第326話 売ろうとした聖遺物(2)

統一歴九十九年四月三十日、昼 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 この世界ヴァーチャリアでは工業製品と呼べるような安定した品質で大量に生産される物はほとんどない。品質の高い製品はあることはあるが、その生産工程や規模からすると工芸品と呼ぶべき物ばかりである。

 この世界ヴァーチャリアでは《レアル》からの降臨者がもたらした知識や物品を糧に発展してきた世界だ。この世界ヴァーチャリアで生産されるあらゆるものが《レアル》の産品に劣るのは致し方のないことであった。


 まして精霊エレメンタルが実在するこの世界ヴァーチャリアでは、その影響をどうしても受けざるを得ない。鉄、陶磁器、ガラスといった生産時に高い温度の炎を必要とする物品は、炎を使う過程でどうしても《火の精霊ファイア・エレメンタル》を生み出してしまうため、精霊エレメンタルを制御できない一般人では手掛けることができない。生産に携われる人間が限られる以上、どれだけニーズがあったとしても、その生産技術の普及や発展は限られたものとならざるを得なかった。

 そして鉄も陶磁器もガラスも、他の物を生産する時に必要な道具をつくるための素材である以上、他の物品の品質向上も大いに阻害されてしまっている。


 そんな世界であるから、《レアル》から持ち込まれる品物の品質にはいつまでたっても追いつけないでいる。《レアル》の品物が聖遺物などと呼ばれて珍重されるのも当然のことだった。

 ましてやゲイマーガメルが持ち込む聖遺物アイテムは、この世界ヴァーチャリアの住民たちはもちろん、リュウイチも知る由もないことだったが、実は《レアル》で生産された物ではなくゲーム世界のデータが降臨の際に具現化した物だった。だから瑕疵かしどころか品質のバラツキすら無い究極の品質を保っている。

 この世界ヴァーチャリアの職人がどれだけ頑張ったところで、それに匹敵する物など作れたりするわけがない。ということは、売れば確実に聖遺物だとバレるのは確実だ。


 自分ルクレティアがその場にいれば、御諫めできたかもしれないのに…


 そう悔しく思いもするが、同時にリュウイチの持つ聖遺物アイテムに対する興味があることは否定できない。あわよくば見せてもらいたいという気持ちは少なからずあった。


『いや、なんか《火の精霊ファイア・エレメンタル》とかのせいで金属製品は良いのが作れないって聞いたから、じゃあ木工製品ならと思って…こういうのだよ。』


「「「!!」」」


 リュウイチはどこからともなく小さな木製の小物入れを取り出した。それはリュウイチの目から見れば何の変哲もない、民芸品のようなシンプルな木箱である。


「み、見させていただいてもよろしいでしょうか?」


『いいよ?』


 ルクレティアとヴァナディーズはリュウイチの出した小物入れを恐る恐る手に取って吟味し、そして何度もため息をついた。


 幅はだいたい十四インチ(約三十六センチ)、奥行き八インチ(約二十センチ)、高さは六インチ(約十六センチ)ほどだろうか。上は上面が跳ね上がる蓋になっていて、下は同じ大きさの引き出しが横に二つ並んでいる。色が塗られているわけでもないし、装飾が施されているわけでもなかった。


 だが使われている木材の品質がそもそも違う。使われている木材は木目の密度が高くギッシリ詰まっていて、しかも木目の間隔がどれも一定なのだ。しかももなく、木目の揺らぎのようなものもない。表面も磨き抜かれていて、何も塗られていないのも関わらず艶やかに輝いて見える。まるで丹念にロウでも塗り込んだかのようだ。

 おまけに加工精度が段違いだ。平面に凹凸やゆがみが一切ない。隙間も少なく、蓋や引き出しの開閉は極めてスムーズで何かが擦れるような音もしないくらいだ。たとえば蓋や引き出しを閉める時、最後の瞬間は空気が閉じ込められるせいでブレーキがかかってゆっくり閉まるため、勢いよく閉めようとしてもバンッと木同士がぶつかる音がしたりしない。パフンッと柔らかな音がする。 


 こんな高品質な木工家具なんか見たこともない。もし持っているとすれば皇帝やよほど上位の上級貴族パトリキぐらいだろう。ラールが買い取りを断るのも無理はなかった。

 一つ二つなら買い取れなくもないだろうが、リュウイチが買い取りを希望しているのは数十とか数百といった単位だ。王侯貴族ですらなかなか手に入れられないような品質の家具を、いきなりそんなに売りつけられたところで、いかな御用商人といえども捌けるわけがなかった。


「恐れ入りますがリュウイチ様、これほどの物となるとこの世界ヴァーチャリアで容易に手に入るものではありません。

 ホラティウス・リーボーに断られても致し方ないかと存じます。」


『らしいね。木工製品なら大丈夫かと思ったんだけど…』


 リュウイチは肩をすくめて笑い、ルクレティアが返した小物入れをストレージにしまい、話をつづけた。


 リュウイチはならばせめて素材アイテムはと見せてみたが、やはり品質が問題となってダメだった。塩や砂糖はこの世界ヴァーチャリアにも当たり前に存在するが、精製技術が未熟なため、リュウイチが提示したような交じりっ気のない純白に精製することなどできない。

 じゃあこの世界ヴァーチャリアのと混ぜて品質をわざと落として売ればとリュウイチは提案してみたが、ラールからするとそれは勿体なさすぎて出来ない…やらない方がよいとのことだった。


「それは当然です!私もそれはやらない方がよいと思います。」


 リュウイチの話を聞いてルクレティアは呆れたように言う。


「リュウイチ様の聖遺物は本来とても神聖なものです。それなのにこの世界ヴァーチャリアのくだらないモノと一緒にするなんて、考えられません!」


「ボクもそう思います。大切な聖遺物を売らねばならないなんて」


 ルクレティアのみならずカールにまで言われ、リュウイチは笑いながらお茶で口をゆすいで答えた。


『いや、うん、それはそうかもしれないけど…でもどんな宝もただ持ってるだけじゃ意味がないからねぇ』


 あまりにも膨大な量のアイテムをかかえているリュウイチからすれば、その価値はどうしたって高くは見積もれない。実際いくら宝物のような貴重な聖遺物であっても全部世間に放出してしまえば、希少性は失われるのだからその価値はリュウイチが思っている程度まで下がることだろう。

 だが同時にそれはこの世界ヴァーチャリアの生産者たちが致命的な打撃をこうむることにもなる。自分たちが到底作りえない高品質なモノが突然世の中にあふれるのだから、商売が成り立たなくなってしまうのは間違いない。


『でも、どうにかしてお金を稼ぐ手段は考えないと…』


兄さんリュウイチは何だって持ってるんだから、お金なんて稼がなくったっていいんじゃないのかい?」


 リュキスカからすればリュウイチが何でお金を欲しがっているのか全く理解できなかった。リュウイチは降臨者で何でも持っているし、食べ物にだって着るものだって住むところにだって困っていないのだ。特に食べ物なんてこちらが頼まなくても貴族ノビリタスたちが御馳走を持ってきてくれるのである。借金があるわけでもなさそうだし、それどころかエルネスティーネやルキウスといった上級貴族パトリキに大金を貸しているらしい。それなのにお金を稼がなければならない理由があるとは思えないのだ。


『うーん、まあ、そうなんだけどね。』


 さっきから一言も発していないが、同席しているヴァナディーズも表情から察するに同意見のようだ。


 リュウイチは昨日聞いた報告内容から、多分現金をもっと用意した方がいいだろうと考えた。ただ、別に何か根拠があって現金が不足するとか、経済がどうなるとか考えたわけではない。感覚的に漠然と、もっとお金が必要になるだろうなと考えただけだった。ラールに話した信用が低下する云々という話は、別に以前から考えていたわけでもない。

 以前、この世界ヴァーチャリアに来る前の日本で経験した大きな震災を受けた後、リュウイチの同僚たちは自分たちの会社は大丈夫なんだろうかと口々に不安を口にしていたのを思い出したのだ。地震で被害を受けた会社はどこも被害対応で随分と支出を強いられていた。中小企業の社員の中には、自分の給料が支払われるか真剣に悩んでいた者もいた。実際に取引先の会社が資金が回らなくなって潰れてしまうのも見た。その後、その会社の周辺で取り付け騒ぎが起きたのも知っている。会社の経営状態自体は悪くなくても、一時的な支出の増加と収入の停滞が重なって資金がショートすれば簡単につぶれてしまう。あの会社だって融資があれば潰れずに済んだはずだった。

 そうした経験から、エルネスティーネやルキウスが当時の会社経営者たちに重なって見えた。特にエルネスティーネとルキウスは領主なのだから、彼らが融資を受けることができたなら、それだけ救われる命も増えるはずなのだ。


 しかし、ラールが指摘したようにリュウイチが今急いで現金を手に入れれば、逆にエルネスティーネやルキウスたちの現金準備高を圧迫してしまう。現金を準備して対応しなければならないのはあくまでも彼らであってリュウイチではないのだ。


『たしかに余計な事だったかもしれないな…』

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