第327話 郷士たち

統一歴九十九年四月三十日、午後 - ウオレヴィ橋南詰/アルトリウシア



 今日のアルトリウシアは空を一面の薄い雲に覆われ、雨も降らず地面にはぼんやりと影ができる程度に陽が射していたが、昼を過ぎてからはその雲にも切れ目ができ始め、ところどころ晴れ間が見えてきていた。アルトリウシアにしてはかなり良い天気と言っていいだろう。

 海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアで幸運にも家屋が焼け残り、そのまま戻ることができたごく限られた住民たちの他、物見高い見物客たちは恵まれた空模様に浮かれながら、瓦礫も死体もきれいに撤去された街道に列をなしていた。目的はウオレヴィ橋の開通式を祝うためである。


 ウオレヴィ橋の修理工事は昨日には終わっていた。ルキウスが修理工事の予算を認めた翌日から、リクハルドが棟梁を急かして壊れた部分の解体を先に始めさせていたのが功を奏したのだ。おかげで資材がそろう前には壊れた部分の部材はすべて撤去されており、資材がそろい次第組み立てるだけという状態だった。壊れた部分が折れた橋脚一本とその周辺と、かなり限られていたのも幸いした。橋そのものがかなり簡素な構造なのも理由の一つとして挙げていいだろう。


 おかげで誰もが予想していたよりも早い竣工となり、通行再開を急ぐ意味でも竣工翌日の開通式となったのだった。その代わり、開通を祝う式典はかなり簡素に行われることになっている。予定されているのは二人の領主の短い演説と祝砲とテープカット、そして渡り初め…それだけだ。


「なんでぇティグリスぅ、随分早い御着きじゃねぇか、ええ?」


 正装で身を固めたホブゴブリンの郷士ドゥーチェにそんな気やすい口を利く人間はわずかしかいない。振り向けばそのわずかな人間の筆頭みたいな奴がニヤニヤしながら歩いてきていた。


「お前ぇが遅ぇんだよ、リクハルドぉ!

 一番近ぇ癖にどうした、また昼飯ガッツリ食ってやがったのかぁ!?」


「おうよ!

 南蛮サウマン生まれ南蛮サウマン育ちのオレッちぁ日に三食は食わねぇと気が済まねぇのよ。おう!メルヒオールもいやがったのか?

 相変わらずちっこいから気づかなかったぜ!」


 ティグリスの近くにメルヒオールの姿を見つけ、リクハルドが鷹揚に声をかけると、メルヒオールは下から見上げて背の低さを揶揄からかうリクハルドに返事を返した。


「おう!

 南蛮サウマンってのぁ日に三食も食ってるから図体ばっかデカくなんじゃねぇのか?

 ちったぁ自重しろ!せっかく天気がいいのに影ができちまうぜ」


「ハッハァーっ、そんなに妬むなよぉ!

 せっかく郷士ドゥーチェ様んなったんだ、今からでも一日三食やぁちったぁデカくなれっかもしんねぇぜ!?」


「デカくなっかよ!歳いくつだと思ってんだ!?

 横にしか膨らまねぇよ!」


 メルヒオールは貫禄のついてきた腹を突き出して手でポンポン叩く。


「いいじゃねぇか!横にでも広がりゃぁお日様ひさんに当たりやすくるってもんだぜ?

 大将はドッシリ構えてた方が下も安心するってもんよ!

 なあティグリス?」


 話を振られたティグリスは確かにドッシリした体形だ。ホブゴブリンだから痩せてたとしても骨格から太めの体形なのだが、近年は筋肉のみならず腰回りに貫禄もつき始めている。


「違ぇねぇが、お前ぇが言っても説得力ねぇぜリクハルドぉ!」


 リクハルドはハーフ・コボルトであるためホブゴブリンには無い厚い皮下脂肪を持っているが、贅肉と呼べるような余計な脂肪はついてなかった。腰回りは三人の中で一番引き締まって見える。


「ガッハッハァ!オレっちも食っちゃあいるが、なんせオンナが余計な運動させやがるから太れねぇのよ。」


「ぬかせ!」

「いい加減女房貰ったらどうだ!?」


 雲の上の存在である郷士ドゥーチェ同士がゲラゲラ笑いながら掛け合う様子に、一人唖然としているテオにリクハルドが目を止めた。


「おう、見ねぇ顔連れてるじゃねぇか?」


「おう、紹介しとくぜ。テオだ。

 まだ若ぇがハンスの後釜だ。見知っておいてやってくれぇ」


「テ、テオです!よろしくお願いします!」


 メルヒオールが紹介するとテオがぎこちなく御辞儀し、その後ティグリスやリクハルドがそれぞれ引き連れていた手下を軽く紹介すると、手下同士で互いの自己紹介が始まる。

 それを尻目にティグリスが口火を切って郷士ドゥーチェ同士で別の話が始まる。

 

「で、ウオレヴィ橋コッチは随分と早かったじゃねぇか。

 ヤルマリアッチの橋の方も早ぇのかい?」


「いんや、ヤルマリ橋あっちは橋脚二本もイカレちまってるからな。

 資材はボチボチ集まってるらしいがもうしばらくかかるらしいぜ」


 ティグリスの問いにリクハルドが答えると、メルヒオールはため息をついた。


「て事ぁ、まだまだかかるって事かい。半月ほどは見なきゃいけねぇのかね?」


お前ぇさんメルヒオールは見てるだろうが、壊れた部分はもうだいぶ撤去させてる。

 資材さえ揃って、お天道てんとさんに恵まれりゃぁ二、三日ってとこだ。

 そっちアイゼンファウストから資材を回してもらえりゃすぐだぜ?」


「そんなもんあるもんかよ。

 どうせ知ってんだろ?

 アイゼンファウストで建ててる住居は今んとこ全部マニウス要塞カストルム・マニの兵舎の移築だけだ。」


「とぼけんじゃねぇぜ、新しいブルグス造ってんじゃねえのかよ?」


「あれは橋より大事なんだよ。

 なんのためにお前ぇさんリクハルドトコからダイアウルフ借りてっと思ってんだ?

 それにオレが作るわけじゃねぇから、資材なんて回せねぇ。

 それより海軍基地カストルム・ナヴァリアの資材を回せねぇのかよ?」


「そいつぁヘルマンニの爺さんに頼むんだな。

 それこそオレっちじゃどうにもなんねぇよ。

 オレっちが回してやれんなぁ人工にんくだけだ。」


「そいつに関しちゃ感謝してるぜ、ダイアウルフもな。

 あれが無けりゃ今頃大弱りだった。」


「それよ、聞いたが羊飼いのフェミナがダイアウルフ乗り回してるってマジか?」


 ダイアウルフと聞いてティグリスが話に割り込む。


フェミナじゃねぇ、女の子プエッラだ。

 ファンニはまだ八つだぞ?」


「おう、俺も目を疑ったぜ!

 ちっせぇブッカの女の子プエッラだ。

 赤い頭巾被ってダイアウルフにチョコンと乗ってよ。」


「赤い頭巾の女の子がダイアウルフに乗ってんのかい!?

 が狼に乗ってんのかよ!」


「ガッハッハ!オレッちも最初みた時ゃ笑いそうになったぜ!!」


お前ぇリクハルドが笑ってどうすんだよ。

 ファンニあの子アイゼンファウストうちで頑張ってくれてんだぞ?」


「はぁ~っ、大丈夫でぇじょうぶなのかよ?

 暴れたり逃げたりイザって時に抑えられんのかい?」


「さあなぁ、だがファンニあの子にしか懐かねぇからしょうがねぇ。」


 まるで他人事のようなリクハルドに呆れながらメルヒオールがフォローする。


「大丈夫じゃねぇのかい?

 俺ぁ河原でいるのを見てるが、むしろダイアウルフの方が女の子を守ってるって風に見えるぜ。乗るのも女の子が乗ってるっていうより、ダイアウルフの方が乗せてるって感じだ。」


「おいおい、そんなんじゃ余計危ねぇんじゃないのかい?」


「今んとこ怪我人も出てねぇし、間違いも起っちゃいねぇ。

 それにこっちにゃ人質もいっからな。」


「例のゴブリン兵か?ダイアウルフに人質なんて効くのかよ?」


「言うこと聞かなきゃいけねぇって事ぐれぇは分かってるみてぇだぜ?

 以前はオレっちに警戒感丸出しだったが、ゴブリン兵に会わせてやってからぁそうでもなくなった。尻尾振るところまではいかねぇが、何か言やぁ言うこと聞いてくれるようになってきたぜ。まあ渋々って感じだけどな。」


 ヘッヘと顎をさすりながらリクハルドが笑うとティグリスとメルヒオールは呆れを露わにする。こういう顔をする時、リクハルドは表向きはとぼけていても腹に何か持っているものだ。だが、それを打ち明けてはくれない。


「それで、あんなの使い道があんのかい?」


「まったくだ、借りてる俺が言うこっちゃねぇが、飼いならせねぇ獣なんざ生かしといたって無駄じゃねえのかい?」


 メルヒオールは何度かダイアウルフのご機嫌を取ろうとしてみたが、ダイアウルフはメルヒオールに全く心を開かない。こっちからファンニに近づこうとしても、一定の距離以上に接近すると間に入ってきてメルヒオールを睨みながら唸り始める始末だ。ファンニの方が寄ってくる場合はその限りではないが、それでも警戒は緩めず近くでジッとメルヒオールを睨み続けるのである。


「さあなぁ…今は餌代ばっかかかってしゃあねぇが、そのうち何か役に立つだろ?」


「すっとぼけやがって」


「とぼけてんのぁお前ぇさんの方じゃねぇのかいティグリス?」


「ああ、何のこったい?」


「聞いたぜ、水道橋工事で山に入ってる連中、お前ぇんとこに入るそうじゃねぇか?」


「お、おう」


 現在、火山災害によるアルビオンニウム放棄を受け、アルトリウシアで爆発的に増えた人口に対応するため、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが中心となって急ピッチで上水道工事が進められている。

 第二大隊コホルス・セクンダが貯水池の整備を、第三大隊コホルス・テルティアが貯水池から水を運ぶための水道橋建設を担当している。しかし、両方とも工事現場が西山地ヴェストリヒバーグの山中で、冬になると豪雪のため工事続行はおろか現地に駐屯し続けることさえ難しくなる。そのため、冬になったらアルトリウシアに戻ってくることになっていたのだが、軍団兵レギオナリウスはともかく、工事にかかわっている軍団兵レギオナリウス以外の民間人たちの住居がアルトリウシア側になくて問題になっていたのだった。

 そこで、ちょうどハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱の際の大火で広大な空き地が出来たことから、アイゼンファウストで受け入れることになったのだ。ところが、最初は全部アイゼンファウストに受け入れる予定だったのだが、アンブースティア復興を後回しにしていたことで不満が高まっていたティグリスとアンブースティア住民への配慮から、半分をアンブースティアで受け入れるよう変更にされたのだ。

 ティグリス自身がこの決定に干渉したわけではなかったが、リクハルドはそのことを揶揄したのである。


「まあ、あれよ。そりゃ子爵閣下ルキウスおぼしって奴よ。」


 だがティグリスはリクハルドが自分を揶揄からかっているとは気づかなかった。ただ単にティグリスの幸運を羨ましがられたと勘違いし、嬉しそうに返事する。


「おっと、噂をすりゃあようやくご到着のようだぜ?」


 メルヒオールが言い、全員が街道の南へ視線を向けると、《陶片テスタチェウス》の方から豪華な馬車の車列が次々と姿を現し始めた。

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