第329話 テオの忠告
統一歴九十九年四月三十一日、午前 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア
一昨日以来、ファンニは一挙に一家の稼ぎ頭になっていた。ダイアウルフを連れてラウリの手下たちに囲まれながらアイゼンファウストのセヴェリ川まで行き、そこでダイアウルフたちに日に四~五回ほど遠吠えをさせる。それだけで毎日セステルティウス銀貨を一枚もらえるのだ。
一セステルティウスはファンニの家族の一日の生活費に匹敵する金額である。これまで家族総出で働いて一日二セステルティウスに届くか届かないかぐらいの金額しか稼げなかったのに、ダイアウルフの世話を命じられるようになってからというものラウリから色々と貰えるようになっていたし、今度はアイゼンファウストの
しかも、遠吠えをしてから次の遠吠えをするまでの二時間近く時間が空くが、その間はほぼ自由時間だ。といっても、ダイアウルフが間違いを犯さないように人気のないところに隔離せねばならないため、アイゼンファウストの街をぶらつくようなことはできなかったが、セヴェリ川の河川敷やアイゼンファウストとアルトリウシア湾の間にある藪の中をダイアウルフたちの好きなように遊ばせてやることはできる。すると、ダイアウルフたちが時折
中型犬並みの大きさのある沼ネズミは食べることもできるのだが、その毛皮は水弾きが良く断熱性にも優れるため、割と良い値段で売ることができる。
ファンニはダイアウルフが狩ってくれた沼ネズミをその場で解体して、肉はそのままダイアウルフたちのオヤツにし、貰った毛皮を売ることで更なる副収入を得ることもできていた。
おかげでファンニの家庭内での株は急上昇しており、ファンニ自身もこの仕事を喜んでいる。
メルヒオールの手下のテオはダイアウルフを怖がっていてまだまだ打ち解けることはできないが、ラウリの手下たちとはだいぶ打ち解けることが出来てきていたし、初日に感じたアイゼンファウスト住民たちの
未明からシトシトと雨が降り続くせいで空模様もあたりの雰囲気も重たい雰囲気ではあったが、ダイアウルフに乗って仕事に向かうファンニの気分は上々だった。
「
「
ゴロツキ集団に囲まれたダイアウルフ二頭と、そのダイアウルフに跨る赤い頭巾の女の子という異様な集団を見つけ、テオが遠くから手を振って挨拶する。挨拶はするが向こうからは寄ってこない。向こうから不用意に近づくとダイアウルフが警戒して呻りだすからだ。だから、最初に声をかけてファンニの側から近づくようにするという、少し面倒な手順を踏む必要があった。
ダイアウルフは頭がいいが、誇り高く警戒心も強い。信頼関係の築けていない相手が不用意に近づくと警戒するが、自分の方から、あるいは信頼関係の出来ている対象の方から近づく分には、一応警戒はしていても呻ったり攻撃的な姿勢を見せたりはしない。
リクハルドの下で捕虜となっているゴブリン兵のバランベルからその話を聞いて以降、ファンニやファンニとダイアウルフを取り巻く人々はそれを参考に、用があるときは声をかけてファンニを呼び、自分の方からは近づかないように徹底していた。
「ドイツ語の発音も上手だね、ファンニ…うっ」
テオは鼻息がかかるほど近づいてきたダイアウルフにビビりながらも愛想笑いを浮かべる。
テオは背は高いが痩せていて体力はあまりない。体重はダイアウルフの五分の一にも満たないだろう。襲われればひとたまりもなく一撃でやられてしまうのは確実だが、その猛獣が鼻を押し付けてスンスンとテオの臭いをかいでいるのだ。ビビらない方がおかしいだろう。
「
グート!フッタ!失礼よ!?」
ファンニはしつこくテオの臭いを嗅ぎ続けるダイアウルフを
「いや、いいんだよ、大丈夫だ。
ボクの事も覚えてもらいたいからね…うっ…」
テオが痩せ我慢して顔を引きつらせながらそう言うと、ダイアウルフたちはようやく臭いを嗅ぐのをやめ、ブフンッとくしゃみでもするように鼻を鳴らし、尻尾も揺らすことなくテオから離れた。
馬鹿にされてんのかな…と、テオは一瞬心配になったが、敵意を持たれていないことだけは確かなのでひとまず胸をなでおろす。
「すみません、テオさん。この子たち、悪気があっての事じゃないと思うんですけど・・・」
「いや、いいよ。大丈夫、犬とかはしょうがないさ。」
ブフンッ!
犬と聞いて気に障ったのか、ファンニが乗っていない方のダイアウルフ…フッタが鼻を鳴らしてギロッとテオを睨みつける。テオはギクッと顔を青ざめさせて思わず後ずさりした。
「ああ!す、済まない…」
「フッタ、やめて!ごめんなさいテオさん」
「いや、コッチが言葉を間違えたんだ。気にしないで…」
テオは必死に愛想笑いを浮かべながら冷や汗を拭う。フッタの方はファンニに怒られて詰まらなそうにそっぽを向き、わずかに尻尾を揺らした。
やはり
テオは改めてダイアウルフの気難しさとファンニの重要性を再認識する。
「じゃ、じゃあ早速今日もお願いできるかな?」
テオが気持ちを切り替えて切り出すと、ファンニはにっこりと笑って元気よく返事を返す。
「ハイ!がんばります!!」
「いい返事だ。あ、そうだ…今日から遠吠えの間隔を一時間置きぐらいにしてもらえるかな?」
「え!?ええ、大丈夫ですよそれくらい。」
テオが思い出したように新たな注文を出すと、ファンニは少し戸惑いながら引き受ける。そしてテオは更に注意事項を追加した。
「それから、あまり他の大人から離れないようにしてくれ。特に、
「はい…えっと、何かあったんですか?」
今までは二時間置きぐらいに遠吠えをさせさえすれば、人の居ないところでなら好きに過ごしてくれていいと言われていた。それが今度は逆に人の目の届くところにいてくれという。ひょっとしたらダイアウルフが勝手に動き回ってることに不安をいだいた住民たちが苦情を入れてきたのだろうかと、ファンニは少し心配になった。もしそうだとすれば、ダイアウルフの扱いにも注意を払わねばならない。
「イヤなに、昨日またハン族の人がセーヘイムに来たって話は聞いてる?」
「え、そうなんですか!?」
ファンニは驚いた。
ここのところずうっと日中はダイアウルフとだけ一緒に過ごしていて、人間との接触は家族か、リクハルドの邸宅でダイアウルフをゴブリン兵に会わせる時に、ラウリかラウリの手下と話をするぐらいだった。ダイアウルフをゴブリン兵に会わせるようになってからは家に帰るのも遅くなりがちで、家に帰ったら家族はとっくに夕食を済ませてる時間帯なので、家族との会話の機会も減っている。ファンニを待たずに夕食を済ませるのは、貧乏農家にとって照明代はバカに出来ないほど大きな負担であるため、日が暮れる前に夕飯は済ませてしまわねばならないからだ。
ただそれも悪いことばかりではなく、そのせいでファンニはラウリから家族が食べてるのより豪華な夕食を御馳走してもらえてはいるのだが…とまれ、そういうわけでファンニは今、世情にはひどく疎くなってしまっているのだった。
「うん、
「戦になるんですか!?」
ファンニは興味津々といった様子で、ダイアウルフの上からテオに向かって身を乗り出す。
「いや、戦にならないようにするために軍使が来て色々話し合うんだよ。」
「そうなんですか…」
「そう、それでね。昨日来た軍使が言うには、エッケ島からハン支援軍のダイアウルフたちが逃げ出したそうなんだ。」
「まあ!…じゃあひょっとしてアルトリウシア平野に隠れてるのって!?」
セヴェリ川の向こうに広がるアルトリウシア平野の方から聞こえてきた遠吠え…その正体はダイアウルフであろうと考えられている。そしてそうであるがゆえに、人々は恐れてセヴェリ川に近寄らなくなり、
そのダイアウルフの正体はハン支援軍の騎兵だと思われていたが、エッケ島からダイアウルフが逃げ出したというのであればそいつらである可能性が高くなる。
「そうじゃないかという話だ。」
テオはファンニの予想を肯定し、続けて説明した。
「今までハン騎兵が潜んでいると思われていた。ハン騎兵ならダイアウルフを操る人間が一緒だから、無茶な行動はしないだろう?
多分、こっちが警戒してるって分かっていれば向こうから出てくることはない。
でもセヴェリ川の向こうにいるのが逃げ出したダイアウルフで、騎手の人間が一緒じゃないならどうなるかわからない。軍団兵が近くにいても気づかれないように忍び寄ればいいやって思って、御仲間に興味を持って近づいてくるかもしれないんだ。」
ファンニはゴクリと唾を飲んだ。どうやら自分はかなり危険な状況に置かれているらしいと理解したからだ。
「でも、軍団兵が近くにいれば守ってもらえる。だから軍団兵の目の届かない所へは絶対に行っちゃだめだ。
そして、このグートとフッタ以外のダイアウルフを見たり、遠吠えを聞いたりしたら、急いで近くの軍団兵のところへ逃げるんだ。いいね?」
ファンニはコクンコクンと大きく繰り返しうなずいた。
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