第1109話 奴隷検分(1)
統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐
鎮静効果があると言われる香茶の豊かな香り、そして上等な
「落ち着いたか?」
薄暗い部屋の中でも輝いて見えるほど立派な軍装に身を包んだネロに目を奪われていたグルギアは、唐突に隣からマルクスに話しかけられてハッと我に返る。
「はいっ!?」
「いいから座っていろ。」
慌てて立ち上がろうとするグルギアをマルクスは肩に手を置いて椅子に押し戻した。浮かせていたグルギアの尻が再び座面に押し付けられた瞬間、
「また具合が悪くなられてはかなわん。」
「すみません、
まったく面倒を起こしやがって……そう悪態でも突きたそうにマルクスは言うと、ただ謝ることしかできないグルギアにため息交じりに尋ねる。
「落ち着いたなら、話は出来るな?
こちらの
おっと、服は脱がんでいい。
貴族様方はお前の裸に御興味は持たれておられない」
一瞬、身を硬くしたグルギアだったが、顔はマルクスの方へ向けたまま、視線だけで再び上座のリュウイチと、その脇に立つネロを見あげながら頷いた。
「はい、
御迷惑をおかけしました。
御下問あれば、何でも御答えいたします」
「よし」
マルクスはそう言うとグルギアから一歩離れ、周囲を取り囲むアルビオンニア貴族らに向かって高らかに
「お待たせいたしました皆様。
先ほどはお見苦しいところをお見せし申し訳ございませんでした。
この通り、グルギアは回復しました。
リュウイチ様には
御質問がございましたら、
お答えして御覧に入れましょう」
グルギアの急な不調によってペースを乱され、結果的に主導権を失ったマルクスは内心で主導権を奪い返し、自分のペースで話を進めなければと内心の焦りを押し殺していた。マルクスの先ほどまでの失態を忘れたかのような今の態度は、そうした不安の反動のようなものだったが、肖像画の件で浮足立っていたアルビオンニア貴族たちはすっかりと落ち着きを取り戻しており、マルクスの気勢にもどこか冷ややかな反応を見せている。
「ウホンッ」
予想だにしなかった沈黙の時間にマルクスが空元気の余裕を失いかけたその瞬間、ルキウスが咳ばらいをする。
「では、検分を求めた私から質問させていただくのが順当ですかな?」
マルクスにとってルキウスの申し出は助け船にも等しかった。もちろん歓迎である。
「かまいませんとも子爵閣下!
どうぞ何なりとお尋ねください。」
肝心のグルギアはてっきり正面に座っているリュウイチこそが新しい主人であり、質問してくるとすればそちらからだろうと思っていたので、横に控えたホブゴブリン貴族とマルクスの会話を意外に思い、無言のまま目を丸くする。
「では、改めて名を聞こうか。
生い立ちも含め、これまでの経歴一切を、本人の口から。」
ルキウスの質問にグルギアは答えず、自分の脇に立つマルクスを見上げた。マルクスはグルギアを見下ろしながら静かに「座ったままでいい。答えなさい」と低い声で命じる。
グルギアは両手で抱え持っていた茶碗を自分の太腿の上に降ろし、姿勢を正して答え始める。
「はい、名をグルギアと申します。
奴隷になる前の名は、グルギア・ヘルミニア・ラリキア。
廃絶したヘルミニウス・ラリキウス家の出でございます」
レーマ帝国でも名だたる神官の家系ヘルミニウス氏族。そのうちの一家ラリキウス家の名と廃絶の
ルキウスは無表情のまま、特段感情も籠っていない声で続きを促す。
「家族の名は?」
「はい、父はグルギウス・ヘルミニウス・ラリキウス。
母はフォリア、兄がウォピースクス、弟がオピテル……あと、妹の
「その家族は今、どうしている?」
グルギアはチラリとマルクスを見上げた。家族のことはグルギア本人よりもマルクスの方が詳しい。実際、母が死んだこと、弟オピテルが見つかったらしいことはグルギアもマルクスから聞いて知ったくらいで、それまで家族がどこでどうなったのか知らされていなかったからだ。
しかし、それでも知っている限りのことはグルギア本人が答えなければならない。
「私たち一家は連座によって
母はその後、亡くなったと聞いておりますが、詳しいことは存じ上げません。
兄弟たちは
父は、私たちが売り払われた後に処刑されたと、聞いております。」
グルギアが答えている間、反対側の壁際ではルーベルトたちが取り寄せた貴族名鑑をめくってグルギアの答えに間違いがないか確認していた。とはいっても、貴族名鑑には未成年の名は載っていないので、確認できるのは当時成人していた分だけである。グルギアは当時未成年だったためグルギア本人と、彼女が名を挙げた弟と妹のことは載っていなかったが、両親と兄の名は確認することが出来た。また、名前は確認できないながらもグルギウスが処刑されるに先だって、妻と子供四人が奴隷に堕とされたことが記載されていた。
今のところ、問題は無いようだな……
「他に家族は?
グルギアは特に動揺することも無く落ち着いた様子で首を振った。
「いいえ、結婚も出産も経験しておりません」
「事件のことを訊いてもかまわないかね?」
ルキウスはグルギアを挟んだ部屋の反対側で、確認ができたことをルキウスに知らせるルーベルトのハンドサインを横目で見ながら質問を重ねた。
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