百頭、牛が五十頭、そして死刑囚が十二人だったと記憶しております。」


「死刑囚……人間も、生贄に捧げようとしたのか?」


「はい。しかとは覚えていませんが、たしかヒトが三人、ホブゴブリンが四人、オークが三人、獣人が二人だったかと思います。

 属州領主様ドミヌス・プロウィンキアエ地方領主様ドミヌス・テリットリイたちに御協力をいただき、特別に譲っていただきました。」


 ここで遅ればせながらアルトリウスの意図に、そして質問の不味さに気づいたマルクスが慌てて口を挟んだ。


「い、生贄に用意されたのは死刑囚でした!

 いずれも殺人などの重罪を働き、法の裁きを受けた凶悪犯どもです!!

 たとえ生贄にならずとも、刑死はまぬがれなかった者たちです。」


 儀式に協力して死刑囚を融通した属州領主……それは他でもないプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵その人だったのだ。ここで人間を生贄に捧げたことがとがめられるようなことになっては困る。リュウイチのサウマンディアに対する印象が悪くなるかもしれないし、それが理由でグルギアの献上を拒絶されてしまうかもしれないではないか。幸い、まだグルギアの話に出て来た生贄に捧げるための死刑囚を融通した属州領主がプブリウスであることには誰も言及していない。


 誰かが事件にプブリウス伯爵閣下が関わっていたことを口にしてしまう前に、この話題を終わらせなければ……


「そもそも、この質問は必要なのですか!?

 雨乞いの儀式や魔導具マジック・アイテム盗難事件はグルギアとは関係ないではありませんか!

 グルギアは女で、しかも当時はまだ子供だったのですぞ!?」


 レーマ帝国は男尊女卑だんそんじょひ社会だ。女性領主や女性貴族は存在しているが、女性の元老院議員セナートルは未だ存在したことが無い。女性の官僚も同じく存在しない。法的に責任能力が認められていないためだ。財産権は認められているため「領主」「貴族」といった財産権に基づく社会的地位は認められるが、では官僚や政治家になれるかというとなれない。まず選挙に立候補できないし、仮に立候補できたとしても誰も投票しないだろう。そもそも、選挙権だって無いのだ。男尊女卑社会で女性に投票する男性など、レーマ帝国ではほぼ存在しえない。エルネスティーネにしたところで今の属州領主という地位は、カールが成人して家督を継げるようになるまでの暫定的なものでしかないのだ。

 そのような社会なのだから当然、父親がやろうとした儀式について娘が責任を求められるというようなことはあってはならない。娘が父親のすることに影響を及ぼしたという明確な証拠でもあるなら別だが、そんなものは何もない。グルギウスが娘に言われて生贄を用意したなどということがあるわけはないのだ。だからこれ以上グルギアに儀式について、事件について質問するな……というのがマルクスの主張だった。その割には魔導具を盗まれた責任が父グルギウス本人のみならず、その家族まで連座させられてグルギアは奴隷になってしまったわけだが、マルクスはそのことには疑問を抱かないらしい。


「勘違いなされては困る。」


 アルトリウスは先ほどまでのマルクスの態度をそのままやり返すかのようにお気味に眉と口角を持ち上げた。


「私どもは儀式の責任を追及しているわけではありませんよ。

 私どもはそこのグルギアを名乗る女奴隷が、本当にヘルミニウス・ラリキウス家の娘なのかどうかを確認しているのです。

 偽物ならば、当人しか知りえないことを質問すれば答えにきゅうするでしょう?」


「この奴隷がヘルミニウス・ラリキウス家の娘であることは伯爵閣下が既に御確認済みです。

 それとも、子爵公子閣下は伯爵閣下を御疑いになられるのですか!?」


 権威をもって相手を黙らせる……それは権威ある後ろ盾を持つ者にとって最も手軽で確実な方法だ。だが最悪の悪手でもある。まず第一に権威は事の真偽を証明する手段にはなりえない。プブリウスが権威足り得るのはプブリウスが伯爵という爵位を持ち、サウマンディア属州の領主であるからだ。そこにグルギアの正体がどうかとは一切関係がない。にもかかわらず、全く無関係な事柄を結び付けようとすれば、権威は逆に正当性を失っていき、いずれ権威は権威足りえなくなる。

 田舎にどこかの大学の偉い先生が越してきたとすれば、地元民は最初は尊敬もしてくれるだろうし畏怖もするだろう。だがその先生が権威を笠に自分の専門外のことにまで好き勝手口出ししだしたらどうだろうか? 工学博士なのにこの作物の肥料にはコレが良いんだ!!などとトンチンカンなことを言い出したら、地元の農家は眉をひそめるだろう。そして、あの人は大学では偉い先生かもしれないが調子に乗って良く知らないことにまで口出しして来る困った人だ……などと陰口を叩き、煙たがるようになるだろう。そこには既に当初の尊敬も畏怖もありはしない。

 権威は確かに他人を黙らせ、自分の都合を押し通すことを可能にするような力がある。というより、そういう権能をこそ権威と呼ぶのだ。が、それは使い方を間違うとあっという間に目減りして効力を失ってしまう。権威とは、周囲が間違っていて小さな正しさが負けそうなとき、それを援けるためにこそ用いるものなのだ。間違いを押し通すために用いて良いものではない。そういう間違った使い方は権威そのものを台無しにしてしまう。

 マルクスのは明らかに間違った権威の使い方だった。家臣が外でそのような態度をとっていると知ったら、まともな主君なら忸怩じくじたる思いを抱くだろう。実際、マルクスを目の当たりにしたエルネスティーネ、ルキウス、アルトリウスもまた、コイツが自分の家臣でなくて良かったと、あるいは自分の家臣がこうではありませんようにと、そういう想いを抱いた。


「伯爵閣下を疑うわけではありませんとも。

 伯爵閣下はきっと伯爵閣下のやり方でこの女奴隷がヘルミニウス・ラリキウスの娘であると御確認なされたのでしょう。

 ですが我々は伯爵閣下がどうやって御確認なさったのか存じません。

 ゆえに、我々は我々のやり方で確認せねばならぬのです。」


「それは伯爵閣下が間違っていると言っているようなものではありませんか!?」


「まあ、落ち着かれよマルクスウァレリウス・カストゥス殿。」


 ヒートアップするマルクスとマルクスをいさめるどころか逆にあおってしまっているアルトリウスを見かねて、ルキウスが横から割って入る。


アルトリウス愚息が無礼を働いたようだ。

 アルトリウス愚息に代わって謝罪しよう。

 誤解しないでいただきたいが、我々に伯爵閣下を侮辱する意図は全くない。」


 興奮冷めやらぬマルクスはまだ苛立いらだちを持てあましていたが、いくらプブリウスの権威を笠に着ようとも、たかが軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムごときが子爵本人に謝罪されたとあれば受けないわけにはいかない。


「ならば、もうこのような検分は御不用ではありませんかな!?」


「いやいや、アルトリウスコレが言った通り我々は伯爵閣下がどのようにこの女奴隷がヘルミニウス・ラリキウス家の娘であると御確認なされたのか存じ上げぬ。

 もしも、伯爵閣下が確認するに至った証拠のようなものがおありなら、それを御呈示いただければ我々も納得できましょう。

 無くば、我々は我々のやり方で確認をせねばなりません。」

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