ダイアウルフの波紋

第328話 捜索許可願い

統一歴九十九年四月三十日、夕 - セーヘイム迎賓館/アルトリウシア



 セーヘイムを治める郷士ドゥーチェにしてアルトリウシア艦隊クラッシス・アルトリウシア提督プラエフェクトゥスでもあるブッカの長ヘルマンニ・テイヨソンは腹立ちを抑えながら、セーヘイムの迎賓館ホスピティオへと赴いた。


 ウオレヴィ橋の開通式は滞りなく行われた。待っていた他の郷士たちと挨拶を交わし、短い世間話をした後でエルネスティーネとルキウスが観衆に向けて短い演説を行う。その後、エルネスティーネとルキウスの二人の領主、そしてヘルマンニ、ティグリス、リクハルドの三人の郷士が橋の手前に引かれた絹のリボンを並んで手に取り、ルキウスの衛兵隊が空に向けて一斉に空砲を撃つのに合わせ、用意されたナイフでカットする。

 空に向けて鳩が放たれ、観衆が拍手喝采する中、彼らは互いに祝いの言葉を交換し、それぞれの馬車に乗り込んで橋を渡ってそのまま解散。ヘルマンニもいい気分のままセーヘイムの我が家へ帰ってきた。


 しかし帰宅したヘルマンニを待っていたのはまたイェルナクが来ているという報告だった。しかも、ヘルマンニとの会見を望んでいるという。

 これからいい気分のまま家族と夕食をとるつもりだったのにお預けである。しかも、せっかく帰ったというのに孫の顔を見る暇も与えられなかったのだ。気分が悪くなるのも当然であろう。

 だが、彼にも立場というものがある。ヘルマンニはアルビオンニアに住まうブッカの族長であり、セーヘイムを治める郷士であり、アルトリウシア艦隊を率いる提督なのだ。公人たるものが人と合うことをいとうてはいられない。


「アルビオンニアに住まうブッカたちの長、アルトリウシア艦隊提督プラエフェクトゥス・クラッシス・アルトリウシア、セーヘイムの郷士、テイヨの子、ヘルマンニヘルマンニ・テイヨソン、御成ぁーりー!!」


 名告げ人ノーメンクラートルが高らかに名乗りを上げてヘルマンニが応接室タブリヌムへ入室すると、イェルナクは立ち上がってヘルマンニを迎えた。


「ワシに急ぎの用とのことだが、イェルナク殿?」


「お呼びだてして申し訳ありませんヘルマンニ卿。名誉あるハン支援軍アウクシリア・ハンを代表する軍使レガトゥス・ミリタリスとして侯爵夫人マルキオニッサにも子爵閣下ウィケコメスにも、そしてヘルマンニ卿にもそれぞれお話ししたいことがありまして、こうして参上いたしました。」


 イェルナクはハン族の民族衣装ではなく、レーマ風の貫頭衣トゥニカにトーガをまとった姿で慇懃にお辞儀をする。


「軍使と言われりゃあ話を聞かんわけにもいくめぇ。

 さあ、かけなされ、話を聞こう。」


 不快を押し殺しながらヘルマンニが言うとイェルナクは「では失礼して」と長椅子に腰かけ、ヘルマンニもテーブルを挟んだ対面に腰かけた。


「さて、侯爵夫人と子爵閣下とワシに御用とのことだが?」


「ええ、御三方にそれぞれ一つずつ、三つの要件がございます。」


 ヘルマンニは顔をわずかにしかめた。


「侯爵夫人への言伝なら今はキュッテルアロイス閣下が窓口じゃろう?子爵へならアヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス閣下が窓口じゃ。ワシは違うと思うが?」


「ヘルマンニ卿も艦隊提督として侯爵家に仕える身ではございませんか。

 それに本件は緊急の要件を含みますので、おそらく今はマニウス要塞カストルム・マニにいらっしゃるであろう両軍団長レガトゥス・レギオニスをお呼び出ししては対応が遅くなるかもしれません。」


 イェルナクは笑顔を浮かべながらも困ったように眉を寄せて言った。


「緊急とな?」


「はい、実は我々のダイアウルフが一部逃亡したようでして。」


「ダイアウルフが逃亡じゃと!?」


 ヘルマンニは驚いて上体を伸ばし、目を剥いて声を上げた。

 小型の馬と同じくらいの体格を持ち、人間並みと言われるほどの優れた知能を持つ狼は本来非常に危険な存在だ。人の手を離れたダイアウルフなど魔獣モンスターと変わらない。素人では鉄砲を持っていてさえ勝てるかどうかわからない相手であり、ハン族だって降臨者によってダイアウルフを飼育し使役する知恵を授けられる前はダイアウルフに一方的に狩られる存在だったはずだ。ましてハン支援軍のダイアウルフは鉄砲や爆弾といった火器の存在を知っていて対処もできると言われている。実際、先の叛乱の時は海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアでハン騎兵が縦横無尽に駆け回り、リクハルド軍を翻弄したうえ撃退したと伝えられていた。

 それが五頭もアルトリウシア平野に放たれた…由々しき事態であった。


「そうなのです。

 実は五頭ばかり…どうやらアルトリウシア平野へ渡ったようでして…」


「五頭も!?…そりゃあいつの話じゃ?」


「気づいたのは二十五日…五日ほど前になります。」


 ヘルマンニは思わず立ち上がって叫んだ。


「何故もっと早く報告せん!?」


 イェルナクはヘルマンニの形相に驚いたように仰け反って、しどろもどろになりながら弁明を始めた。


「も、申し訳ありません。

 私どもは逃げ出したダイアウルフがエッケ島のどこかに潜んでいると思い、全力で島内を捜索していたのです。ですが見つかりませんで…」


 確かに彼らは今エッケ島にいる。ダイアウルフが逃げたとしても島内のどこかにいると考えるのは当然だろう。ヘルマンニは少し落ち着きを取り戻し、椅子に腰を降ろした。


「それで、アルトリウシア平野に行ったっちゅうのは?」


「はい、いる貨物船クナール支援軍兵士アウクシリオルムが操船訓練をしておりましたところ、アルトリウシア平野の海岸をダイアウルフが歩いているのを見たと報告が上がりまして…」


 ヘルマンニは視線を脇に反らせてパッと片手で顔を覆い考え事を始める。


「…そうか…じゃあこの間の遠吠えというのも…」


 ヘルマンニの独り言に「遠吠え」という単語を聞き取ったイェルナクは身を乗り出して食いついてきた。


「遠吠え!?…今『遠吠え』とおっしゃいましたか?」


「あ!?…ああ…実は三日ほど前か、アイゼンファウストの方でダイアウルフの遠吠えが聞こえたとかいう報告があってな。」


 しまったと内心自身の迂闊うかつさにイラ立ちを覚えつつも、ヘルマンニが説明するとイェルナクはテーブルに両手をバンッとついて腰を浮かせて身を乗り出した。


「それだ!それですヘルマンニ卿!!」


「な、何がじゃ!?」


 思いもかけないイェルナクの勢いにヘルマンニが思わず仰け反ると、イェルナクは一瞬、いかにも失敗したとでも言うような表情を作り、そしてぎこちない愛想笑いを浮かべながら腰を降ろす。


「ええ、その…きっと、それが逃亡した我々のダイアウルフに違いありません。」


「う!?うむ…」


 イェルナクが元の姿勢に戻ると、ヘルマンニも仰け反っていた姿勢を元に戻し、威儀いぎをただす。


「じゃが、遅かったかもしれんの。

 アイゼンファウストでは今セヴェリ川沿いにダイアウルフ対策でいろいろやっとるようじゃ。

 おぬしらが騎兵を送り込んでも、先にダイアウルフがセヴェリ川に姿を現しゃあ狩られちまうかも知れんぞ?」


「それは困ります!!

 ダイアウルフは我らハン族にとって大切な存在。第一そちらで狩るよりも我らが捕まえる方がそちらの負担も犠牲も出さずにすむのではありませんか!?」


「そもそもダイアウルフがアルトリウシア平野で生き延びられるもんかのぉ?」


「アルトリウシア平野にはダイアウルフの餌となる生き物はいくらでもいますとも、…ミ、ミヨカステシとか…」


「ミヨカステシ?」


「ほら、大きいネズミのような、タヌキのような…」


「ああ、沼ネズミミヨカスタか…」


 沼ネズミマイヨカストルとは頭胴長(尻尾を除いた身体の長さ)が十四から二十四インチ(約三十六から六十一センチ)ほどにもなる大きなネズミのような生き物だ。アルトリウシア平野でもっとも多く目にすることができる哺乳動物であり、雑食性で繁殖力が高い。ラテン語ではマイヨカストル、ブッカ達の言葉でミヨカスタ、ハン族の言葉ではミヨカステシと呼ばれている。


「そうそれ!だから、ダイアウルフはアルトリウシア平野でも生き延びることはできるのです。

 それでヘルマンニ卿、侯爵夫人と子爵閣下の両領主閣下に対し、御許可をいただきたいのです。」


「御許可ぁ!?」


 イェルナクの口から予想外の言葉が出てきてヘルマンニは我が耳を疑い、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。


「はい、我が騎兵隊をアルトリウシア平野へ送り、逃げたダイアウルフを回収したいのです。」


「むっ?」


「我らハン支援軍は皇帝インペラトルからアルトリウシア侯爵家へ貸し出された支援軍アウクシリアですから、作戦行動をとるには侯爵夫人の承認を要します。そして、アルトリウシア平野は無人の原野とはいえ子爵閣下の領地、領主たるアヴァロニウス・アルトリウシウス閣下の御承認も必要となりましょう?」


「う、うむ。もっともじゃ…では、その件は早馬で知らせて至急裁可を仰ぐことにしよう。」

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