第1110話 奴隷検分(2)

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 グルギアは一瞬、わずかに表情を曇らせながらも話し始めた。思い出したくない話ではあるが、奴隷となってからはかつて世間を沸かせた醜聞スキャンダルの関係者であると知られるたびに、興味本位でねほりはほり質問を繰り返された話だ。話すことは自体にはもう慣れたし、今ここで話を拒むことも出来ない。


「今より五年……いえ、六年前の統一歴九十三年、父グルギウスは雨乞いの儀式を執り行うことになりました。元々雨が少なく、井戸を掘っても水の出にくい地域でしたが、広がりつつあった砂漠化が地元にも及び始めていたからです。」


「地元とは、地名はどこだったかな?」


「ラリキアです。

 サウマンディア属州の中部よりやや北、クンルナ山脈にほど近い高原地域です。」


 レーマ貴族は《レアル》ローマ帝国から引き継いだ命名方式を採用しており、貴族は三つ以上の名を名乗ることが多い。一つは誰でも持っている個人名プラエノーメン、出身氏族ゲンスで共有する氏族名ノーメン、そして氏族の中に属する家ごとの名前家族名コグノーメンである。

 家族や氏族の繋がりなど持たない、漂泊民ペレグリヌスのような貧民パウペルはリュキスカのように個人名しか持たない。しかし平民プレブス以上ともなると親戚同士の繋がりや協力関係なども出てくるため氏族名を持つようになる。その氏族が大きくなり、所属する家族の数が多くなりすぎるとそれぞれの家を区別する必要が出てくることから家族名を持つようになる。名前を三つ以上名乗っているということは、それだけたくさんの家族を抱えた大きな氏族であることから、貴族ならほぼ三つ以上の名前があるのが当然だ。

 グルギアのヘルミニウス氏族はレーマ帝国有数の神官フラメンの家系であり、帝国が版図を広げるたびに、新しい属州や町が出来るたびに、その地に建立こんりゅうされた神殿に入る神官として氏族の誰かが招かれ、その地のヘルミニウス氏族の分家として独立していった。つまり新しい家族が出来て行ったわけである。おかげでヘルミニウス氏族の家族の数は非常に多く、氏族に属する家族の家族名すべてを覚えている者など誰も居ないほどだ。そういう氏族で新しい分家を作るとなると、基本的にはその分家の土地の名前を名乗ることになる。ラリキウス家はラリキアという地域に誕生した分家であったことから、ラリキアのヘルミニウス氏族という意味でヘルミニウス・ラリキウスとなったわけである。

 なお余談だが、地名をそのまま家族名にする風習は安直だがかなり一般的であり、帝都レーマにいる地方氏族出身の貴族の家族名は大抵が「レマヌス」だったりする。おそらく、帝都レーマにいる貴族ノビリタスの二割以上がレマヌスという家族名を名乗っているのではないだろうか。


 ラリキアは標高の高い草原地帯だった。サウマンディア属州のほとんどの地域がそうだが、一般にクンルナ山脈の東側は雨が少なく乾燥した気候である。ラリキア地方を含む高原地帯は一面に草原の広がっており、レーマ帝国が入植を開始した当初は豊かな穀倉地帯になることが期待されていた。しかし驚くほど降雨量が少なく、水量の豊かな河川もなく、井戸を掘っても出てくる水の量が限られていたため麦作は困難であると早々に諦められ、代わりに羊が放牧されるようになった。しかし、放牧された羊の量が多すぎたため、羊の食べる量が草原の回復速度を上回ってしまい、砂漠化が始まってしまったのである。

 事態に気づいた貴族たちは放牧の規模縮小を図ったのだが時は既に遅かった。羊が居なくなっても一度砂漠化し始めたところに草が再生することはなく、ブドウの樹やオリーブの樹、コルク樫の樹などを植えて砂漠化の拡大を防ごうという試みもかんばしい成果は得られていなかった。その砂漠化がグルギアの家族らが赴任していたラリキア地方にも広がり、雨乞いによって水量を確保し、砂漠化を食い止めようとしたのである。


「雨乞いの儀式とは、どのようなものだったのかな?」


「はい。ムセイオンから雨を降らせることが出来ると言われる魔導具マジック・アイテムをお借りし、その力によって雨を降らせるものでした。」


「お借りした魔導具マジック・アイテムのとは?」


「はい、『バアル神の兜』ヘルメット・オブ・バアルです。

 被ると水属性と風属性の魔法を使えるようになり、風属性の魔法によるダメージを無効化し、水属性魔法のダメージを大きく減じる効果があるそうです。」


「見たことがあるのか?」


「はい、父に見せていただきました。

 これくらいの大きさで、眉庇まびさしはワシのくちばしのように立派に尖っていて、左右のこのあたりから大きな角が二本生えていて、後ろは背中までしろこが垂れていました。

 全体が綺麗な赤銅色をしており、美しい金の模様が描かれていて、この世のものとは思えぬほど輝いていました。」


 グルギアは茶碗ポクルムを膝の上に置き、両手を使って空中に『バアル神の兜』の形を描いて見せる。残念ながらこの場にいる貴族たちは本物を見たことが無いのでグルギアの言っていることが本当かどうかは分からない。が、『バアル神の兜』を説明するグルギアの目はどこか恍惚こうこつとしていた。まあ、実際にこの世ヴァーチャリアの物ではなく、降臨者が持ち込んだ《レアル》の聖遺物アイテムなのだから「この世の物とは思えぬほど」美しかったというのはその通りなのだろう。


「待て」


 グルギアが説明をし終えたところでルキウスの隣に控えていたアルトリウスが割り込んだ。


魔導具マジック・アイテムを使っても魔法を行使するためには相応の魔力が必要になる筈だ。

 聞けばヘルミニウス氏族は精霊エレメンタルを感じる能力に優れた預言者プロフェータの一族だが、魔力が無いために魔法は行使できないと聞く。

 お前の父は魔法を行使できたのか?」


 魔導具の中には魔力が無くても無制限に発揮される特殊効果を持つ物もあるが、魔法を行使するためには魔力が無ければならない。装備者に最低限の魔力がありさえすれば、装備者に魔法の素養がなくても魔導具が強制的に装備者から魔力を奪って魔法を発動させるが、魔法発動に必要な魔力が無ければそもそも機能しないのだ。魔法発動に必要な魔力はあったとしても、魔力に余裕が無ければ魔力を吸われ過ぎた装備者が魔力枯渇に陥って死に至ることもある。装備者の魔力残量を残すような安全機能は、残念ながらどの魔導具にも無い。

 ヘルミニウス氏族は降臨者の血を引くとされてはいるが、精霊を感知する能力だけはあるものの魔法を行使する能力は失っており、常人と同じ程度の魔力しかない。そのヘルミニウス氏族の神官が魔導具を用いて魔法を行使しようとしても、魔力不足で魔法が発動しないか、魔力を吸われ過ぎて死亡するかのどちらかだ。


 ヘルミニウス氏族の神官が己の命を賭して雨を降らせようとした?

 そんなわけはあるまい……


 アルトリウスの知る限り、ヘルミニウス氏族の神官はそこまで献身的ではない。むしろ逆でことで有名だ。では真相はどうだったのか? アルトリウスはもちろん知っている。ルキウスにしろアルトリウスにしろ、答を知ったうえで質問をしていた。ただの“かたり”であれば、答えられないであろう質問を。

 が、グルギアは苦も無く答えた。


「もちろん、父は魔法を行使できませんでした。

 おっしゃられた通り、魔法を行使できるほどの魔力はヘルミニウス氏族の神官フラメンにはございません。」


「では、どうするつもりだったのだ?

 魔法で雨を降らせるつもりだったのだろう?」


「はい、生贄いけにえによって魔力をまかなう予定でした。

 そのための生贄も用意してございました。」

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