対応の課題

第264話 イェルナクの一手

統一歴九十九年四月二十二日、昼 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 要塞司令部プリンキピアの会議室に通されたマルクスはエルネスティーネをはじめとするアルビオンニア側の主要な貴族らと型どおりの挨拶を交わしたが、多くは…特に侯爵家に連なる貴族らの表情はどこか暗く沈んでいる様子がありありとうかがい知ることができた。


「去る四月十八日、わが軍団レギオー筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下と元老院セナートス軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのアントニウス・レムシウス・エブルヌス卿が乗艦と共にトゥーレスタッドで停泊していましたところ、ハン支援軍アウクシリア・ハン幕僚トリブヌスイェルナクが軍使レガティオー・ミリタリスとして接触してまいりました。

 彼は同行していたアーディンを名乗る若いハン族ホブゴブリンを軍使レガティオー・ミリタリスとしてレーマに送りたい旨を希望し、船への同乗させるよう依頼してまいりました。伯爵公子カエソー閣下はこれを受け入れ、アーディンはその日のうちに伯爵公子カエソー閣下と共にサウマンディウムへ上陸しております。

 イェルナクの方は乗って来た貨物船クナールで翌朝、我々とともにトゥーレスタッドを出航しましたが、彼らはセーヘイムへ向かったそうです。」


 マルクスはハン支援軍アウクシリア・ハンから送られたという軍使レガティオー・ミリタリスがサウマンディウムへ来るまでのあらましを説明していた。その内容は当然だが大筋では伝書鳩であらかじめ伝えられていた通りで、アルビオンニア側としてはこれと言った反応は無い。


「イェルナクは確かに十八日にセーヘイムに上陸しております。

 それで、サウマンディウムまで同乗したアーディンと呼ばれる方についてお願いします。ウァレリウス・カストゥスマルクス閣下は直接お会いになったのでしょうか?」


 会議室にはアルビオンニア側の貴族とアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスアロイス・キュッテルとアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの首脳陣が列席しているが、議題がハン族の軍使レガティオー・ミリタリスに関する実務的なものになってからは、マルクスとの応対はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスであるラーウスが代表して行っていた。


「はい、かのアーディンがウァレリウス・サウマンディウスプブリウス伯爵閣下に謁見する際はマルクスも同席しておりました。

 たしかにハン族のホブゴブリンでまだ若く、鼻はつぶれていましたが顔に紐を巻いた痕が生々しく残っていました。おそらく、最近成人したのでしょうな。」


 ハン族には顔をいかつくするため、男児は顔に紐を巻いて鼻の頭のところに結び目を作り、鼻が低くなるように潰す風習があった。成人すると成人の儀式の際に紐を外し、以後紐を巻かなくなるのだが、若いうちは紐を巻いていた後が痣のように残っており、その痣が消えたころにようやく一人前の男として認められる。

 紐を巻いた痕があったという事は間違いなくハン族であろうし、紐を巻いた痕が生々しく残っていたという事はマルクスが言うようについ最近成人したばかりなのだろう。


ハン支援軍アウクシリア・ハンの主要メンバーについては全員の名前を把握していたはずでしたが、アーディンという名は記録にありませんでした。最近成人したというのなら無理もありませんが…ということは、まだ十六歳ということですか?」


「おそらくそれぐらいでありましょう。

 目に力があり、ハッキリとしゃべる…素直そうな若者に見えました。」


 マルクスはプブリウスの前で緊張しながらも覇気を感じさせるアーディンを想い出しながら答えた。


「そのような若者を軍使レガティオー・ミリタリスとしてレーマへ派遣するなど…にわかには信じられませんな。」


「交渉事をさせるつもりであれば、確かにかの人物では不適でありましょう。

 ですが、どうやら何事か交渉させるつもりは無いようですな。」


軍使レガティオー・ミリタリスでありながら、交渉するわけではない?」


「いかにも、報告だけをさせるつもりなのです。」


「報告と言うと…例の?」


 アルビオンニア侯爵夫人とアルトリウシア子爵がメルクリウス団と結託し、降臨を起こして帝国に謀反を企てている。そしてハン支援軍アウクシリア・ハンはそのための生贄として攻撃を受け、やむを得ず脱出した…伝書鳩の伝文にもあった、愚にも付かない陰謀論である。

 しかし、一応ハン支援軍アウクシリア・ハンという公的な機関から上がって来た報告である以上、皇帝インペラートルであれ執政官コンスルであれ元老院セナートルであれ事実確認のための調査を実施せねばならないだろう。侯爵家も子爵家も痛くもない腹を探られることになるわけだが、ことがそれだけで済むという保証がない。

 侯爵家にしろ子爵家にしろ、出自はレーマ帝国ではない。むしろレーマ帝国と敵対した勢力の出自であり、レーマ帝国内での地位は盤石とは言い難いのだ。アルビオンニア侯爵家はアルトリウシア子爵家に比べればまだマシではあるが、その地位は先代侯爵マクシミリアンの死によってかなり揺らいでいるのが実情だ。


 アルトリウシア属州は帝国版図の外縁に地位する辺境領であり外敵と接している。辺境領主に課せられた役目は属州の統治と版図の拡大であった。だからこそ、辺境の属州領主ドゥクス・プロウィンキアエには伯爵コメスではなく、一段高い侯爵マルキオーの地位と権限が与えられる。

 先代マクシミリアンは家督を継いでからズィルパーミナブルグやクプファーハーフェンを獲得するなど功績著しくはあったが、クプファーハーフェン獲得以降は版図の拡大は停滞している。これはズィルパーミナブルクやクプファーハーフェンを治めていた南蛮サウマン有力氏族ヤシロ氏が旧領を奪還すべく激しく抵抗してきた事が最大の原因ではあったが、奪ったズィルパーミナブルグやクプファーハーフェンの開発と防衛体制強化を図って内政に注力した結果でもあった。

 その一環として各氏族の独立性が高く氏族間での争いの絶えない南蛮サウマンの内情を利用し、侯爵家配下とヤシロ氏以外の南蛮氏族との間で政略結婚を推し進め、南蛮氏族をレーマ側に取り込みヤシロ氏族を背後あるいは側方から圧迫することを画策した。これは功を奏し、ヤシロ氏族は急速に弱体化していくことになる。


 だが、これらは同時に侯爵家に対するレーマ本国の不信感も醸成することになった。アルビオンニアが帝国の版図拡大という役目を放棄し、南蛮サウマンと手を結ぶことで独立を画策しているのではないかという疑いを持たれ始めていたのである。そして、ここでカールの存在も悪い影響を及ぼしはじめていた。

 南蛮人サウマンのヒトの肌は白い…そして、アルビノであるカールの肌も白い。キリスト教会ではカールは悪魔憑きだと騒がれていたが、非キリスト教徒の貴族ノビリタスたちからはカールは南蛮人サウマンの血を引いているのではないかという噂がささやかれていたのだ。


 非レーマ貴族である南蛮サウマンの血を引く子を跡取りに据えようとしている。


 アルビオンニアが帝国から離脱しようとしているのではないかという疑惑はカールの誕生、そしてカールを悪魔憑きと批判するキリスト教会から守ろうとするマクシミリアンのやや過激だった言動、その後の侯爵家次男レオンハルトの急逝を経て急速に強まっていった。

 さらにマクシミリアンの死後、侯爵家をマクシミリアンの弟レオナードではなく、妻エルネスティーネが継いだことでレーマ本国の侯爵家に対する評価はかなり低下する。女性領主ドゥキッサというのは男尊女卑社会であるレーマ帝国ではかなり奇異な存在なのだ。

 マクシミリアン本人の人脈や先祖代々築いていた信頼があったからこそ、今も侯爵家は命脈を保てているが、伝え聞くところによればレーマ本国でのアルビオンニア侯爵家の評価はかなり危うい水準にまで落ちているようであった。


 そしてアルトリウシア子爵家はかつてレーマに激しく抵抗したアヴァロニアの有力貴族の末裔であり、レーマ本国ではいまだにアヴァロニウス氏族をアルトリウシア子爵に叙爵したことの是非を問う声も少なくない。おまけに、侯爵家の意向で南蛮氏族との政略結婚を重ねてもいるため、レーマでは子爵家に対して疑念の目を向ける者は枚挙にいとまがないほどいるのだ。


 つまり、アルビオンニア侯爵家、アルトリウシア子爵家はどちらも何かネタさえあれば、その地位を奪われかねない状況にあった。政争では使えるネタさえあればそれが事実無根であろうと関係ない。両家の地位を狙う貴族パトリキは、レーマ本国にはいくらでもいるのである。

 ハン族はそうしたレーマ本国の貴族パトリキたちにネタを提供することで、侯爵家と子爵家をけん制するとともに帝国内での生き残りの途を見出そうとしたわけだ。


「…下手に何かを得ようと交渉するより、単純に報告だけに済ませた方が信ぴょう性は増す。あとはレーマ本国の政敵が勝手に動くに違いない…そう踏んだのでしょう。そういう意味では、あのアーディンという若者はむしろ打ってつけです。

 渉外の経験がない分、言動が直線的で教えられた通りにしゃべるだけだ。しかも若いから都合の悪い事や分からない事は『自分にはわかりません』で押し通せてしまう。実際、何も余計なことは知らない様子でした。

 あれならイェルナクのような胡散臭い人物よりはよっぽど人の信用を得やすいでしょうな。」


 アルビオンニア側の貴族たちはマルクスの報告が彼らが危惧した通りの内容であったことに頭を抱えることになった。


「アーディンのその後はどうなりましたか?」


「もちろん、レーマへ向かいました。レムシウス・エブルヌスアントニウス卿がレーマまで同道すると申されておりました。

 軍使レガティオー・ミリタリスである以上、行く手を阻むことは出来ませんからな。本当かウソかは知りませんが、アーディン以外の軍使レガティオー・ミリタリスがチューア方面からも向かっているとのことでしたので、万が一本当ならアーディンを抑えるのは悪手にしかなりません。」


 おそらくウソであろうとは誰もが考えていた。だがチューアはレーマ帝国に属してはいるがかなり独立の気風が強い地域で、レーマ帝国に属しはするが支配は受けぬという不可解な関係を維持している。しかも秘密主義か何か知らないが交流は極めて限られており、チューアの内情はレーマ帝国はほとんどといっていいほど把握していない。

 こちらからハン支援軍アウクシリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスがチューアを通過しているかと問い合わせても、返事が返ってくる可能性は低いし、その軍使レガティオー・ミリタリスを抑えてくれと依頼したとしても応えてもらえる可能性は限りなくゼロに近かった。

 これで万が一本当にチューアから軍使レガティオー・ミリタリスがレーマへたどり着いたら、そしてアーディン一行のレーマ行きが何者かに阻害されていたら、アルビオンニア侯爵家の致命傷となりかねない。

 予想以上に暗く顔を曇らせるエルネスティーネを元気づけるようにマルクスは行った。


「しかし、レムシウス・エブルヌスアントニウス卿と同道したということは、少なくともレーマ到着まで二か月はかかるでしょう。

 我々が早馬で出した報告は一か月以内には到着しますから、我々の報告の方が確実に先に付くはずです。我々が降臨の事実を先に報告すれば、彼らが主張する『降臨者を隠蔽して謀反を起こそうとしている』という疑惑は成立しません。」

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